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【第2話】未経験のプラント業界。そこには絵に描いたような「3K」が待っていた

この記事は、連載「起業よりもむずかしいよ、事業継承」の第2話になります。まだの方は、ぜひ第1話からご覧ください。

第2話の今回は「しんどかった柳井工業での修行」をテーマに、未経験のプラント業界に飛び込んで経験した苦労に焦点を当てお伝えしていきます。3部作の詳細は以下です。

第1話:事業継承の背景
第2話:しんどかった柳井工業での修行
第3話:事業継承で伝えたいこと

中には今までのnoteに書いてきた内容もあるので、一緒に読んでいただくことで、より描写が浮かびやすいかなと思います。

証券マンだった私が、父の病気をきっかけに柳井工業へ。そこには、過酷な毎日が待っていました……。

絵に描いたような「3K」。想像を絶する、現場の雰囲気。

中には今までのnoteに書いてきた内容もあるので、一緒に読んでいただくことで、より描写が浮かびやすいかなと思います。

証券マンだった私が、父の病気をきっかけに柳井工業へ。そこには、過酷な毎日が待っていました……。

絵に描いたような「3K」。想像を絶する、現場の雰囲気。

野村證券を退職し、2009年に柳井工業に入社しました。ただ……想像を絶するような雰囲気でした。

生まれてはじめてのプラント業界で、私が配属されたのは石油化学プラント。当時の第一印象は、とにかく「キツイ・暗い・汚い」の3Kでした。

現場作業中は話すこともままならず、常に緊張感に溢れ、気を抜くことさえ許されない。古くて汚い機械。誰も笑わない休憩所。誰ともしゃべらない休憩時間。

「この人たちは何が楽しくて、仕事をしているんだろうか」。早くも、柳井工業に入ったことを後悔していましたね。

また、背中で語る職人さんばかりだったので、作業前の指示もない。何をしていいのかがわからない。わからないので、ただただひたすらボルトを磨いていました。

「これで仕事を覚えていけるのか?」と不安な毎日でした…。

過酷な労働環境。話が噛み合わない毎日。

過酷なのは現場の雰囲気だけではありません。労働環境も悲惨でしたね。

出張先の宿泊先は、基本2人部屋か3人部屋。仕事が終わっても共同生活が続くので、休まりませんでした。そして、周りの職人さんと話がなかなか噛み合わず、コミュニケーションに苦労する毎日。

ただ、「柳井工業やプラント業界をもっと知りたい。自分から声をかけよう」と思い、積極的に声をかけていきました

その甲斐あって、最初はシャイだった職人さんも、少しずつ私に心を開いてくれました。心の底からうれしかったです。

一緒に飲みに行く機会も増え、私が抱える不安や悩みを打ち明けるように。そこで、ある一言が突き刺さりました。

「とにかく、5年は辛抱しなきゃ」。必死に働き、勉強の毎日。

職人さんから「5年は辛抱して頑張りなさい。5年経てば色々とわかってくるから」と言われることで、自分の中でも思考の整理がつきました。

そういえば野村證券時代、尊敬する上司にも同じことを言われたのです。「最初の5年は、何があってもぐっとこらえて、愚直にやるべきだ」と。

そこからは死に物狂いで、毎日必死に勉強しました。とにかく現場に率先して出向き、いろんな機械の整備を行いました。

職人さんのみならず、客先やメーカー指導員、監督と積極的にコミュニケーションを取り、技術や機械の仕組みを教えてもらいました。野村證券時代に叩き込まれたスキルが活かされましたね。

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時には、海外派遣も。シンガポールの地で職人のありがたみに気づいた。

日本国内だけではなく、自ら手を挙げ、海外派遣にも挑戦しました。はじめての海外派遣は、社内でも「過酷」で有名なシンガポール。

本当に過酷でした……。作業員は基本、バングラディシュ人、マレーシア人、インド人、フィリピン人、中国人だったので、コミュニケーションが取れなかったのです。

当時、まだプラント業界に来て3年だった私が「大丈夫です。行けます」とハッタリをかましましたが、自分の未熟さを痛感。日頃、職人さんに助けられていたのだと気づいたんです。

詳しくは下記の記事で、エピソードを綴っておりますので、一緒にご覧いただけるとうれしいです。

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5年を辛抱した今。平社員から経営者へ

「辛抱して頑張るぞ」と腹をくくってから、早5年が経過しました。5年前の私にこう伝えたいです。「経営者になって、本格的に事業継承をしているよ」と。

社長である父にも認められ、やっと経営者として柳井工業を率いれるようになりました。挫折や苦労の毎日でしたが、手に入れた達成感は何物にも代えがたいです。

ただ、今は「経営者ならではの悩み」に直面しています。そこも包み隠さず、お伝えしていきますね。

第2話の「しんどかった柳井工業での修行」はここまでです。ぜひ、第3話の「事業継承で伝えたいこと」をご覧ください。

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