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私の紹介文であなたは何を知りうるか

「ストーリーを書く」という素晴らしい機能を見かけたので、私はストーリーを書いてみることにする。

ストーリーとは「順序」があり、そして「2つ以上のものをあわせるやいなや、そこにストーリーが生まれる」のだそうだ。

逆に理由と結果を示してあるものは「ストーリー」ではなく「筋書き」と呼ばれる。

つまり、「私はWantedlyの紹介文を書き、その後、ストーリーを書いた」はストーリーであるが、「私は企業からオファーをもらいたいので紹介文を書いた」は筋書きとなる。

ここでは筋書きではなくストーリーを記載するので、私は順序と2つ以上のなにかが登場すれば良いことだけを意識して書けば良いということだ。完璧でなくて良いのは素晴らしいことであると思う。

さて本論に移ろう。私の紹介文を読んで、あなたは何を知りうるだろうかについて。

それは私の紹介文の意味について、あなたはどう解釈をしたのかという問いに変換することができる。「経歴に魅力がない」「退屈である」という解釈をした人もいれば、違った印象を持った人もいるかもしれない。

それはつまるところ、あなたは「私の紹介文を読んで、あなたが共感できるところを探していた。」という行動をとっていたことになる。これが意味するところは、あなたは私を理解したのではなく、あなたのフィルターを使って、あなた自身を探していたにすぎないということだ。

これを再表記すれば、「あなたは私の理解に努めたのではなく、あなたの興味関心を深めた」ということになる。

それで正しい。あなたは私を理解しようとしたのではない。あなたは私があなたの役に立つかどうかを確認するために見たのだし、Wantedlyを使うのも、おそらくそういう理由によるものだろうと推測できるからである。

ここで大切な認識は、私の紹介文を読むことであなたが知り得たのは、私についてではなく、あなた自身についてであるということだ。

カウンセリングなるものが通常の会話と違って特殊であるのは、こうした通常の認識の上に立たず、純粋に相手を知るために会話が成り立っていくところにあると、私は考えている。

私は相談者に対して、私のフィルターを外した上での純粋な理解、真実の理解を求め、そうした私の態度を通じて、あなたが私の紹介文を読んだ時よりもずっと深く、相談者は自分自身と出会っていくことになる。

これこそがカウンセリングなるものが、「ケア」に足り得る理由である。

残念ながら私の紹介文で、あなたは私のことを理解することはできない。この文章を読んでもなお、それは難しい。(あなたにとって私が有用足り得るかを、あなたが判断できる可能性はある)

さて、この文章であなたは何を知っただろうか?