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【初めて”生きた”と思った瞬間】

【初めての”生きた”と思った時間】


ずっと環境に答えを求めていた私が、初めて自分の目的のために環境を手段として選び、自立的、持続的に行動し、目標を達成した経験があります。世界で生きる人になるのための旅。約1年のオーストラリアとヨーロッパへの旅です。初めて自分の人生を生きたと感じた経験です。


高校3年生からアルバイト/インターンをしてきました。しかし「とりあえずいっていれば何か身につくものがあるだろう」という完全に芯のない"意識高い風"でやってる感を出して満足していた結果、時だけが"過ぎ"、空っぽの経験値が4年生になった私の前に転がっていました。

4年生の春、私は颯爽と就活する友人とは裏腹に、企業を赴くたびに体を壊していました。 何度も吐きそうになり足を止めたことか。冗談ではなく、崖でも飛び降りようとしているように心拍が加速し息があがったのを覚えています。

「こうやって"自分"もなく社会に出荷されて、量産型ロボットみたいに使い捨てられるのか。」と"出荷すらされない自分"は途方に暮れました。

なぜこうなったのか。


名前が「"幹"太郎」と言うのに、まるで枝葉のような過去を過ごしてきた。まったく「大きなストーリー(幹)」のない生き方をしている。芯もなくつまらない。そう感じました。

次は決めた目標をクリアすることで、「何が欲しくて何をしたら何を得たのかはっきりさせよう」と決めました。では次に何をするか、何がしたかったのか考えた時に「海外で暮らす」という夢を思い出しました。(この時はまだゲームはやめなくてはいけないことで悪だと思っていました。)


それから3か月バイトでお金をためて渡豪しました。

シドニーから始まった旅は、到着から3日後、いきなり大きなサプライズがありました。それは、宿で偶然出会った同い年のベルギー人、P君との出会いです。なぜか意気投合し、共に旅をすることになりました。

彼はフランス語、英語、オランダ語が話せました。そして何より芯のある自信に溢れた精神と愛の深い人格を持ち合わせていました。私にないものはコレだと感じ、まずはこれらを盗むことに専念しました。旅の間、彼の”良さ”を全力で吸収しました。自信を喪失していた私にはプライドなどなく 、あれほどまでに人を良く観察し、他人の良さも悪さも認めて素直に習い、学んだことはなかったと思います。

英語に関しては、初めから聞けも話せもしない私に、彼を何度呆れさせたかわかりませんが、別れ際には「We talked a lot」そう言って二人で男泣きしました。そういえばいつの間にか英語を話していました。
最後のハグ、あわせた拳。心がはがれるようなあの感覚は言葉にできませんが、互いに深く繋がっていたことを改めて感じた瞬間でした。彼とはいつか早いうちにまた新しい景色を一緒に見たいです。

ちなみに、英語は話すことになるだろうと予想していたので、参考書を持参していました。その参考書はボロボロになるまで、毎日欠かさず、地獄のようなパーティがあろうと倒れるまで、絶対に開いて読んでいました。
バックパッカーの仲間からは「あんだけ飲んで騒いだ後に勉強してるやつ見たことないわ。ファッキンクレイジーマン」と言われていました。参考書も1冊潰せば使える技術になると気づきました。


「海外で暮らしたくて、海外で暮らしたら、英語で日常会話ができるようになり、世界に繋がりを得て、人によって見ている世界が違い、幸せの形はその人の中でしか見つからないことを知った」この旅は、初めて「生きてる」と感じた瞬間でした。


この旅を経て通じて府に落ちた先人の言葉があります。

自己認識における第一人者であるヴァーノン・ハワードの言葉です。

「人は誰でも自分で必要を感じない間は古いやり方を破棄して新しいやり方を求めようとはしない。だから、偉大な賢者と言われた人たちは、取るに足らない言葉や実在しない思想に頼って生きているよりは、現に自分が置かれているひどい境遇を直視するようにと、人々に解いてきた。」

いま私は素直に自分の幸せの形を声に出し、変化を望み、行動していくことが人が生きる意味なのではないかと感じています。

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