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[Misfits社員インタビューVol.3 ]公務員を辞め、沖縄から上京。今にしっくり来ていない人にMisfitsを進める理由

今回お話を伺ったのは、瀬名波永遠さん。Misfitsの3期生として入社し、子育て系のプロジェクトを任されているMC。国家公務員、エンジニア、フリーランスというの異色のキャリアを重ねてきた。

語ったのはMisfitsに出会う前と今。

違和感を覚えながらも働いていた国家公務員時代。海外を自由に行き来し、生きる人に羨望の眼差しを向けていた。働くにつれて「ずっとこのままでいいのかな」と自分の人生に不安を感じた。気づいたら自由な働き方について憧れるようになっていた。

一方で現実は甘くない。

たどり着いたのはマーケター。しかし、そこまでには長い道のりがあった。

今の目標は、Misfitsの懐刀になること。尊敬する大人たちに恩返しをするために。

今回はそんな異色の経歴を持つ瀬名波さんについてご紹介させていただきます。

国家公務員時代

沖縄で生まれ育ち、MisfitsでMCとして活躍している瀬名波さんの人生は、”違和感との戦い”の連続のようだった。

学生時代は、自分が好きなことが何かわからず、常に人の目を気にするタイプであった。心を開くことが怖く周囲を観察しながら最適だと思える行動や意思決定をすることで、周りに必死に馴染もうとしていた。

”自分は何が好きなのかわからない”そんな感覚が常にあり、それは、社会に出ても同じだった。

高校卒業後の進学先は、公務員になるための専門学校に決めた。ファッションや沖縄出身のためマリン系に勤めたかったが現実を見据え公務員になることを決めた。

「沖縄県では公務員のステータスが強く、公務員=優秀で安定」という風潮があると言う。また家系はそこまで裕福ではなく母に親孝行をしたいと思い公務員に決めた。

しかし、在学中から自分は公務員が向いていないとわかっていた。決められたルールや柔軟性のない考え方にずっと違和感をもっていたからだ。

しかし、続かないとわかっていながらも、すでに専門学校に200万円の学費を払っていたので辞めるに辞められなかった。

その後猛勉強の末、倍率200倍近くある公務員試験に合格し、税関職員として働くことになった。

案の定、現場には自由はなかった。現場配属から1ヶ月で「一生この仕事をするのか」と疑問に思った。「自分が欠けてもこの仕事はまた他の誰かによって続く」そう思ったからだ。

それでも他に選択肢が思い浮かばなかったので、仕事を続けていた。

人生を変えた些細なきっかけ

国家公務員の仕事を続ける中で、金融知識を持つFP(ファイナンシャルプランナー)を交えての研修があった。その人との会話はとても”刺激的”だったと当時を振り返って語った。

そこでNISAやiDeCoなどのお金の増やし方があるとを知ったこと、これから先、公務員と言えど年金額や退職金、給与が減るかもしれないことを初めて知り、常識に疑問を持つ目を持つことができたと言う。

その人の話から日本での生活や公務員として働くことに危機感を感じたが、それ以上に面白いと思った。教科書やニュースのような表面の情報ではなく、実際に動いている知識に感動した。

一度疑問に思ったら調べる手は止まらなかった。世の中がどんな仕組みで動いているのか、これから先どうなるのか。

その過程で、ホリエモンやキングコング西野といった当時からビジネス情報を発信する人を見かけ、ビジネスの世界で生きる選択肢を知った。

過去の憧れが背中を押す


いまだ言葉にできないモヤモヤが残っていた。ヒントをくれたのは、海外を行き来する人たちだった。

自由に生きているように見える人たち。

自分も「彼らみたいな生き方がしたい」

そう思ったと言う。実は昔から海外には憧れがあった。学生時代は英検を取得したり、留学試験を受けたりしていた。またおばあちゃんの姉がずっとアメリカに住んでいてよく話は聞いていた。沖縄という米軍基地と共存する街で生まれ育ったため、多様性について憧れがあった。

その思いが彼らを見ると湧き出てくる。

「やっぱり海外に行きたい。」

バックパッカーとして生きようと思ったが、その生き方は現実的ではない。海外で生活するならどうすれば良いのだろうか。

見つけたのは、ITだった。

ITという働き方

それから休みの合間を縫ってITについて調べていた。

すると、Wifiさえあれば、どこでも働けることを知った。現場で働く公務員とは大違いだ。また今後の需要や可能性を考えても、一番再現性が高い。それに海外で自由に生活しながら、働けるかもしれない。そう思った。

そう思った矢先、親に相談したところたまたま知り合いがプログラミングスクールの募集をしていると聞いて、公務員としてまだ働いてはいたが、やってみようの精神で入ってみることにした。

プログラミングスクールに入会し数ヶ月経った頃。

勤めていた公務員を辞めた

そのきっかけは、そのプログラミングスクールの周りにあるコワーキングスペースだった。そこで働く大人たちはみんなイキイキとした表情で仕事をしていた。

その姿に衝撃だったという。

公務員の時は「早く帰りたい」という声や、飲み会では仕事の愚痴ばかり聞かされていたからだ。

シンプルにイキイキとした表情で働く大人たちに憧れを抱いた。

そして多くの人からの反対を押し切り、国家公務員を辞め、そこからプログラミングに打ち込む日が始まったと言う。

人生再スタート…?

プログラミングスクールを始めるといっても、パソコンはほとんど触ったことがない。学校の授業の時くらいだ。

ましてやパソコンも持っていない、タイピングもできない状態からプログラミングを始めた。その時には、SNSも絶ち、友達と遊ぶこともやめた。

数ヶ月、努力し続けた結果、転職先が決まり、就職することができた。BtoB向けの自社開発の仕事だ。

「やりたかったプログラミングの仕事ができる!」

そう思い、仕事に打ち込んだ。

気づけば、公務員として働いていた時の感覚をまた思い出していた。

「あれ、俺ってもしかして、プログラミング向きではない?」「なんか、プログラミング...しっくりこないな」

そんな思いが頭を巡るようになっていたと言う。

自由な生活を実現するためにITを選んだが、IT=プログラミング。

そんな勢いで決めてしまったものだから、特段プログラミングが好きというわけではなかった。

そんな”なんとも言えない違和感”を覚えながら働き続けていた。

天職との思わぬ出会い

“なんとも言えない違和感”を数ヶ月間抱え仕事をしていた。

そしてある時、自社のサービスについてコンサルティングをしているYahooの外部顧問のお話を聞く機会があった。

その人の話す、販売戦略や機能のアドバイス、そしてユーザー心理を聞いているうちに、

「これ、面白いな」と思った。

学生時代の頃から「心理学」には興味があった。プログラミングをしているよりも、その人の話を聞いている方が面白いと感じた。

その人が話していたのは「マーケティング」だと言うことに後から気づいた。

「自分がやりたいことって、これかもしれない」そう思ったのだそうだ。

それから、早朝などの隙間時間や休みの日を利用して、実際にSNSを運用してみることにした。

すると、努力し続けた甲斐あってInstagramのフォロワー数が2,000人を超えた。そこからPRの依頼など来るようになり「やっぱり、これかもしれない」そう思ったという。

そして、2社目を辞める決意をした。

約1年間のフリーランス時代

会社を辞めたのはいいものの、またどうしようかと考えた。

そこで、プログラミングスクールを紹介してくれた方に相談したところ「業務委託で色々やってみる?」とお誘いを受けた。

二つ返事で受け、業務委託をしながら個人でも色々と行動し、実質どこにも正社員としては勤めないフリーランスとしての生活が1年近く続いた。

しかし、フリーランスとしての働きに限界を感じていた。

給料はきつかったし、実務経験がないことに不安だった。自分の年齢を鑑みると、もうこれ以上時間はかけられない。もし転職できたとしても、十分な実務経験を得られるのは1、2社が限度。

「会社に入って実務を積もう。」そう思い立ち行動に移した。そうして就活をする中でMisfitsを見つけた。

人生再スタート!

沖縄から東京へ。距離にしておよそ1,600km。

長い距離と時間を重ねて、やっと自分らしくあれる仕事と環境に出会うことができた。次は国家公務員でもなければ、エンジニアでもない。”マーケティング”をする。

今度こそ、”違和感”を覚えることなく働ける確信があった。

2022年から働き始めて、もうすぐ1年半。自分の向き不向きに目を向ける期間はもう乗り越えた。

次は、ここまで蓄えてきた経験や知識を活かして、関わる人たちと一緒にプロジェクトを推し進める。

採用強化中です!

瀬名波さんは、”違和感”を覚えつつも、それでも”自分に向いていること”を諦めないで探し続けたことで、自分らしくあれる仕事と環境に出会え、”違和感”を覚えることがなくなりました。

Misfitsは誰ひとり“自分を諦めない”社会をビジョンに掲げています。このビジョンの描く社会は『どんな過去を持っている人でも常に新たな挑戦の選択肢があり、社会全体もその新たな挑戦を温かく応援することの出来る、そういう価値観を持った社会』だと私たちは考えています。

このビジョンに共感した方と一緒に働きたいと思っておりますので、気になった方は是非「話を聞きにいきたい」を押してください。あなたからのご応募をお待ちしております。

瀬名波さんからここまで読んでくれた人たちにメッセージ

間違いなく、違和感を覚えて生きてきた人たちには向いている場所です。

みんな心のどこかで「自分の人生を生きたい」「新しく始めたい」「自分を諦めたくない」と思っているものの、それでも現実を見なきゃいけないとも考えてます。

しかし、その「現実を見る」「安定を選ぶ」という言葉に逃げているような気がします。

でも、本当は心の奥にやりたいことあるんじゃないでしょうか?

大人になることは、自分のやりたいことを諦めこのぐらいでいいかなと妥協することではないと思います。

自分が色々と行動していく中で思ったことは「人生なんとかなる」そう思いました。

公務員を辞めた後、プログラミングスクールに通った時、未経験でフリーランスをしたとき。

そして、家も決めず上京を決め友達の家に転がり込んだ時。

全部なんとかなってきました。

「人生は一度きり」この言葉を鼻で笑っていましたが、今では割とモットーにしています。


「後悔する人生を歩みたくない」そう思っているのであれば、Misfitsに向いていると思います。なぜならここには、自分に何も無くてもそういう思いを持って来た人たちばかりだからです。

誰もあなたの感性や考え方、生き方を否定しません。もちろん年齢や職歴、バックボーンも関係ありません。

なので、自分で自分の可能性を本気で伸ばしたいと思う人にとっては、これ以上ない場所です。一緒に一歩一歩成長していきましょう。

自分は自分の人生が嫌いで憎んでいました。でも今では心から自分でよかったと思えています。

一生をかけてやりたいことも見つかりました。それは自分の子供時代にあります。再婚した父親からの愛情を受けることなく、辛い経験をしました。なぜ自分は生きてるのだろうか?そう考えたこともあります。


しかし、今ではその辛い経験を活かし、同じ思いを抱える子供たち、そしてシングルマザー/ファザーの助けになりたいと心から思っています。

その思いを社長は汲み取ってくださり、子育て系のプロジェクトにアサインしてくれました。本当に感謝してもしきれません。


これからも仕事をしていく中で、多く学ばさせていただき地元沖縄、そして日本、世界に向かって行動できればいいなと思っています。

長くなってしまいましたがぜひ、自分の人生を新しく始めたいと思う人はエントリーしてください。一緒に働くことができることを楽しみにしています。

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