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上手くいかなかった就活・新卒時代からKaroirno創業へ

「テクノロジーとそれを必要とするビジネスをつなぐ架け橋となる」をミッションに掲げ、2022年6月にスタートしたKarorino株式会社。かつてないコミュニティ事業を通じて、企業がより効率よく自社にとって最適な業務システムを選択できるようにサポートすることを目指しています。「企業が本業に集中できる環境を整えることで、社会全体を推進したい」と語る創業者・加川大輔に、自らが抱いた課題感と起業を考え始めた経緯について聞きました。 

まったくの興味圏外だったSaaSビジネスに飛び込む 

—バックオフィスSaaS型クラウドサービスでメジャーなfreee株式会社を出て、起業した経緯を聞かせてください。もともとSaaSに関心があったのでしょうか?

いえ、就活の時にはfreeeという会社のこともSaaSのことも知らなかったんです。全力で働きながら自分のキャリアを切り拓ける会社に行きたい、と考えて金融や広告会社、商社など大手を満遍なく受けたのに、笑っちゃうくらいダメで。グループディスカッションなどは難なく突破して最終面接まで行っても、そこから先に行かない。正直なところ悔しかったですよ。なんで俺をとらないんだ?!って(笑)。せっかく内定が確定していた証券会社も面白くなさそうな気がして、断ってしまいました。

留学しようと大学院入試に向けて動いていた頃、あるエージェントから紹介されたベンチャー3社のうちの1社がfreeeでした。

—freeeに決めた理由は何だったのでしょう?

 初めは小さい会社だし、会計ソフトなんてまったく興味がなかったんですよ。それが変わったのは、面接の時です。その時話した野澤さんという人がめちゃくちゃ熱量のある人で、こんなにも本気で働く人がいるんだ、真顔で熱く仕事について語る人がいるんだ、と衝撃を受けたんです。初めてこの会社に入りたい、と本気になりました。ITの最先端を行っている会社だから、とか後付けで自分を納得させる理由を考えましたが、あのベンチャーらしい熱さに惹きつけられたのだと思います。

考えてみると、大手を受けていた時は最終面接で「検討しています」と言えても、「御社で働きたいです」とは言えなかったんですよ。自分がどうしたいかを大切にしたいタイプなので、思ってもいないことは言えなかった。企業側も、それをちゃんと見ていたんでしょうね。

 —入社してからは期待通りでしたか?

 いえ、初めのうちは普通の新社会人と同じように、自分が期待していた仕事像とのギャップを感じましたよ。それは、仕事がわかっていなかったからです。

 入社1年目の7月に、上場企業や上場準備企業向けのエンタープライズプランの立ち上げ部署に配属されました。それまでfreeeがやってきたビジネスとはターゲットがまったく異なるので、一種の社内ベンチャーですね。メンバーはみんな激烈に働いていました。

僕自身は思うように成果を出せず、自分の課題を思い知らされた時期でもありました。社内で唯一のプリセールスのようなロールを任されたんですが、飛び抜けてパフォームしていた社員ではありませんでした。

転機になったのは、入社1年目の1月に行った地方営業でした。同期の新卒2名と2年目の2名で、関西と九州を回ったんです。

試行錯誤の末腹落ちした、バックオフィスSaaSの意義

 —その時、何が大きく変わったのでしょうか?

ひとことで言えば、製品の意義について本音で腹落ちしたんです。

僕はそれまで、首都圏内でしか営業したことがありませんでした。東京周辺では、中小や個人事業主でもそこそこIT化されている。正直なところ、僕自身どの会計ソフトを選ぶかなんてわずかな差分だし、別にfreeeでも弥生会計でも大した変わりはない、お客さんが便利だと感じるほうを使えばいいんじゃないの?という認識でした。営業先でも「お客様が優先するべきものは、そもそもシステム導入じゃなくて業務整理じゃないですか?」と言ったり(笑)。

 ところが、東京を離れると状況が違い、衝撃を受けました。福岡と大阪を中心に京都や大分、熊本などを回ったのですが、導入によって本当に大きいインパクトがある会社が多かった。そこでようやく、freeeそのものの意義やシステムを変えることの意義が実感できたんです。

 「ペーパーレスにしたいけどシステム導入にかかる費用が高すぎる」と言っている会社が、一方でずっと大きな金額をかけて蔵を建てているのを見て、いやいや、それよりSaaSを導入するほうがずっとバリューがあるじゃないか、と(笑)。これが実情だ、と思い知りました。

 この経験を経て、営業スキルそのものは変化していないのに成績につながり、導入支援チームに異動しました。

 —導入支援では、社内の「ベストサクセス賞」を受賞するほどの成果を上げたそうですね。

 はい、異動して3ヶ月後には、メインのクライアントを担当するようになりました。受賞の頃には、会計・人事労務の導入支援コンサルタントとして大型クライアントを任せられる存在になっていました。

もともと僕は営業ではなくプロダクトの近くで仕事をしたくて、導入支援を希望していたんです。顧客よりも、プロダクトのバリューを上げることに興味がありました。営業の介在価値がわかっていなかったことも理由の一つかもしれません。僕自身が何であれ営業マンの言うことはあまり聞かず、自分で決めたいタイプなんですよ。

それが、営業を経験したことがプラスに働き、クライアントが何を求めているのかを理解した上で適切なサービス提供を行えるようになりました。営業が努力して獲得した案件の大切さもわかったので、営業とのコミュニケーションも密になりました。今の自分のスタイルの核は、この時に作られたのだと思います。



 ミッションとの矛盾に気づき起業を意識

 —起業を考え始めたのはこの頃だったんでしょうか? 

そうですね、もともと起業なんて考えたこともなかったのですが、大きな課題が見えてきたのがこの頃でしたね。 

当時freeeの人たちはほとんど、自分たちの製品は簡単だから教えなくてもユーザーが自力で使えるだろう、と思っていました。本当にそうなのか、ユーザーにとって本当の意味で製品が役立っているのか、追求しないんです。費用対効果という壁があって、スモールビジネスであればあるほどサポートのための投資は目先の採算に合わない、だからやらない。

ITの力でスモールビジネスを成長させることが、会社のミッションです。ミッションをかなえるためには、利益を削ってでも使いこなせる方法を考え出そうとするべきですよね。でも会社はそこに取り組まないし、みんな会社から降りてくるKPIしか見ていない。

クライアントによって会計システムを導入する目的や解決したい課題が違うのに、画一的な提案をするのも納得できませんでした。必要な機能も不必要な機能も、パッケージにして売ろうとする。つまり、根本的にユーザー目線が足りないということですよね。

 この課題に気づき始めた頃には、自分の数字が会社にインパクトを与えられる規模になっていました。会社の成長に自分の力が影響している、さらに言えば会社を通じて自分の力が社会に影響を与えている、という実感が湧いてきていました。もちろん営業やサポート、開発の方々の力があってのことなので、自分だけの力ではないのですが。

それまでは自信と謙遜の間を行ったり来たりしていたのですが、自分の力の範囲内で社会的インパクトを与えるものを作れると思えるようになった。どうしても自分がこの課題を解決したい、という明確な指針を持ったのはfreeeを辞めた後のことでしたが自分でなければできないという自負も、そのための戦略もあります。

次回は、はっきり見えてきた起業への道筋、具体的なコミュニティ事業の構想について話します。

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