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Wantedly Journal | 仕事でココロオドルってなんだろう?

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仕事と好奇心は常にセット。パンクな姿勢の根底に流れる一途な思い。

シティガイド『タイムアウト東京』のトップが語る、これからの旅と仕事の話(後編)

ORIGINAL Inc.

2016/12/06

1968年にイギリスで生まれ、現在、世界109都市で展開されているシティガイド『タイムアウト』。2009年、その東京版である『タイムアウト東京』を立ち上げたのが伏谷博之さんです。

▶【前編】「旅がすぐそばにある暮らし」を日本に浸透させるために

後編では、伏谷さんの仕事観を中心にお話を聞いていきましょう。

価値観を形成した音楽の存在

1990年、当時大学3年生だった伏谷さんは、音楽誌でタワーレコードのスタッフ募集の記事を見つけ、アルバイトとして入社しました。その後、いちスタッフから、店長へ、さらに代表取締役へ、最終的には最高顧問に就任し2007年に退社します。タイムアウト東京株式会社を立ち上げたのはその後の2009年。その歩みからは、「5年後はこうなっていたい」といった仕事をしていくうえでのビジョンはもたずに、目の前のことにひたすら全力に取り組んできたのだろうなという印象を受けます。

実際のところ、いかがですか?

「まさにそのとおりで、『5年後はこうして、10年後はこうしよう』といったビジョンは全然ないんですよ。そういう意味では行き当たりばったり。川の流れに流されながら生きてきたという感じですよね。でも、偶然にも流れ着く場所がよかったという気がするんです。 タワレコにバイトで入った経緯もそうだし。

 
伏谷博之さん

今のタワレコはまさに会社そのものですが、当時のタワレコって、日本にやってきて間もなかったし、ルールややり方が明確に決まっているわけでもなく、『社会的にはどうなの?』みたいな、本当にやんちゃな人たちがたくさん働いていたんです。でも、音楽やお店のことになると真面目な人ばかりで、居心地がよかった。そういう人たちに何が共通しているのかというと、どんどん掘り下げていくし、横にも広げていくという作業をしているってこと。当時はレコードを買って聴いて、ライナーノーツを読んで、『この人、この前もクレジットに載っていたけど誰なんだろう?』って調べたり、好きなアーティストが影響を受けたと言っているアーティストのインタビューを読んでみたり……。音楽を掘るという行為を通して、物事と向きあうときの下地ができあがっているので、ビジネスの現場に置かれたとして『お客さんにアピールできるものはないの?』と聞かれたとき『こういうふうにしたいんですけど』って自分の考えを持っているんです。タワレコの『NO MUSIC, NO LIFE.』というコピーを僕なりに解釈すると『自分で掘っていける人』。好奇心をもって、いろんなことを掘って、ぶつけて、実践していく。逆に自分の意見を言えない人には『なんで黙ってるの?』みたいな。『ロックを聴いてるのに意見が言えないとかないよね』という世界でした」

厳しいですね(笑)。

「要するにライフスタイルと好きなものが一致していないといけない世界なんですね。『パンクを聴いてるのになんで普通なの?』みたいな(笑)。流れ着く場所がよかったと言ったのは、そんな環境が自分の性格にすごく馴染んだということです」

「勝手な使命感」がすごくある。

仕事をしていくうえでのビジョンはなかったとしても、例えば、「夜は早めに仕事を切り上げたい」「週末は自分のリズムを大事にしたい」といった、「仕事のやり方」についてはどう思っているのか。そんな質問をしたところ、伏谷さんからは「勝手な使命感」というキーワードが挙がりました。これまで関わってきたタワレコ、ナップスター、タイムアウトは、「既にブランドとして存在し、スタイルが確立されている」ことが共通していますが、それらをあえて日本に持ってきて、広めてきた背景には「勝手な使命感」があったからだというのです。

「今年の8月で50歳になったので、余裕のある大人な生活をしてみたいなぁと思うこともあるけれど、普段はあんまりそういうことは考えないんですよね。それは仕事が楽しいからというより、目の前にあることを考え続けることが好きだからなんです。自分には『勝手な使命感』があるんだなとすごく感じます。勝手な使命感って大切な気がしていて。『誰も頼んでいないのにどうして?』みたいな人が、意外とおもしろいことをやったりするじゃないですか。それを狙っているわけではないんですけど、自分がやってきたことを客観的に振り返ると『そこでそれをやらなくてもいいのに』ということをやってきたところがあるんです。僕は自分で自分のことをスタイルをもったブランドを広めていくのが得意だと思っているんですけど、それはつまり『今、これが必要とされているんじゃないか』という使命感から始まっていることですよね。そういうのが好きなんだと思います。うん、サビエルみたいな。髪は僕の方が長いけど(笑)」

自分で一からやろうとは考えないんですか?

「意外と得意じゃないのかもしれない。学生の頃はミュージシャンになりたいと思っていたけど、『ゼロから何かを生む』ということが得意じゃないことにどこかで気づいたんじゃないかな。そんな気がします」

新世代の軽快な感じがうらやましい

「仕事が楽しいからというより、考え続けるのが好き」という伏谷さんは、そんな性格を象徴するエピソードを話してくれました。

「自分の性格について考えると抗戦的なところは確かにあって、タワレコ時代には上の立場の人に意見を言う場面もよくありました。なぜ、対等に主張ができたのかというと、『俺は24時間このことについて考え続けてきたけど、お前はどうなんだ?』という気持ちがあるからなんです。考えもせずに意見を言うのは単なる失礼な奴だと思うし、そんなことをしていたら間違いなくどこかのタイミングで潰されていたと思う。僕の場合は、『コイツ、すごくムカつくけど、言ってることはちょっと正しそうだからしょうがないな』って、許されてきた気がします」

現在、会社のトップとして働くなかで、かつての伏谷さんが上司に意見をぶつけていたように、スタッフから主張をされるということはあまり経験したことがないそう。世代の異なるスタッフと接するなかで見えてきたものは、「昭和とそれ以降」の仕事観を含むスタイルの違いでした。

「昭和のスタイルでやってきた僕たちは、『石の上にも3年』というのかな。イノベーターでさえ、そういう精神論でやってきたところがあると思うんですけど、今はそういう価値観をもたない世代になってきているんじゃないかなと。それがすごくうらやましいし、軽快な感じがする。今までなら仕事とプライベート、そのふたつの往復だけだったのが、プライベートをおもしろくするために仕事があって、その仕事もひとつだけじゃない。このコミュニティにも興味があって……というふうに、自分を軸に世界を広げていけばいろんなものに出会うことができて、そこからまた成長したり、居場所を変えたりできるんだということを自然と理解していますよね。それにプラスして、インターネットが普及したことで、日本というエリアも軽々と飛び越えていける環境になっている。新たなライフスタイルが生まれきているなと感じます。一方で、若い世代の中にも昭和な環境で育ってきたことが影響して、新しいスタイルになじめない人もいるでしょう?そのギャップは広がっていくんだろうなと思うけど、世の中ではダイバーシティが大事にされるようになってきて『みんなを許容していきましょう』という流れになってきているから、どちらでも楽しく生きられるようになってきている気はします」

「タワレコのときはオフィスが広くて、スタッフに話しかけながら回っているといい時間になったんですけど、ここは狭いからすぐ終わる(笑)。すごく嫌がられるけど、檻の中を行ったり来たりする動物みたいに日に何回も回ります」

新しいスタイルを「軽快な感じ」と表現すれば良い印象がある反面、あえて別の言い方をすれば「移ろいやすい」とも言えると思うのですが。

「新しい世代を見ていると、計画しすぎてしまう部分があるのかなと思うんです。それは自分の描いた絵の上を歩くことしかできないのと同じで、すぐに『これは違う!』というふうに思ってしまう。少し広い視点でみれば、『その隣にあなたのすごく好きそうなことが転がっているのに、気付かずに通り過ぎてるんじゃないの?』というもったいなさは感じます。

最初にも言ったけれど、僕は数年後のビジョンを描くような戦略的な生き方をしてこなかったからこそ、意図していなかった道筋の中に発見がありました。無駄なことの中にも思わぬ拾い物がありますから。それがあったからここまでやってこられたんだと思う。そうは言っても、僕が若い時に『ここでこうしていれば君が望んだものが手に入るから』と言われたところで『なわけねーだろ!』と思っただろうし、あえて言いませんけどね(笑)。

そこは難しいところ。もしかしたら、転職することで自分の求めていた出会いがあるのかもしれないし。そういうのってタイミングだと思うから、自己啓発をしすぎることによって、偶然出会う面白いものとか偶然の出会いとかを楽しめなくなっちゃうのはもったいないなと思います。今は、情報も選択肢も多い中で生きていかなくてはいけないしすごく難しいことになっていると思うんです。昔だったらクラスの文庫に5人くらいの偉人伝があって、『僕は野口英世のように生きよう』と思えたのに、今やこうやって僕なんかまでインタビューをされて、それを一生懸命読んでしまったら……。選択肢に揺られながら生きる時代になってきていますよね」

好奇心がくすぐられない仕事なら、辞めてると思う。

これまでの経験を振り返っての、ターニングポイントを挙げるとするならば?

「学生から社会人になって最初のターニングポイントは、タワレコで店長を任されて、会社自体を辞めようと思ったこと。レコード屋の店長になるつもりはなかったのに、このままでいいのか?って。そんなときに高校までを一緒に過ごした同級生に久しぶりに会って、その話をしたら『何かやろうと思ったら、もうやってるタイプでしょ』って言われたんですよ。『本当に辞めようと思ってたらとっくに辞めて、次のことをやってるよ』って。たしかにそうだなと思って、会社にはすでに辞めたいと話していたんだけど、残ることにして、eコマースの事業部を立ち上げる提案をしたり、加速度的に新しいものを立ち上げていく今のスタイルができたんです。そう考えると同級生の一言がターニングポイントだったかもしれないですね。自分の生き方自体はその出来事の前と後で変わっていないと思うんですけど、そう言われたことで『俺ってそうなのかもな。どっちに進もうじゃなくて、もう進んでるみたいな感じなんだろうな』って認識できたんです。それ以来、何か選択をするときはその言葉を思い出しています」

最後に伏谷さんにとって仕事とは?

「うーん……なんだろう。好奇心を活性化する源かな。裏を返すとそれがないとやらないと言うタイプ。どんなに稼ぎがあって、どんなに社会的にいいポジションに就けるとしても、自分の好奇心がくすぐられない仕事なら、たぶん辞めてると思うので。

タイムアウトを始めるまでは、出張だからこそ遅い時間まで寝ていようという考えだったんですけど、今では朝早くに起きて、街を歩いて、言葉の通じないローカルの店に思い切って入ってみるようになった。これも勝手な使命感で。タイムアウトのために、僕のライフスタイルも変わってきてるということですよね。あとはやっぱり楽しいから。海外のタイムアウトのスタッフとの関係も良好で、世界中に友達がいるみたいなものですからね。『今度そっちに行くんだけど』って連絡をしたら、ズラッとおすすめメニューのリストが送られてくる。お互いのことを『タイムアウター』『タイムアウトファミリー』と言っていて、コミュニティの一員みたいな感じ。それがグローバルな話だから一段とおもしろいですよね」


華やかな経歴の裏で、一体どんな日々を過ごしていたのか。そこには、目の前の問題を解決するためには誰よりも時間とエネルギーを注ぐ真面目さと、コミュニケーションにおけるタフさ、そして、好奇心に対する貪欲さがありました。伏谷さんの場合は音楽でしたが、「何かを掘る」という経験が人のその後に及ぼす影響の大きさに驚きました。コアであればあるほど、世界と広く、深くつながれるのかもしれません。

Interviewee Profiles

伏谷博之
タイムアウト東京株式会社代表取締役社長
1966年島根県生まれ。大学在学中の1990年にアルバイトとしてタワーレコードに入社。2005年タワーレコード代表取締役社長就任し、日本初の音楽サブスクリプションサービス「ナップスタージャパン」を開設。タワーレコード最高顧問を経て、2009年タイムアウト東京株式会社設立。
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  • Written by

    梶山ひろみ

  • Photo by

    岩本良介

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