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A story I've been to Indonesia and provided education about "Japan" :)

Ayakaです!

今回は私が大学2年生の春休みを使って、インドネシアの地方都市「パダン」でただの日本語講師ではなく、『日本の文化を教える先生』として過ごした日々をシェアします!

It's Ayaka! In this article, I would like to share the experience that I want to Padang, which is a local city in Indonesia, and became the teacher who provides not only the Japanese language but also educations such as "what Japan is", "unique Japanese moral" and so on!

My motivation~before my experience in Indonesia~

3.11の被災地である仙台出身の私。「外国人研修生✖️被災地復興」というテーマを身近に感じることが多くありました。例えば、宮城県の海沿いの街「気仙沼」にはたくさんのインドネシア人研修生が元の街の姿へ戻すために、尽力しています。しかし、復興というキーワードを聞くと、どことなく日本人が頑張っているイメージや報道が溢れていて違和感を感じていました。大学進学のため上京した後、この違和感を後押しする場面に何度も出会います。東京では、コンビニ、ファストフード店、建設現場、あげたらキリがないほど外国人研修生、或いは外国人労働者(come from developing countries)を目にしました。同時に、彼らが心無い扱いを受けていることも知りました。大学1年生の冬、緊張しながら出勤していたインターン先に向かう途中のコンビニで毎日気さくに話しかけてくれるお兄さんは、南アジア出身でした。彼らの温かさを知っているからこそ、もっと日本で働きたいと思ってほしい、外国人にとって憧れの日本を守るためにはどうすれば良いのだろう、そんなことをよく考えていました。


Finding underlying issues

日本には、常識、モラル、マナー、など日本人らしさをつくりだす特有の文化が深く根付いています。日本で育った私でさえ、大学生でバイトを始めてから知るマナーも少なくありませんでした。ケアワーカーを希望する外国人に対して、比較的低い語学力で派遣されてくる研修生たちに、さらに日本のマナーまで求め、批判するのであれば酷ではないのか?という疑問を抱きました。日本語能力だけでなく、モラルの差異、常識の欠如、様々な要因が交差し合い、日本人と彼らの間にvisibleな線を引いているのではないだろうか。このような結論に至りました。

What can I do for them?

ここからはちょっとラフな感じに:)

時間はあるけどお金はない。団体を通した海外ボランティア(?)の様なプログラムから私を遠ざけていた問題でした。(笑) ここでちょっとだけアピールさせてもらうと、物怖じしない行動力だけは幼少期からあった自分なので、今回も団体を通さずにとりあえずインドネシア行きのチケットを買いました。インドネシアを選んだ理由は、ムスリムが人口の大半をしめる彼らは日本での生活でかなり宗教活動を制限されていて、文化による差異により悩んでいるのではないか、と仮定したためです。あと、インドネシアフェスでバイトをした時に、隣の店のインドネシア留学中の大学生と知り合ったことも大きなきっかけでした(笑) 彼の協力もあり、パダンという初めましての土地行きの飛行機を買いました!

Life in Padang :)

現地到着後、まず大学におじゃましたり、市内をブラブラしたり、ゆるく学校探しを始めました。運よく出会った研修生養成学校で講師として活動を始めました。