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水産団体職員が歴史を語り続ける訳

 私は、水産関係の団体職員だ。
 おまけに出身も東京海洋大学だ。
 
 はっきり言って、
 歴史など1ミリも関係のない世界で暮らしている。

 しかし、そんな私のライフワークは、歴史を

 分かりやすく・面白く・深く

 をモットーに語る活動だ。

 なぜ、そこまでして?

 そう思われるのが当然なので、私がなぜ1ミリも関係のない歴史を語る活動を続けているのか、綴らせていただこう。

 子供の頃から歴史が好きだった。
 具体的に言うと小学5年生の頃に、父から横山光輝先生の

 ・三国志  (全60巻)
 ・項羽と劉邦(全21巻)
 ・水滸伝  (全8巻)


 をプレゼントされてからである。

 寝食を忘れて読んだものだ。
 かっこよく、義理堅く、熱い物語の数々に完全に魅了されていた。

 三国志には劉備(りゅうび)孔明(こうめい)という義に熱く優しい英雄が主人公で、悪役に曹操(そうそう)という才能はあるが、冷酷非情な男が出てくる。
 その頃の私は、劉備や孔明たちが曹操をやっつけて、天下統一する物語なのだと全く疑いもせず読んでいた。

 しかし、現実は非常であった。

 負けるのだ、劉備たちは。

 あれだけ血湧き肉躍る活躍を見せつけた英雄たちの姿をさんざん見せつけておきながら、三国志はかくもあっけない終りを迎えてしまうのである。

 その頃の私はまだ、歴史を物語でしか触れていなかった。

 三国志には公式の歴史書、「正史」が残されている。
 すっかり大の三国志好きになっていた私は、両親にねだり、プレゼントしてもらったのだが、ここでまた大きな衝撃を受けたのである。

 漫画で読んだ、主人公の優しい劉備や孔明が卑怯なことをしていたり、悪役だった曹操がとても魅力的だったのだ。

 その時私は、歴史と物語の違いを、明確に理解した。

 歴史に、物語のような善と悪など無いのだ、ということを。

 成長するにつれ、そんな歴史に対する想いが噴き出してきた。
 その思いをぜひとも歴史に詳しくない人や苦手な人にも伝えたい、と思ってやまなくなった。

 そんな時、あるショットバーに出会った。
 そこでは週に一度、歴史の語りをやる場があるのだ。
 
 その場に参加し、歴史の語りを始めて以来、病みつきになってしまった。

 以来、歴史を分かりやすく、楽しく、深くをモットーに歴史を語り続けている。

 大ウケしたこともある。
 ダダ滑りしたこともある。

 そのお話は、お会いした暁にできたら、幸いです。