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ゲームから人生を考える

「ゲームで日本一(実質世界一)です」

そういうお話しをすると、ほとんどの方が関心したり称賛してくれたりします。
それは私にとって非常に誇らしいことです。

中学2年生のころ。遊びに来た友人が持ってきてくれたゲームがアーマード・コアでした。
ロボットをカスタマイズするという楽しさと、そのカスタマイズしたロボットで対戦できるという
斬新なゲームにあっという間に夢中になりました。

それからは寝ても覚めてもアーマード・コアで遊んでいたある日、
友人が「対戦会」なるものがあると教えてくれました。

聞けば誰かの家に集まって対戦をするとのこと。要はオフ会です。
今のように気軽にネット対戦ができなかった当時、「他人」と対戦するという機会は非常に貴重なものでした。
そのころ、CPU(コンピューター)相手に余裕で勝てるようになっていた私は
「これなら中々イケるんじゃ?」と
甘い考えを抱きつつ、ウキウキで対戦会に参加します。

当日、集まってきた人たちは対人戦に慣れた強豪ばかりです。
その中には当時日本で指折りの実力者の方もいました。
当然そんな強豪たちに歯が立つこともなく、私の小さなプライドはズタズタになりました。
帰り道、彼らの計り知れない強さと自分の弱さに打ちひしがれつつ、ふと思いつきました。

「あの人たちがあれだけ強くなれるんだから、俺も強くなれるのでは?」
「今回はゴミのようにやられたけど、いつか全員ねじ伏せてやる!」

それからは練習の毎日です。
操作自体が超難しいことで有名だったアーマード・コアだったので
ロボットを動かすだけの練習に、毎日数時間費やしました。
機体を動かす練習。ロックオンをする練習。攻撃を回避する練習など。
敵ロボットもいないテストルームで、天井の明かりをひたすら追いかける(ロックオンの練習)は
本当に気が滅入る思いでした。

苦行でした。何度も何度も辞めようと思いました。
毎日夜遅くまで天井を見上げて、一体自分は何をしているんだろうと。
ただ、これをやらないと絶対に強くなれないし、これは必ず将来に繋がるという確信があったため
苦しみながらも毎日続けました。

同時に、当時流行りだったファンサイトを立ち上げ、同じような志をもつ同士を集めて
彼らと切磋琢磨しつつ、自分の実力も上げていきました。
どんどんメンバーが増えていく中で、自分が教えていく機会が増えていきます。

「この人は感覚派だから、まず実際の動きを見せないと理解できない」
「この人は理論派だから、まず動きの理屈や動く理由を説明しないと理解できない」

様々な人と関わり、人に教えていく中で私のスキルは磨かれていきました。
大会も自分で開催して優勝しました。アメリカや韓国の方たちとも対戦しました。
自分の対戦を見る人のリアクションが「すごい」から「きもい」と変わっていきました。

そんなある日、唐突に気づきます。
「今この瞬間、間違いなく自分は世界最強である」と。
なんとなく感じただけです。でも、確信といえる気づきでした。
目指していた山の頂点に間違いなく立っていると。

これが、私のアーマード・コアの終わりです。


ここまで読んで頂いた方は、私が何を言いたいかもう見当がついていると思いますが
「ゲームも仕事も何も変わらない」ということです。

目標を持ち、それに向かって時には苦しみながらも努力し、成果を残す。
本気で目指す頂上にはすべからく価値があり、何の山かは大した問題ではない。
山は頂上の景色よりも、それを目指して登っている時のほうが楽しかった。

これらはすべてアーマード・コアから学んだことです。
そして、アーマード・コアから学んだことは今でも私の人生の指標になっています。

ゲームから人生を考えられれば、他のどんなことも
必ず人生を考えるきっかけになってくれると信じています。
私の座右の銘「絶対主義」にはそういった想いが込められています。

ここまで読んで頂いたあなたに感謝いたします。ありがとうございます。
まずは「天井の明かりを追いかけること」から始めてみませんか。