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【田中 裕也を知る】既存の価値観に凝り固まらず、新しい価値観を受け入れて支え合える仲間でありたい。

現在、仲間の多くは ”現経営者”。中には ”新卒メンバー” や ”アルバイトメンバー” も在籍しており、小規模ながらも多様性に溢れたメンバーが集まっています。

雇用形態にこだわらず、役員・正社員・アルバイト・業務委託が分け隔てなく1つのチームとして、プロジェクト毎に最適なチームを組成し、経営支援に当たっている私たち。

それぞれが感じてきた想いや源泉に触れながら、幼少期から現在に至るまでのストーリーをインタビュー形式でお届けします。


田中裕也(タナカヒロヤ)|1987年生まれ。奈良県出身。2006年東京大学入学、同大学院工学系研究科修士課程修了。2012年より10年間、総合家電メーカーにてキッチンや浴室の素材技術を担当、特許約30件出願。業務の傍ら神戸大学MBAに通い2016年卒業。
2018年アメリカシリコンバレーに短期派遣、左脳的な分析思考だけでなく、右脳的なデザイン的な価値創造の可能性を認識。2022年、デザイン系コンサルティング企業に転職後、2023年より株式会社創生アドバイザリーに参画。主に中小企業向けの事業開発支援を担当。

誰かの喜ぶ姿や自分の信念をモチベーションに、新しい文化を楽しんだ学生時代

ーー学生の頃はどんな子でしたか?

小さいころは、感受性の強い子供だったと思います。仮面ライダーのショッカーに共感して泣いたり。
焼き芋大会を企画した時の、友達の喜んでいる顔がとても印象に残っています。

一方で、やると思い込んだら突き進む面から、しんどくなって自分に向き合い続けた時期もありました。

テニスの授業中、あまりにもボールを返せないので「ブラックホールやな」と言われるくらい、本当に球技がだめで…
中学では陸上部に入りました。

「長距離は運動神経なんて関係ない。練習すればその分結果が返ってくる。」
先輩から受けたこの言葉を信じ、放課後は走りこむ日々でした。


ーー大学生活はいかがでしたか?

大学からは東京に行き、新しい文化との出会いがたくさんありました。
標準語はテレビの中の言葉ではないのだということを発端に、自分の周りだけが当たり前の世界ではないと気付かされました。そう気付くことが楽しかったです。

オリエンテーリングにも出会いました。

地図とコンパスだけを頼りに、藪をかきわけ川を飛び越え、山中のチェックポイントを順番に回って走るタイムを競うスポーツです。

同世代の人数が少なかったこともあり、大規模イベントの運営統括を1人で回したり、主将をやらせてもらったりしました。
練習しろというのでなく一人一人の個性と思いを応援するような、変わったリーダーでした。大学対抗戦で日本一になることもでき、良い経験になっています。


ーー大学卒業からキャリア選択について教えてください。

大学の専攻は化学でした。幼いころから「なぜ?」と聞きまくるような好奇心の強い子供だったんです。
科学も、虹がなぜ虹色に見えるのかのような、世の中に対する新しい見方を教えてくれることが楽しかったです。

研究しようと大学院まで進んだものの、今の研究が世の中に出て、使う人の役に立てる実感が持てず、修士卒で就職を選びました。

そして、化学の技術でエンドユーザーに届く製品を作ることができる「パナソニック株式会社」に入社。とにかく周りが良い人ばかりで頑張れました。

しかし入った当初から赤字が続き…先輩も同僚も” 良い商品 ”を作ろうと必死に頑張っているのに、全然良くならない。「技術的に良いだけではなく、何か別の理屈があるに違いない」と考え、知識を体系的に学ぼうと社会人大学院を受験。私費で、週末に経営学を学びました。

文系と理系の考え方の違いは、本当に衝撃的で。
1+1が必ず2になるような、再現性が重視される理系の世界で生きてきた僕にとって、説得力がある仮説の考え方は新鮮で楽しかったです。

何より、経営者など経験豊かな同級生と出会えたことが本当に良かったです。

「どうやって」ではなく、「何を」作るかを考える人になりたい

パナソニックには10年在籍しましたが、どうにかしなきゃと思うことがでてきました。

暑い工場で汗水たらして頑張ってくれている人や、使う人のことを思って頭を悩ませて企画設計している人の思いが、エンドユーザーに伝わらないことが悲しくて。

この課題を解決するには、「どうやって」作るか考える人でなく、「何を」作るかを考える人にならないといけないと思い、デザイン系の企業へ転職。年収は3分の2になりました。


ーー勇気のいる決断でしたよね。どういう思いでキャリアを選択されていたのでしょうか?

自分にとって大切な人の笑顔のため。周りにいる人が幸せになってほしい、その一心だったと思います。
こういった考え方が、現場の方や企画の意図が伝わらない同僚などへの福音になると思いました。


ーー転職時はいかがでしたか?

1社目とは職種も使用言葉も何もかも違って大変でもありましたが、新しい知識との出会いがあったことは良かったです。

一方で、顔が見えるメーカーさんへのお役立ちを第一に思っていた自分の理想にマッチしないと考え、退職しました。


ーーこの1年を振り返っていかがですか?

知り合いの商社とお仕事をさせていただいたり、結婚を見据えて転居したり。
ふとしたご縁で創生アドバイザリーに参画しました。

新しいことを知ることもでき、できることも広がって、そして近くの人が喜んでくれる。自分にとっての大切な人が変化している1年でもあります。

「自分の周りの人を大切に何かしたい」は小さい頃からの価値観ですが、同じテーマで誰かと何かをすることで、関わる密度が濃くなり、関係性が構築されるのだと実感しています。


ものづくりに関する風上から風下まで、理解し導く力

ーー裕也さんはご自身を”何屋さん”と表現されますか?

まだ明確な答えはないんです。大学から含めると15年以上は技術屋でした。

しかし創生アドバイザリーでは、ものづくりのハードスキルを使う機会はほぼなく、むしろ自分のソフトスキルだけで生きてきています。事業企画・リサーチ・営業支援・採用支援など幅広くやらせてもらっています。

ソフトスキル面で僕が思う僕の強みは、人当たりの良さや素直さ、誠実さ。
素直に相手の話を聞いて、誠実に仕事でこたえることを意識しています。雑多な情報から仮説を立てることも得意です。

また、パナソニックでは開発を中心に、企画・調達・生産技術など幅広く経験したので、ものづくりに関して様々な視点で理解し、入り込みやすいことも強みです。


ーー今はどちらかというと物事を作る人に見えますね。

ものづくりというフィールドにいる方たちに対して、何かのしがらみで事業が進まない状況をうまく導きたい。

ものづくりに関する風上から風下まで、一緒に歩みたいと思っています。


ーーどんな人たちと仕事がしたいですか?

自分がやりたいことのために仕事をしている人にとても惹かれます。
既存の価値観に凝り固まらず、新しい価値観を受け入れて支え合える仲間でありたいです。

対企業様でも、単に売り上げを大きくしたいなら他にマッチする人がいるはず。
それよりも大事にしたい思いがある企業様とご一緒できれば嬉しいです。

Wantedlyのストーリー・HPにて、その他メンバーや事業者のインタビューを掲載中です。

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