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そしてチーム「病は気から」となった

 2017年度の1学期、いきなり波乱のスタートだった。

 元々2学期から準備を進め、3学期で稽古を詰めていざ本番という流れを考えていたのが、スクール諸般の事情により1学期になってしまい、それだけでも時間がないというのに、春休み中にお願いしていた戯曲(モリエール作「病は気から」)が廃盤になっていて手に入っていない子がほとんどという状態で4月がスタートした。本番は7月中旬だ。 

 小学5年〜中学3年の子ども達は全員、演劇の経験がない。興味のある子もいれば、人前に立ちたくないという子もいる。モチベーションにギャップがあることは想定済み。主体性を大切にし、それぞれの探究心を満たす時間を設けているスクールの中で、私が描いたゴールイメージの一つは「全員で一つのものを作り上げる(完成させる)」ことだった。矛盾があるように勘違いされるかもしれないが、むしろ逆で、それぞれがそれぞれのクリエイティビティを発揮することで完成する。大事なのは、同じ目的を持つことと、そこに向かう温度だ。

 今回私は、演出という立場として全体を引っ張っていったが、このスクールのナビゲータとしての立場もあるので、いかに私の色を入れないように形にするかも心がけたことの一つだった。演技力は求めない。だが、お客さんに伝わるためにはどうしたらいいかはそれぞれ創意工夫をしてもらいたい。技術的な知識や経験がないとわからないこと、また個人の特性を生かすためのアドバイスまでに止めるようにさじ加減した。あと、役者も裏方も、原則全員経験してもらった。全員がそれぞれに役割を果たさないと、完成しないものがあること知って欲しかったからだ。

 でもやはり現実は厳しく、まともな稽古開始は5月中旬、なかなかセルフを覚えられなかったり、授業時間を使った稽古も数回返しをしたら終わってしまう。挙句2週間前にほとんど覚えられていない子が1週間家の都合でお休みするとか、いつまでも衣装を用意しないとか山あり谷あり。そんな中、プロンプというセリフを忘れた役者を助けてあげる仕事に頑張る人が数人現れ、サポートに入っていたナビゲータの助言もあり、プロンプも見てもらう方法にすることに。これは舞台を経験してきた私には決して思いつかないアイデアだった。セリフへの負担が少し軽くなり、ようやく本番1週間ほど前に通し稽古ができるようになったとき、みるみるうちにみんなの意識が変わっていくのを感じた。みんなが全体像をイメージできるようになったのが大かた。

 そして本番当日、私は表に出さ図、静かに感動していた時間があった。それはゲネプロ直後のダメ出しの時間だった。そのときの全員の意識は「ダメ出しをもらう役者」でも「大人の指示を受ける子ども」でもなく、ただ純粋に本番を成功させるために必要な情報を共有し合うアーティストとなっていた。対等な感覚でやりとりができている、まさに理想的な関係性がそこにあった。それはまさに、チーム「病は気から」となった瞬間でもあった。

 ゲネプロでの失敗も生かし、本番では大きなミスもトラブルもなく、大人がやるような戯曲を65分という上演時間でやりきった彼らの顔は清々しく、誇らしくも見えた。全員が、演出家の操り人形になることなく、それぞれにクリエイティビティを発揮し、間違いなく輝いていた。それは最高に素晴らしく、美しく、そして私にとっても誇りです。