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小金澤硝子の社長ってこんな人!ケンカ、大ケガ、やんちゃ盛りの子ども時代から、社長になるまで ~高校生編~

「1とⅠ、0とOは何が違うんだ」

高校なんてね、行くつもりなかったんですよ。だってまず、勉強がおもしろくなかった。

中学の頃、どうしても数字の1とアルファベットのⅠの違いがわからなかったんです。

0(ゼロ)と、O(オー)とかも。どう見ても同じ形じゃないですか。

でも、いくら先生に質問しても、Ⅰは1じゃない、Оは0じゃないって言われる。

そんな調子だったもんで、高校に行って勉強しようなんてことはまず考えませんでした。

そんなことして将来何の役に立つんだ、ってね。


それで、料理の専門学校に行こうと思ってたんです。

料理は好きだったし、その道で職人になろうと思ったんですね。


でも結局、高校には行きました。

中学で生活主任の先生に呼び出されて説得されてね。先生が何校か候補を出して、推薦で入れてやるからちょっと親と相談しろ、と。

どれも偏差値もへったくれもない、いわゆる不良高校だったので、電車通学ができるところを選びました。電車通学ってなんか高校生っぽくて憧れたんですよね。

「ラグビーとの出会い」

そんなこんなで高校に入学したはいいものの、すぐに休みがちになりました。

友達もみんな付き合いが良かったので、親が出勤したら誰かの家に集まって、ビデオ見てボケーっとしたりタバコ吸ったり酒飲んだり、そんな生活をしばらく続けてました。

真面目な高校じゃなかったので、廊下がタバコくさくて、行ったら行ったで先輩から目をつけられるし、くだらない学校だな~と思って。

やっぱり就職したほうがよかったかな、なんて思ってるうちに、ラグビー部の連中が何となく気になるようになってきたんですよ。

なんかよくわかんないけど朝から泣いてたり、授業中ずーっと寝てたりして、なんか充実してそうだなと思ったんですね。


泣いてる奴がいたのは多分、練習がキツかったのか先輩にいじめられたのか、まあそんなところだと思います。

で、それを見て「こいつは泣いてるけど、俺だったらできるな」と思って。

それで、席が近かった子を誘って一緒に入りました。

一人で入るのはちょっと嫌だなっていうくらい、ガチガチのスパルタラグビー部だったんですよ。ラグビー推薦で入学してきたような人もいっぱいいてね。

全国優勝も当時5回、準優勝も5回!みたいな。実力はちゃんとあって、強かったんです。

そんなラグビー部に入ったのは、今思えばかなりその後の人生に影響しましたね。


次回▶小金澤硝子の社長ってこんな人!ケンカ、大ケガ、やんちゃ盛りの子ども時代から、社長になるまで ~高校ラグビー編~


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