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【多様なキャリア#8】野球一筋の型破りな熱血銀行マンがJBAへの転職を決めた理由

地方銀行の中でもトップクラスの規模を誇るK銀行営業職からJBAコンサルタントへの転身を決めた、中井健介さん。

すでに社会人として活躍しながら、その環境を捨て、JBAでの新たな人生の船出を決めたキャリア入社社員。学生時代に打ち込んだことから、就活のエピソード、前職での葛藤、数ある企業の中からJBAを選んだ理由、さらには実際にJBAで働いてみてのギャップに至るまで、本音を直撃しました。

まずは簡単な自己紹介をお願いします。

はじめまして、中井健介です。出身は大阪。龍谷大学経済学部を卒業し、新卒で関西の地方銀行であるK銀行に入行しました。2018年10月より、JBAでコンサルタントとして働いています。現在、26歳です。

僕の学生時代は、野球一筋でした。ポジションはピッチャー。小学校で野球を始めて以来、野球にのめり込み、大学も関西で一番強い大学を選びました。自分を形づくってくれたものは、間違いなく野球ですね。

体育会系って感じですね!小学生から大学生まで続けるのは凄いなと思うのですが、のめりこんだきっかけなどはあったんですか?

実のところ、小学生の頃は野球はあまり好きじゃなかったんです。左利きという理由でピッチャーに選ばれたものの、練習でも試合でも、投げることが嫌で仕方なかった。全然コースに入らないし、「中井が投げたら負ける」と周りに言われ、楽しくなかったですね。「何で自分がやらなあかんねん」と思っていました。それでも続けていたのは、一緒に野球をすることで友達や仲間の輪が広がっていくのが楽しかったから。僕が小学校時代に野球を辞めなかったのは、これに尽きますね。

中学では、少年野球で同じチームに所属していた仲のいい友達がいるという理由で、わざわざ1つ学区が遠い中学校に進学しました。そこでいい指導者に恵まれたことが、僕の野球人生を変えるきっかけとなりました。ピッチングを一から教えてもらい、基礎と実践練習をを積む中で、少しずつピッチャーって面白いなと感じるように。それからどんどん野球にハマっていきましたね。

高校でも野球部に入りました。辞める理由なんて思い当たらなかったですね。1年生の夏から、3年生の大事な大会に出させてもらうなど、かなり期待されていたと思います。3年生ではキャプテンに任命され、自分のことだけでなく周りも見るということを学びました。高校野球では、言葉遣いやマナーなど、人間的な部分も身に付けることができたと思います。

そして甲子園を目指した府大会の夏。僕たちは負けました。周りが悔し涙を流す中、僕は一滴の涙も出ませんでした。「泣くんなら悔いが無いように真剣に頑張ればよかったやん」涙を流す仲間を見ながら、そんな考えを巡らせていました。

不完全燃焼で終わった高校時代。関西6大学でも常に優勝争いに食い込む龍谷大学への進学を決意しました。龍谷大学を選んだのは、中学校時代の先輩で、甲子園や世界一を経験している憧れの存在がいたから。その人といっしょに野球がしてみたいという思いがありました。また、高校時代はキャプテンという責任感がある立場に悩まされていたため、純粋に自分の力を試したいと考えていました。これまでは当たり前のようにレギュラーを獲得していた僕でしたが、龍谷大学は同学年に甲子園に出場している子や日本代表に選ばれている子がうじゃうじゃいます。はじめの目標は、試合に出ることでしたね。

自ら過酷な環境に足を踏み入れていったんですね。試合に出るために特別にアピールしたり、努力した点などはありますか。

龍谷大学には、ピッチャーが40人ぐらいいます。そのうち試合に出れるのは6人程度。まず、「中井」の存在を知ってもらうことが必要でした。あえてレギュラーがピッチング練習をしている隣でピッチングをしたり、レギュラーの行動を見て同じタイミングでプレーするなど、監督の目にとまるよう工夫していましたね。また練習内容も、試合で投げるために自分がすべきことを明確にして取り組みました。3か月で千本走るなどの数値の目標を定めました。ピッチングも投げて終わりではなく、キャッチャーに投げてほしい球を指定してもらいその通りを投げるなど、実践を意識したトレーニングをしていました。

その結果、1回生のうちから少しずつ練習試合に出場。その後、メンバーになりたい、次は公式戦に出たい、次は優勝したいと、どんどん目標が上へ上へと向かっていきましたね。最終的には全国ベスト16、関西6大学では首位に立つことができました。高校では不完全燃焼でしたが、大学ではやり切った!という気持ちになりましたね!



野球に打ち込んだ大学生活のようですが、中井さんの就活はどのようなものだったんでしょうか。

3回生の冬頃が就活のシーズンだったのですが、試合や練習でいっぱいで、就活を全然していなかったんです。この先どうしようか、自分の人生どうしたいか、全く考えられていなかったですね。

さすがにやばいかなと思い、「野球をやめたら自分はどういう人間になりたいのか」を考えてみました。そこで思い浮かんだのは、父親でした。父親は接客業をしていましたが、時間をみつけては独学で勉強し、保険の仕組みや経済のことなど何でも知っている、家族にとって頼りになる存在でした。自分もそんな人間になりたい。それなら必要な知識を学べる銀行しかない!別に銀行でやりたいことがあったわけではなく、自分に家族ができたとき、支えていくための知識が欲しいという理由で銀行を選びました。就活の時期も野球を優先していたため合間を縫っての活動しかできず、その中でたまたま内定を貰えたのがK銀行でした。内定が出た時点で即決し、野球の練習に打ち込む日々に戻りましたね。 今から振り返ると、もっと会社を調べる努力をすればよかったかなとは思いますが、野球はその時しかできなかったので、野球を選んだことに後悔はありません。

K銀行入行時はどんな目標をもって取り組んでいましたか。やりがいなどはありましたか。

働くなら、誰にも負けたくないなって思ってたんです。やるからには、役職にも最速でなりたいなと闘志を燃やしていました。

K銀行は、役職の解禁の時期がおおよそ決まっており、従業員に周知されています。

5年目の夏:主任
9年目:係長
11年目:支店長代理
21年目:事務管理者、事務長、支店長

というのが、K銀行のおおよそ最速の出世コースです。自分もこれを目指していました。

入行当時のやりがいは……、正直、ありませんでした。業務がさっぱり分からないし、ついていけない。事務の知識が身につかないと、外に出たときにお客さまと話せないのは理論としては分かっていましたが、この知識が自分にとってためになるとは思えず、ただただ苦痛でした。本格的に外回りを始めても、なかなか面白さは見出せませんでした。お客さまのために何かしてあげたいのに、銀行側としてもリスクを回避し、本当に助けたい会社を助けられないこともありました。若手の自分には、何年も勤め上げた経験豊富な上司を説得することなど到底できません。そんな状態に、もどかしさが募っていました。

一方で、お客さまのためを考えて熱心に動いていると、「中井さんと仕事をしたい」と言ってくださる方も出てきました。そういった出会いは自分にとってすごく貴重でしたし、お客さまから選ばれる密な関係を築くことがモチベーションにもなっていました。仕事を通して自分のファン作りをしているような感覚で、楽しかったですね。



そうだったんですね。転職を活動をはじめるきっかけは何だったのでしょうか。

入行直後から苦しかったものの、すぐに辞めることは考えませんでした。今辞めたら、今後どんな仕事についてもやめてしまうと思ったからです。生来の負けず嫌いが出たんですね。銀行は2~3年スパンで支店を転々とするので、転勤した先でもダメならやめようと考え、踏ん張っていましたね。

転職の決め手となったのは、2つ目の支店に配属されたときに担当していた飲食店の社長さんからの言葉でした。人気のお店で、九州など遠方からお客さんが足を運ぶような有名店でしたが、内部事情は大変で、数字だけを見ると融資は不可能でした。社長も社員もすごくいい人で、何とかしてあげたいのに自分の力ではどうすることもできず、言い知れぬ悔しさを感じていました。そんなときに社長さんから、「ほかの会社も見てみたらどうや」と言われたんです。「今までの銀行の担当者は、あまり親身になってはくれなかった。でも中井さんは違う。下から物事を言ってくるし、ぼくらの目線に立ってくれる。融資だけじゃなくて、SNSはじめて認知度を上げようとか、スタンプカードをつくりましょうとか言ってくれる担当者はいなかった。こんな担当者はじめてや。このまま中井さんが銀行のお堅い文化に染まって、マニュアルや規程だけに従って動くようになるのは見たくない。君の良さである熱意や行動力が失われてしまうのはもったいないぞ。ほかの会社で頑張ってみたらどうや」その言葉が僕の背中を押してくれましたね。

お客さんの言葉で転職を決めたんですね。転職活動では、どんな軸を立てて探していたんですか。

転職先探しの軸は大きく2つ。

・自分のいいところを伸ばせること
・お客さんともっと仲良くなれること

でした。

銀行は転勤があり、すぐに関係性が切れてしまいます。お客様との信頼関係を築ける、深く入り込むことができそうな会社を探しました。また、銀行は「お金」という無形の商材を扱っています。今度は、モノがいいかなと思い、メーカーの営業を見たりもしていましたね。

そんな中、たまたま転職サイトで見つけたのが、JBAでした。

「銀行で培ってきたものを、別のカタチに変えませんか」

というコピーを見て、胸が高まりました。

もともと友達の誕生日のサプライズパーティや結婚式の2次会の余興ムービーなどを作るのが好きで、人を喜ばせることに喜びを感じていました。JBAなら好きなことを仕事にできるんじゃないかと思いましたね。

実際にJBAの選考に進んでみてどうでしたか。

まず面接官と話したとき、銀行と全然オーラが違うなと思ったんです。「あ、この人と働きたい」と感じました。銀行では、「こういう人になりたい」という目標が明確でなかったので、すごく新鮮でしたし、魅力的でした。

印象的だったのは仕事の話を楽しそうにすること。銀行ではいかにリスクを回避できるかということが基本なので、後ろ向きです。自分自身も銀行に染まっていたことに気付かされました。前向きに挑戦しようという気持ちを思い出しましたね。

たしかに、銀行の雰囲気とJBAは全然違う気がします。JBAの入社の決め手はなんですか。

やっぱり、この人たちと一緒に働きたいってことですね。銀行は、「これをやったらこんなリスクが出てくるが、その点についてどうするのか」という発想なんですが、JBAは「お客様のために何でもできる」環境です。僕自身、銀行時代もお客様のために「販路拡大のためにSNSはじめましょうよ!」など、融資に関係ないこともやっていました。それが楽しかったし、お客さまに喜んでもらえるのがすごく嬉しかったんです。JBAなら、こういった挑戦を誰にもとがめられず、ただお客様に喜んでもらうことに時間を使える。ここで自分をもっと高めたいと考え、JBAへの入社を決めました。



JBAへ入社してみてのギャップはありましたか。

悪い点から言ってしまい恐縮ですが……。時間を守らない人が多いというのは、一番に感じましたね。チームミーティングが17時からあれば、僕は5分前に行くんですが、開始するのは17時05分。お客様最優先だったり、突発的なことが多いので仕方ないだろうとは思いつつも、社員同士の時間もお互い守るべきではと思いましたね。銀行とは時間の捉え方が違うなと感じました。

そこはJBAが直さなきゃいけないところですよね。

実はこのこと、高下社長に話したんです。そしたら、「それで、中井さんはその状態を変えるために何をしたの」と言われました。ハッとしましたね。思っているだけで何も行動に移していなかった。いつの間にか、気づいたことを発信しよう、自分から変えてやろうという思いが失われていました。野球なら完全に2軍の発想ですよね。1軍のプレイヤーとして当事者意識を持ち、変わっていかねばなと思いました。

JBAの仕事内容についてはどうですか

事前に聞いてはいましたが、お客様が大手ばかりなのは本当にすごいです。地方銀行では、基本的にお客様は中小企業。JBAのお客様は、銀行なら支店長が絶対についていくレベルのお客様ばかりです。それを入社1~2年目の若手が行けるのはすごいなと思うと同時に、怖いなとも感じました。相当な準備をしていかねばお客様に満足していただくことはできません。それを経験の少ない若手がやる。紙一重だと思います。

3週間働いてみて、これからの目標を教えてください。

まずはお客様ともっと信頼関係を築いていきたいということ。自分のスキルを磨いていきたいですね。

最近考えているのは、JBAの採用や研修に関わりたいなということです。新卒の社員にとって、お客様が大手企業であることが当たり前で、それがどれだけ凄いことなのかを理解しきれていません。営業をしたり、中小企業を相手に仕事をしたことがないのだから、仕方のないことだと思います。これが当たり前ではないんだぞ、世間はこういう状況なんだよということを、銀行で中小企業から大手企業までを営業してきた自分の立場から伝えていきたいですね。若手を自らの手で変えていきたいです。

また、自分は転職サイトでたまたまJBAに出会い、こんな会社もあるんだと感銘を受けました。本当にJBAに入ってよかったと思います。そんな経験の中で、JBAが自分を引っ張り上げてくれたように、熱いものを持っている人を引っ張り上げる人間になりたいなと思うようになりました。やりたいことはたくさんありますが、これから頑張っていきます!

ありがとうございました!中井さん、これからも一緒に頑張っていきましょう!!
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