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人生の編集 -挫折からの復活-

2018年の4月、私は、「アミューズメントメディア総合学院 東京校」に、「ゲームプログラマーになりたい」という夢と希望をもって入学した。

1年の前期はそれでも勉強についていけましたが、途中から苦手な数学ばかりが押し寄せてきて、「どれだけ勉強してもわからない」「授業が早すぎてついていけない」という事態に陥り、2019年の1月にはチーム制作で3Dがうまくできず完全に挫折。かつてプログラマーを目指していたあの時の自分はもうなかった。そこから8か月にわたる長い迷走が始まる。

プログラマーで挫折した以上、他の食べていける能力を学ばないといけない。その能力を見つけるために、色々なことに挑戦した。その時にやったものは沢山あり、色々な物のデザイン、DTM、絵描き、小説など、様々なことに挑戦した。だが、どれも中途半端なので即戦力とは行かなかった。

そんな中、学校でとあるプロジェクトが計画されていた。それは学院Vtuberプロジェクトである。中学~高校時代に動画編集の経験がある私にとって、これは一つのチャンスかと思った。しかし、Aviutlしか使いこなせなかったので、「Premiere使ってください」と言われたときは少し戸惑ってしまった。更に、動画編集部署の中で一番キャリアが長いということがきっかけで、部署の責任者を任命される。もう後に引くことはできなかった。

ある日の夕方に、ある程度やることが終わったので作業用PCに入っているPremiereを起動する。すると、見たこともないようなエディターが開かれる。今まで使ってきた普通の動画編集ソフトや、Aviutlみたいに普通のユーザーが簡単に使えるような配慮はされていない。この時点で、私の手は何もできず止まってしまった。これがこの後1週間ほど続く。

こんな事続けても仕方ないと思い、1週間後には練習用に自分のPCでキャプチャーしたゲームのプレイ動画を読み込んで色々試してみた。字幕を付けたり、字幕が移動するようなアニメーションを組んでみたり、エフェクトを色々かけてみたり。そんなことをしていたら、2週間後ぐらいにはいつの間にか最低限の動画が制作できるようになっていた。わからないことはネットとかで調べてやってみたり。これを繰り返していたら周りから評価を得られるようになった。

そして2月ごろ、Vtuberプロジェクトの初の動画編集が始まった。Vtuberプロジェクトを発足させた先輩たちに、私たちが編集担当を引き継ぐという意思を初の動画で見せつける必要がある。そのために、学校から帰った後もネットとかで技術などを学んだりした。本業となるはずのプログラミングをそっちのけにして。ここから、私は動画編集のスキル磨きに力を入れるようになった。

「動画編集のスキル」を実技で磨くことを目的とし、個人でも動画編集・投稿をするようになった。それこそ最初のうちは再生数があまり伸びなかったが、投稿を続けていくうちに徐々に増えていった。これが自信につながり、動画投稿を続けようと思ったきっかけにもなった。

しかし、4月の初めに学校から思わぬ知らせを受けた。「学院Vtuberの公式化」が急遽取り消され、公式から非公式にランクダウンしてしまった。その結果、プロジェクト大半の「公式だからやってた」連中が急に勢いを失い、Vtuberプロジェクト全体のやる気が失われた。もうすぐ完成しそうな動画も非公式化がきっかけで、お蔵入りになってしまう。ここからプロジェクト全体の崩壊が加速する。

5月に入ってすぐ、Vtuberプロジェクトの緊急会議が行われた。この会議でプロジェクトの続行か凍結かが分かれる大事な会議。私のほかに誰か一人でもプロジェクトの存続を求める人がいることを望んだが、いざ蓋を開けてみれば満場一致でプロジェクトの凍結。納得がいかない私は何度も説得しようとしたが無意味だった。反論の糸口を探そうとしたが、凍結側の意見が理にかないすぎて見つからず。こうして、Vtuberプロジェクトは半年程で幕を閉じた。ここから、再び迷走することとなる。

8月まで学校に行くことに嫌気が差し、かなりの頻度で学校を欠席。頻繁に欠席した結果、学校から警告され、最低でも授業のある日は渋々登校する。が、授業が終わったらさっさと帰る。こんな日が続いていた。この時には、VisualStudioのエディター画面を見るだけで吐き気がするほどプログラムに嫌気がさしていた。プログラムは既に挫折、学校から隠れて進めていたプランナー計画も企画書が思いつかずスランプ状態、動画編集も実績を残す場が潰れてやる意味が半分以上失われた。こんな状態なので、9月中旬まで鬱状態に陥っていた。

しかし、転機は突然やってきた。それはYoutubeで動画を見ている時だった。動画説明欄には動画編集メンバー募集の告知が貼ってあった。動画編集の技術をもっと生かしたい私にとって、応募しない理由がなかった。

そして、応募した日の夜にリーダーから連絡が届き、晴れてメンバーになることができた。そこから今でもプロジェクトに参加している「プロジェクトメンバーと相談して、一つの作品を作る」ということはとても大変なことだが、投稿した後の反応を見ると色々な人が自分の動画を見て楽しんでくれているということが分かって、とてもうれしく思う。それ以来、私はこの力をさらに伸ばしていき、もっと多くの人を楽しませることを目標としている。ゲームプログラマーではないけれど、人を楽しませることには変わりがない。どんなに挫折したとしても、この後の職業は変えようと思えば変えられる。そう、人生は「編集」できるのだ。