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「3回出戻り!?」の異例の社歴を持つ、自由で型破りでシェケナベイビーなビーモーションの重鎮 IKさんへインタビュー!

【プロフィール紹介】
IKさん
北海道生まれ、宮崎県育ち。現在第一営業部マネージャーとして、営業の1、2、3課と採用を担当する他、新人スタッフのトレーニングチームを担当。

【経歴】
1995年~ ★ビーモーション(東京)に2年間勤務。(販売員・運営チーム担当)
1999-2000年 ワーキングホリデーでバンクーバーへ。
2001年~ ★ビーモーション(関西)で半年間勤務。(リクルート・採用担当)
2002年~ ★ビーモーション(東京)で約2年間勤務。(営業担当)
※そこから約8年のブランクを経て
2012年~現在 ★ビーモーション(関西から東京)に勤務。(トレーナー・研修/講習・営業を担当)

仕事は二の次、プロも目指してスノボに生きた20代

――IKさん、本日はよろしくお願いします!ではまず、趣味についてお伺いします。
僕ずっとスノボが好きで、若い時はスノボをしたいがために仕事してましたね。「プロになってやろう!」ぐらいに思ってたんで、スノボしたくて会社を休むこともありましたよ。この会社ではそのへんけっこう自由にさせてもらえて、一回スノボで靭帯をやっちゃった時も、片手吊りながら片手でパソコンやってましたけど、咎められることもなかったですね(笑)。

――どんな技ができるんですか?
ハーフパイプとかはやってなかったけど、ワンメイク(最近だとビックエア)と言って大きいジャンプ台を飛んでいろんな技をやるやつをやってました。当時はそんなにくるくる回らなくても、2回転したら「おー!すげぇー!」っていう時代だったんで。

――スノボを始めたのはいつですか?
東京に来てから18才ぐらいの頃、アルバイト仲間に誘われたのがきっかけでハマったんですよ。それこそ金曜仕事が終わったら、夜新潟とか長野まで行って、土日いっぱい滑り倒して、戻ってまた仕事に行くみたいな生活をしてましたね。

――18才から始めてビッグエアできるとかすごくないですか?
頑張りましたからね(笑)。と言うのも、もともと小さい頃から器械体操みたいなことが好きで、特に習ってはいなかったけど、バク転とかバク宙とかそこにひねり入れたりなんかはできたんですよ。高校生の時も「バク宙一回ひねり」をグラウンドでやってましたからね。

――宙を飛んでる時って、周りは見えてるんですか?
景色はちゃんと見えてますよ。僕が「スノボはそろそろもういいかな。」と思っている頃に、縦と横を混ぜるような難易度の高い技が出はじめたんですね。そのぐらいからはもうやってないから、どんな景色が見えるのかはわからないんですけど。単純に横と縦の回転だったらぜんぜん見えてますね。

――今飛べますか?
どうでしょうね。ここ3年ぐらいはスノボはやってなくて、スキーばっかりやってるんで。体が覚えてるからできなくはないと思いますけどね。360度ぐらいは回れるんじゃないかな。




ここが私のアナザースカイ

――どんなきっかけで、宮崎から上京されましたか?
ずっと海外に行きたかったんですよ。海外で仕事をしたりしながら長沖滞在したくて、そのためにお金を貯めようと思ってました。東京へ来たのは、北海道で生まれて九州で育ったんで北と南は行ったから、「じゃあ次は真ん中行こう!」という単純な発想からでしたね。

――そこは「首都だから」ではないんですね(笑)。
じゃないですね。正確に言えば実際の真ん中は名古屋かもしれないけど、まあ良しとして(笑)。

最初は別の会社で量販店の仕事をして、ある程度お金を貯めてから一度宮崎の実家へ戻ったんですけど、友人に「おもしろい仕事あるぞ。」と誘われて上京した仕事先がビーモーションでした。もうちょっと貯金しようと2年ぐらいビーモーションで働いたんですけど、ある程度お金も貯まったし、もともと海外に行く予定だったんで、「辞めます。」と言って。それからワーホリのビザで1年半ぐらいカナダのバンクーバーに行ってましたね。3ヶ月はユースホステルに住みながら語学学校に通って、同時に職も探して。そもそもカナダへ行ったのも「スノボで生活できないかな?」と思ってだったんで、ウェストバンクーバーにあるサイプレスマウンテンという山のスキー場が経営するスポーツショップで、販売の仕事をしてました。

――自分もたまに滑れるんですか?
そうですね。スキー場の付属で、年パスをタダでもらえるからそこで働いてましたね。半年ぐらい働いたらまた語学学校に通って、一度日本へ帰国して再度カナダに戻ったんですけど、友だちと「これからどうしようか?」なんて話してたんですよ。それでふと、「アメリカ行っちゃうか?」って。思い立ったら即行動するタイプだから、気付いたらアメリカにいましたね(笑)。

――アメリカのどこですか?
そりゃアメリカと言えばLAですよ。LAに友だちがいて、そこに1か月ぐらい住ませてもらったんです、しかもスラム街に。それがまた刺激的でね。だって行ったその夜に銃声が聞こえて、ヘリコプターのサーチライトで照らされるんですよ。「やっぱすげぇなアメリカ。」と、全身鳥肌から始まったLA生活でした。ハリウッド然り、有名どころあるじゃないですか。ああいう所を初めて自分の目で見ると、興奮してね。気持ちもハイになって何でも許せちゃうような感覚って言うんですか、とにかく楽いんですよ。サンタモニカビーチで一日ダラダラ過ごしてみたり。なんか、シンプルにそこに生きる人たちが良かったんですよね。上半身裸でランニングしているようなヤツが、‘What’s up!(調子はどう?)’って話掛けてきたりして。もう「ここだな、ここに住んじゃおう。」と思って、気付いたらLAの大学を探してました(笑)。それで気付いたらインタビュー(面接)も受けて入学資格も取って、いざビザの切り替えをしにカナダへ戻ったんですけど、なんとカナダの日本大使館では手続きができなくて。。。仕方なくビザの切り替えのためにまた帰国することになったんですけど、結局最後は、例の如くめんどくさくなってアメリカ行くのをやめたっていう(笑)。

――めんどくさいのスケールでかっ(笑)!カナダではバンクーバー以外どこに行きましたか?
最初の1年はバンクーバーのダウンタウンに住んでいて、残りの半年ぐらいはウェストバンクーバーの一軒家に友だちとシェアで住んでました。最高に面白かったなぁー。毎日がアドベンチャーでしたね。髪は金髪で、現地の友だちとロブソンストリートをスケボーで駆け回って、夜はお酒飲みながらビリヤードやったりね。イケイケでしたね。バンクーバーは四季もあって冬は雪も積もらないし、山も海もあってほんと住みやすいんですよ。他に行ったのはジャスパーとかバンフとか、要はカナディアンロッキーのところまでは行きましたね。

※バンクーバー時代のIKさん。隣は当時の職場の友だちダニー。(店長)

――オーロラは観に行かなかったんですか?
イエローナイフには行ってないですね。めんどくさかったんで(笑)。

――期待を裏切らないな(笑)。英語はペラペラですか?
ペラペーぐらいじゃないですかね。ペラペラまではいかない。

――でもアメリカの大学に入れるぐらいですよね?
実際しゃべるとなると、教科書の英語とは違うじゃないですか。最初はホテルの予約取るのも大変でしたよ。カナダ行ってからですね、しゃべれるようになったのは。あえて日本人とはあまりつるまないようにして、仲良い日本人は1~2人だけ。そいつらとも面と向かって合って話す時以外は電話でも全部英語にしたり、徹底してましたね。アルバイトも現地の日本食屋さんとか日本人向けの観光関係じゃなくて、現地の人たちが来るスポーツショップを選んで仕事環境は「英語オンリー」にしたり。お酒も、仲良くなった仕事の連中(現地人)と飲みに行くようにしてましたね。おかげで英語も遊びも現地人にたくさん教えてもらって、一皮も二皮も剥けたんじゃないかな(笑)。

――カナダでの生活はIKさんの人生にどんな影響を与えましたか?
カナダはもともとゲイパレードも大々的にやるようなオープンな国で、なんとも不思議な魅力があるんですよね。公園に子連れで遊びに来てるお父さんからマリ○○のにおいが漂ってきたり。おいおいおいって(笑)。楽しかったなー、カナダ。けっこう価値観変わりましたね。ちっちゃいことであまり怒らなくなった。昔はけっこう短気だったんですけど、カナダのワイルドライフが変えてくれましたね。人が人と違うところを「個性」として認めることを教えてくれた国です。移民だらけでそれこそ個性の塊のような国なんですけど、僕のこともちゃんと受け入れてくれて、何気にみんな優しくて。いい街でしたね。すごく「人間観」を鍛えられた気がします。ここが私の、アナザースカイ。

合計3回!?「出戻り社員」の自由で型破りな生き様

――カナダから帰国した後、どんな経緯でまたビーモーションに戻りましたか?
そうそう。それで1年半ぐらいして宮崎に戻ってからは、友だちの飲食店を手伝ったりしながら遊んでたんですけど、僕が最初にビーモーションにいた時によくしてくれた上司から、「戻ってきてくれ。」と連絡があったんですよ。それで「いいですよ。ただ住むところはないですけど。」って答えたら、「会社が全部用意するから、とりあえず戻って来い。」と言われて。そこから2~3年働きました。二度目のビーモーション勤務でしたね。また辞めることになったんですが。

――何かあったんですか?
その時は父が病気になってしまったので、辞めて地元へ戻りました。「俺も一緒に看病するわ。」って言って。しばらくして父は亡くなったんですけど、その後もすぐには就職しないで、別の友だちの会社を手伝ったりしながら地元で過ごしてました。

――自由を愛するスナフキンですね。
そうかもしれないですね。人生、その時、その時にやりたいことを優先したいっていうのかな。

――でもいろんなところから声が掛かるのは、才能・人徳ですよね。
たまたまじゃないですかね(笑)。飽き性なんでしょうね、僕。だいたい2~3年で辞めてるんで。僕はこの会社ができて5年ほど経った頃に入社したんですが、会社の仕組みもよくわかっているので、ありがたいことに何かある度に声を掛けてもらっていて。で、その後もまた関西に来てくれと言われて、大阪支店で半年働きました。オファーを断ったこともありますよ(笑)。

――その話もお願いします。
実は今回(4回目)にビーモーションに戻ってくるまでに、8年ぐらいのブランクがあるんですけど、その間に一度、九州の福岡支社でやってくれと頼まれて。直前までは行く予定だったんですけど、ギリギリになって「やっぱりやめとこう。」って断ったこともありました(笑)。

――「飽き性」とも言っても、今回は8年勤続されていますね。
歳を取ったんでしょうね。でも楽しいですよ。社員がやりたいことに対して、会社はNOとは言わないので。やり始めた以上は途中で投げ出すのは卑怯だと思うから、それを一つずつこなしてたら気付けば8年経っていた、という感じです。

――大変だと感じることはありますか?
特にないんですよね。今はマネージャーなので、もちろん「責任」というある程度の大変さはありますけど、気持ち的には昔とあまり変わってなくて。大変よりも楽しいって方が勝ってるかな。

――会社の食事会や飲み会は多いですか?
今は「僕が参加する飲み会」は少なくなりましたけどね。奥さんもいて子どももまだ小さいので、家族の時間を優先させていて。昔は激しかったですけどね(笑)。週5日勤務で、週7で飲みに行くぐらいの感じでした(笑)。そのうちの3~4回は朝まで飲んで、そのまま仕事するみたいな。バブルですね。今は、体力続かないと思いますけど。でも仕事はきっちりやりますよ。絶対に遅刻しない。最近は飲みに行けてないんですけど、行かれなくても「オッケーまた次回誘うね。」って感じで、社員同士の距離感は心地良いですね。嫌なものは嫌と言ってもそれを否定しないし、やりたいと言ったことは認めてくれる。創業者からの遺伝子ですかね。

――IKさんの今後の計画はありますか?
まずはこの会社の中で、社長になろうと思ってます。どうでしょうね、ある程度の事をやりつくしたら、次の後輩に任せて出ていきたいとは思ってますけど。多分出ていく時も、何も言われないでしょうね。昔からうちの会社は「去る者追わず」だから。出ていくことに関しても寛大だし、戻ってくることに関しても同じで。

――IKさん以外にも「出戻り」の方はいますか?
いますね、他に2人ぐらい。「タイミングさえ合えば戻ってきてもいいよ。」と言ってくれる会社ですから。スタッフをたくさん持ってるから、「それぞれその時、その時でやりたいことがあるだろう」という考えで、人を大事にしてくれる会社ですよ。

――ちなみに今は一番、何に情熱を向けていますか?
特にないんですよねー。やりたいことやり尽くしたかもしれないですね。金髪もしたし、スノボもさんざんやったし。ちなみに金髪の前は真っ白にしてました。ラルクのHydeに憧れて。脱色を永遠に繰り返して最後に少し青を入れるっていう(笑)。ちなみに歌も好きで、カラオケもよく行っていましたね。今度、機会があれば一緒に行きましょう!

はい!端っこでタンバリン叩いときます(笑)。今日もなんともワールドワイドでスケールの大きい、刺激的なお話をありがとうございました。疑似世界旅行でもした気分ですね。また、次回もお楽しみに!!

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