自転車事故で、キャリアを見つめ直す(note)
noteの初めに出てくる、ご自由にお書きくださいの文字。
そうなのだ、ご自由に書いていいのだ。
なのに。
ライティング講座を受講して早一ヶ月、インターン先では執筆をしてきたものの、個人的な執筆は下書き止まり。途中で挫折、そんな自分が嫌だった。
今日、1日の小さな出来事から、自分のキャリアについて思ったことがある。
はじめて自転車登校をした。大学が丘の上にあるため、行きは自転車を押すのがキツかったが、帰りは数えるくらいしかペダルを漕いでいない。
自転車に乗って降る坂道では、21年間生きてきた中で一番気持ちいい空気を感じた気がした(いや、トルコの気球にはかなわない?)
そんな優雅なことを言っているのも束の間、空気入れたてのタイヤが勢いよくスリップ。21歳と2日、顔から転倒、ズボンも破け、手のひらには血溜まりが。
痛かった、けれど、すぐに立ち直れるくらいだった。そんなことより、この後の友達と食べる煮魚のことで頭がいっぱいだった。体が軽い。
そんな自分を俯瞰して、あ、まだ若い。そう思った。
心に優しいマーケティング?とライティング講座
最近、コロナのおかげで大学にもろくに通うことができず、楽しみだったゼミの活動も盛り上がらないまま、就活・将来のことで頭の中がいっぱいだった。
今度、アウトプットとして、就活前半期の話は書こうと思うが(自分に圧をかけておく)、どのみちわたしは2月からの6ヶ月、父親に大泣きして電話をかけるくらいまで将来について悩んでいた。
7月、何か吹っ切れて、自分の素質を大切にしよう、と思った。
そこで、自分の関わりたいものはインテリアや生活雑貨、、、これが自分の世界を広げてくれるものには間違いがないことを確信していたので、ほんわかしているが、その分野にかかわる仕事をしようと決めた。(実際、インテリアショップのアルバイトの出勤時は何を悩んでいても色と家具が自分を癒してくれている。うまく言葉にできないけれど)
それでなぜ、ライティング講座なのか。
それは、多分、わたしが、就活前半に感じ取った違和感が理由だと思う。深くは、後日書くとして、なんとなく、資本主義を語る営業マンが苦手だったのだ。そのなんとなくの嫌気に入ってきたものが、コンテンツマーケティングの成功事例でよく挙げられる、「北欧、暮らしの道具展」。
ここで、コンテンツマーケティングに興味を持ち始め、調べたところ、このマーケティングのターゲットは「潜在顧客」なのだ。
「北欧、暮らしの道具展」は、お客さんのことを”私たちみたいな誰か”と呼ぶ。
経済を回すには、消費してもらわなければならないけれど、人は、絶対にものを買う。でも、買わせるのにも、何かを押し売りするのではなく、心から欲しいものを、求めるものを買うことをして欲しい。実際わたしも、本当に欲しいものではないものを買ったとき、それを愛用できないし、また店に行こうとも思わない(店の名前も忘れていると思う。)
好きな魚のお店は、高いけれどすごく美味しい。美味しいから、雰囲気もいいから、通い詰めている。こうやって、何か、愛されて経済が回っていって欲しい。
そんな簡単なことではないかもしれないけど、心に優しいマーケティング(勝手にわたしが名付けた)、これこそがしてみたい。と思った。
コンテンツマーケティングでは、言葉やグラフィックで人を引き寄せているイメージだ。この言葉に引き寄せられたのが他でもないわたし。これをわたしもやるんだ。今まで、将来について嫌々思っていたがなんか希望が見えた。
長くなったが、そういうわけでライティング講座を受けようと思ったのがひとつ。
あとは、会社の名でなく自分を売ることができる手段が欲しかった。
いつか、自分は、絶対に何にも縛られずに生きていくんだ。なぜかそんな野望があった。(なんでだろう、わかったら自分のために書き残しておきたい)
だから、プログラミングだとか、スキル!!!と言われそうなものを見ていた。でも、わたしは自分の素質を大切にしようと吹っ切れた、のに、ここで偽るか?と聞かれたらそうではない。(プログラミング、みじんも興味がない)ふと、「北欧、暮らしの道具展」とライティングスキルが重なった。
コラムという部類に入るので、根本は違うかもしれないが、何にも関係がないわけではない(こじつけかしら)
何にせよ、どうしても自分の手で何かがしたいわたしは、ライティングを選んだ。
ここですっきりさせるために、自分に言い聞かす。
なぜ書けなかったのか
1に、ハイブリット(生活雑貨メディアとライター)を目指そうとしているわたしは、講師のライターさん(ライター一本)と比較して、覚悟がない。そう感じて、後ろめたかった。し、なんか二つ追っかけるのってわがままじゃないの。と、できるの?と自分で疑っていた。
2に、どうしてもライティングと、就職希望を結び付けようとしていた。結果的に、その経験が生きればいい。というか、絶対に生かす。ライターをやりたいなら副業でもやってやればいい。
というので、講座をとっていても、どうしても正直に書き出すことができなかった。
ながーーーーくなったが、自転車転倒事件で、まだ若いと思ったわたし、まだ先は長い。何かを一個に絞ることの方が、自分には難しいし、それが息詰まる原因になるなら分けて考えろ。
大学のゼミ(学部内きってのガチゼミ)も、将来に直結しない、、、と放棄する?いや、だったら高校の古典の授業なんて説明がつかない。このことは、時間があったから、就活のことなんて考えてなかったから、気にしなかったことだと思う。
嫌なことならやらなくていいと思うが、個人的に、判例百選を読み込んでゼミ生で試行錯誤しながら、法律問題点を上げていくのはとても楽しい。(大学生活で一番濃い時間)
やっていることが、今、全て何か一つの物に集約されると限らなくたって、結果的に、自分の中で一個になる、そう思う。
甘い!
と誰かに言われそうだけど。
それは誰かの意見。
失敗をしたら、笑ってやってください、未来の自分。教訓です。
最後に。
noteなんだから。
自由に、書いて。あとは、自分の教養のアウトプットの場として。今日みたいな、何かの気づきの場として。
完璧な文章を目指して、更新してこなかった自分がいるんだけれど、今の自分には、書いてブラッシュアップしてしまう方が、早いかもしれない。
乱文、としか言えないけれど、忘れないうちに絶対に書き留めておきたいと思ったので。
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https://note.com/in_zarahome/n/nd4a24b83e24c
より