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日本生まれ日本育ちの高校生がTOEICで970点を取った話

中学生で英語の参考書を初めて読んだ僕は、何がなんだかわからなかった。

でも、高校3年生の僕は、TOEICで970点というスコアを手にしていた。


勘違いしないでほしいのは、僕がこの数字自体に誇りを持っているのではないということだ。

「他の人と関わり、貢献し、認めてもらうこと」

という目的に向かって歩み

「既存の枠を飛び出た、限界を作らない発想と、努力を楽しむ性分」

こうした力を発揮できたから出てきた副産物にすぎないのだ。



目的について。

僕は、人の役に立った時に最も幸せを感じる。すごいね、ありがとう、といった言葉が最大の報酬だ。 英語を学ぼうと思ったのも、自分が認められ、周囲に頼られたいという思いが根底にあった。

そして、英語弱者だった時期がある自分だからこそ、日本語が達者な自分だからこそ、発揮できる価値があると感じた。ネイティブだがモノリンガルの英語話者よりも、刺さる層があると感じて。そんな打算もあり、英語を学校外で自習することにした。


手段について。

手段は、ハード面では英語学習系ブログとYouTube。そしてフィリピンへの短期留学だ。970という数字を見て、高い教材や英語の塾をイメージされた方もいるかもしれないが、実は僕の学習法のほとんどは無料の、社会人や英語ネイティブ向けの学習コンテンツで成り立っていた。効果的な方法は自分で選び、アレンジしていく。その自由がきくから、こうしたコンテンツは有用だった。

そして、英語を実際に聞き、話すことへの欲求が出てきた僕は、フィリピンに行くことにした。当然お金はかかったが、それ以上に得たものは大きかった。行ってみれば、高校生はゼロ。枠にはまらない発想で渡航したが、結果的には英語学習を、そして人生観を大きく変えてくれた。


結果について。

僕の達成感は、970点というスコアや、大学での高いレベルなクラスに入れたこととは別のところにあった。帰国子女の友人の日系企業への就活を自己分析から手伝ったり、先輩のウェブテストへの学習をサポートしたり、英語が必須なアルバイトをしたりした。最近では、友人の翻訳系インターンの選考に向けサポートし、彼が合格を勝ち取って喜びの報告をしてくれたりもした。


振り返って思うこと。

目的と手段を意識したことがよかった。試験のスコアが目的ではないから、自分の限界を作る必要がないのだ。たとえばTOEIC800点を会社にノルマとして課された人が、満点を取れるだろうか。取れないし、取ろうという発想にならないと思う。

僕には、数字はあまり関係なかった。ただ、他者に貢献したい、認められたいという目的に沿って手段を必死に考え、時間と労力を費やして楽しんでいた。そうした営みの副産物として、わかりやすい数字がついてきただけにすぎないのだ。