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小学生の時に感じた「ゲームって自分で創れるんだ!」という感覚を子供たちに伝えたい|CTO 岩佐光平

2018年10月創業、ミャンマーでSTEAM教育事業を行っているTIAM Inc.です!

TIAM2回目のインタビュー記事は共同創業者・CTO岩佐のご紹介です。TIAMの経営者でありながら、IT企業の代表取締役でもあります。

小学生の頃からプログラミングでゲームを創ったり、ディズニーランドのキャストを経験したり、某アーティストのバンドオーディションに応募したりと、面白い経歴を持つ岩佐にこれまでの経験とTIAMの事業に懸ける想いを伺いました。

7歳から始めたプログラミングで感じた「ゲームは自分で創れる!」という感覚

ー 岩佐さん、小学校低学年の頃からプログラミングをやっていたんですよね?きっかけは何だったのでしょうか?

これが皮肉なんですが、私が7才の頃にファミコンが発売されたんですよ。学校でも大流行りで、もちろん自分も欲しいと親にお願いしてみたんですよね。そしたら何故か父親が「パソコン買ってきたぞ」と。「なんでだよ!」と思いましたね(笑)父親はエンジニアでは全然なくて、電子機器のパッケージ製造企業の営業マンだったので、お客さんの所で買ってきたのかなと今では思いますが。。

そんな訳で我が家にMSXがやってきました。これが人生初のパソコンに触れる機会です。ただ、私はゲームがしたかったんですよ。当然子供なのでゲームを買えるお金もなかったんですが、本ならお小遣いで買えたんですよね。

ある時、本屋でMSXマガジンという雑誌を見て「このゲーム面白そう!」と眺めていたら、後ろの方に何やら文字がたくさん書いてあったんです。そして、どうやらこのBasicというソースコードとやらをパソコンに打ち込めばゲームが作れるらしいということは分かったので、お小遣いでその雑誌を買い、早速で家で書いてみることにしました。たしか6万行くらいあったのですが、それを必死に打ち込み、実行してみたら本当にゲームができたんです。この「ゲームって自分で創れるんだ!」という感覚を持てた経験には本当に感動したのを覚えています。

とにかく色々試してみた20代。そして、やっぱりITがやりたい!と気づく。

ー 素敵ですね!まさに生粋のプログラマーの幼少期という感じがします。そのままプログラミングを続けて今に至るんですか?

いえ、実はその後小学校6年生くらいまではプログラミングをやっていたのですが、中学になって親の意向で岐阜県の山奥で寮生活をすることになり、一切パソコンに触れなくなります。その閉鎖的な生活が本当に耐え難かったんですよね。先生も厳格な人が多く、学校での勉強が面白いと思ったことがなかったんです。

その生活から田舎には二度と生活しないと大学で上京しましたが、学生生活ではほとんどアルバイトに明け暮れていました。アルバイトでは、人前に立つのが苦手でそれを克服するためにディズニーランドのキャストを3年くらいやったりしていました。

そんな頃、初代iMacが発売されたんです。これには衝撃を受けましたね。それまではベージュで地味なデザインしかなかったパソコンの概念がiMacによって覆されたんです。それでアルバイト代を使ってPower Mac G3というパソコンを30万円で買いました。せっかく買ったのだからコードを書こうと思い、当時流行っていたデジタルハリウッドというプログラミングスクールに通って勉強しなおすことにしたんです。

そこで成果物として作品を作ったのですが、当初はサッカーの紹介サイトという真っ当なモノを作ろうと思っていたのです。ただ真っ当なモノを作ることに全くエネルギーが湧かず、どうせなら好きなものを作ってみようと何の役にも立たないマクリックスのキャラクターを使ったインタラクティブムービーを作りました。それが思った以上にウケて、「自分が好きな面白いと思うモノを創って評価されたこと」がすごく嬉しかったですね。しかも、その作品に使った動画素材は自分で撮影し、音楽は自分で作曲からレコーディングをしていたので、「この小さな世界ではすべて自分で創っていける」という感覚を持つことができたんです。プログラミングの面白さを再確認した経験ですね。

その後フリーランスでウェブ開発、システム開発したり、ゲーム開発をしたりしていました。あ、あと某アーティストのボーカルオーディションも受けました。見事に敗退しましたが(笑)

とにかく20代は色々なことを試していました。そして、色々試した結果、やっぱりITがやりたい!と感じ、声をかけてもらったIT企業に就職しました。

ミャンマーで起業。そして2社の経営者に。ワークショップで感じた手応え。

ー なるほど。では、岩佐さんは現在IT企業の代表でありながら、TIAMの経営者でもありますが、どのようにしてミャンマーに来て、2社を起業することになるのでしょうか?

ミャンマーに来たのは、そのIT企業で働いている時に出張でよくベトナムやミャンマーに来ていて、直感的に「あ、この国いいな」と思い、会社にお願いして、自分も出資をして会社を創ることにしたことがきっかけです。TIAM設立をしたのは、ミャンマーで起業して4年ほど経った2018年です。

私には4歳になる子供がいるんですが、その子供が大きくなっていくにつれて、ミャンマーの文化的な設備、特に教育制度に課題が多いことに「この子が大きくなったらどうしよう」という不安を抱き始めました。それで、無いなら自分で創ろうということで、教育事業を考え始めたんです。

やるなら、子供がもっと楽しいと思えるような学校を作りたいと思っていました。まだ会社を創る前に、自分に何かできることないかなと考えていて、プログラミングスクールならできそうだということで、昨年の5月にワークショップを開催したんですね。そしたらそれがすごく良かったです。親御さんからは「早く教室を開いて欲しい」と言われ、何より子供たちがすごく楽しそうな顔をしていたんです。

あるお子さんが、テキストとは違うことをやっているのを見て親御さんが「先生の言った通りにやりなさい」と言われた時に、こちらが「これでいいんですよ」と言うと、親御さんの表情がすごく柔らかくなった、ということがありました。後から、そのお子さんは学校では落ち着きがないために信頼されていなくて、何か問題が起きるとすぐその子が疑われてしまうことが多く、よく学校の先生に呼び出されているということを親御さんから聞きました。

ミャンマーの教育は日本と似て詰め込み教育なので、レールから外れると否定されてしまうという経験をしていた子たちが、むしろレールから外れたら褒められた、ということを経験することが新しかったのではないかと考えています。

このワークショップで感覚を掴めたことで、プログラミングスクール、キッズラボの全てが始まりました。

小学生の時の感じた「ゲームって自分で創れるんだ!」という感覚を子供たちに伝えたい

ー こうしてキッズラボが始まったんですね。岩佐さんがキッズラボの教室で大切にしていることって何ですか?

私たちがキッズラボでやりたいことは、子供たちに「世界は自分で創っていける」ということを感じてもらうことです。

今プログラミングスクールに通っている子供たちには、最初はプログラムの細かい意味が分からなくても良いと思っています。それよりもむしろ、プログラミングを通して小さな成功体験の積み重ねをしてほしいと思っています。私もプログラミングを始めた頃、意味も分からずただひたすらソースコードを打ち込んでみたらゲームが創れた!という感覚を持ちました。あの感覚は何にも代え難いと思うんです。

その感覚はキッズラボに通っている子供たちも感じてくれていると思っています。自分で創ったゲームで遊んでいる時の子供達の顔は本当にキラキラしているんです。

それと、子供たちにはあらゆるクリエイトをしてほしいと思っています。棚一つ例に取っても、できたものを買ってくるのと、設計から自分で考えて創るのとでは全然違うじゃないですか。自分で創る経験を積み重ねることであらゆるモノに対して「当たり前だけどこれって誰かが創っているんだよね」というのが分かるようになって、「誰かが作れたなら自分にもできるかもしれない」というマインドセットを持ってくれたらいいなあと思っています。

その過程で自分の得意なコトだったり、熱中できるモノを見つけてクリエイトをして欲しいなと思っています。そうすることで将来やりたいことだったり、職業選択に活かせるのはないかと思っています。

そのために私たち大人ができることは、その場を提供し、一人一人の「好き」や「得意」を伸ばしてあげることだと思っています。だからこそ、キッズラボでは完全個別指導制をとっていて、全然違うレベルの子たちが同じ教室で、自分のペースで学んでいます。ある子はプログラミングの才能があって、プログラムを組むのが速い、ある子はビジュアルへのこだわりがあって、デザイン性のあるプロジェクトを創ることが得意。その「好き」や「得意」を見つけることがメンターにとってとても大切になってきます。

今はまだプログラミングのみですが、今後はより幅の広いクリエイトをしていける場を子供たちに提供していきたいと思っています。

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