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【代表インタビュー】船乗りから社長へ。ビジネスという荒波で30年生き残ってきた男の哲学とは。

【世界を目指して船乗りに憧れた幼少期】

北海道で生まれた僕は海の近くで育ったこともあって、幼いころから船乗りになることが夢でした。
中学校を卒業したのちに、富山県にある高等専門学校の航海学科に進学し、航海士を目指し始めました。航海士になる為の国家資格を取得するためには、授業を受けるほかに1年間海外に行って航海実習をしなければならなかったので、若い時はいろいろな国を船で旅して過ごしました。

ただ不思議なもので、子どもの頃からずっと憧れていた夢も月日が経つと心変わりしてくるもので、卒業して航海士の資格を取る頃には船乗りになる気持ちは冷めてしまっていました。結局航海士の仕事にはつかず、地元である北海道に帰って一般企業に就職することにしました。

まず、22歳の時に道内の電力会社に就職しました。しかし15歳の頃から特殊な環境に身を置いていたこともあって、なかなか一般企業の環境が肌に合わず転職を何度も繰り返しました。
当時はまだITという言葉すら普及していない時代だったのですが、会社を見ている中でITの事業内容をみて「この領域はこれから伸びそうだな。」と直感が働いたんです。

そうして、25歳の時にプログラマとしてIT企業に入社しました。ただ、入社時から「5年後には絶対に独立する」という目標を掲げていました。
というのも、何度も転職を繰り返していたので大幅な出世は見込めないだろなと思っていて、だから5年間一生懸命働いた後は独立して稼いでいこうと考えていたんです。

当時は今のようにたくさん起業家がいるような世の中ではなかったですし、ITやソフトウェアという単語すら認知されていなかったので、市場に可能性を感じていたとはいえIT領域で起業することは大きな挑戦でした。


【ビジネスで世界を目指し舵を切った30歳】

30歳で起業して、その後すぐにITブームが到来しました。
おかげで少しずつ会社も潤ってきて会社設立から3年後には東京支社を設立し、僕が次に目指したのは世界進出でした。

若い頃から様々な国の人と交流する機会があって、いろんな景色を見てきた僕は、世界という広い世界が持つ大きな可能性に魅力を感じていました。
世界進出を目指して、最初に進出したのは中国でした。

その後、韓国やアメリカのボストンにも支社を設立し、それぞれの事務所で世界中の人と関わり合いながら仕事をしていました。

例えば韓国では、2003年に今で言うzoomのようなサービスをソフトバンク社と一緒に共同開発しました。少人数での会議機能だけでなく、アンケート機能や大人数での会議にも対応もしており、サービス内容は現在のzoomと何ら変わりないもの構想していました。
当時は韓国の事務所で開発を進めていたので、孫正義さんと実際にお会いしてともに事業構想を練ったりしていました。

またアメリカでは、同じく2003年に音楽認識システムの『SHAZAM』をリリースしました。ボストン事務所で開発されたものなのですが、楽曲の一部を聴かせるだけで曲名を探し出してくれるというものです。
数年前にAppleからアプリがリリースされたことで知っている人もいるのではないかと思います。

次々と国外にも事務所を設立し、海外のお客様も一気増えてきていたのですが、新規事業への投資を続けていくうちに少しずつ会社の経営が傾いてきてしまう時期がありました。
どうにか会社を守らなくてはと思い策を練った結果、これらの事業を渋々売却することを決めました。

zoomやSHAZAMのようなサービスがあれば一気に売り上げも伸びていきそうなものですが、時代はまだ2003年。インターネットの回線速度も遅く、携帯電話もガラケーの時代です。
そんな時に、大人数が一斉にアクセスする会議システムや、スマホ最適であるSHAZAMは時代の流れに合わず流行ることはなかったんです。

実際、SHAZAMを手放してから数年後にAppleがSHAZAMを高額で買い取ったと知人から聞いてがっくりしましたよ(笑)
でも、いくら便利でも時代にマッチしたものを生み出さなければ何の意味もないということを学んだ出来事でもあります。


【Japan Venture Awardの受賞】

そんな中、2003年にJapan Venture Award(旧:創業・ベンチャーフォーラム)を受賞しました。
当時はなぜ受賞できたのか不思議に思ったりもしましたが、人と違うことをやっていて、それに価値があると信じて突き詰めていったことを面白いと評価していただけたのかなと思っています。

僕がずっと頑張ってこられた理由の1つは、「親に褒められたかった」という思いがありました。
だから絶対に会社を倒産させるわけにはいかなかったし、様々な賞を頂いたときやテレビに出演した際に両親がすごい喜んでくれたのが嬉しかったんです。
Japan Venture Awardの表彰式のために東京国際フォーラムに行った際、父も一緒に東京へ連れて行ったのですがそのときもすごく喜んでくれていたのが非常に印象的です。

本当、両親への感謝はいつまでも忘れないです。



【異なる視線が交わったときアイデアが浮かぶ】

新しいアイデアが浮かぶ瞬間って、今自分が持っている視点と、誰かほかの人が持っている視点が交わるときだと思うんです。今思えば僕に新しいアイデアが浮かんだ瞬間って、海外の人と話しているときが多くて。

例えばAIをやろうとひらめいたのも、中国の喫茶店で友人とお茶を飲んでいた時なんです。
窓から下を見下ろすと沢山の人が街を歩いていて、フッと「これからは人間の目の代わりになるものが必要なんじゃないか」と思ったんですよね。それからすぐにAIの特許申請を出して事業にしたのがいまのシステム・ケイです。

一度ドメスティック的な人間関係を構築するとなかなか外への広がりを作っていくことは難しなるのが人間だと思うので、若いうちから海外に出向いて仕事をしたことは本当に良かったと思っています。
知らないものに触れたとき、そこに壁を作るのではなく、知らないものを受け入れて自分の視点と共存させていけると、アイデアは自然と浮かんでくると思います。

これからシステム・ケイに入ってくる人たちには、うちの会社が作ってきた海外進出の基盤や経験を存分に活かしてぜひ自分のキャリアに繋げていってほしいです。


【10年後の流行の波を捉える】

ビジネスは、今じゃなくて10年後、20年後を見ていくことが大切なんです。
多くの人は、「今」かわいいとか、「今」かっこいいってことを気にすると思います。10年後のこの人は綺麗だろうか?って初めから考える人は少ない。

でも、ビジネスはその視点が必要なんです。
その視点をベースにしたうえで、他に3つ意識してきたことがあります。

1つ目は、「まっすぐに生きること」です。
まっすぐというのは、常に正しい道を進めという意味ではなくて、嘘をついて誰かを欺いたり罰が当たるようなことはしないようにという意味です。

どれだけハイテクな仕事をしていても、裏で汚いことや誰かを欺くことしていちゃ美しくないじゃないですか。そういうことをすると、自分の運が下がると思って絶対にやってこなかったです。

2つ目は、「何があっても絶対に自信を失わないこと」
人間は失敗したら落ち込む生き物だし自分のことが嫌になるけど、そんな時こそ自分で自分を叱咤激励するんです。自分を応援するのは自分しかいないから、否定せずに受け入れて自分を応援してあげてください。

最後は、「芸術的な心を持つこと」です。
芸術的な心というのは、なにか心にグッとくるものや感性が震えるようなものに敏感で、それらを存分に楽しめる心です。
例えば社員の採用にしても、もちろんその人の持っているスキルとか学歴とか職歴は大切な項目かもしれないけど、それ以上に大切にしているのが、その人の生き方が芸術的かどうかなんです。
その人がどんな道を選んで、どんな努力を重ねてきたのか、そこに人間としての美しさが現れてくると考えています。

【大きな船で大海を志す組織へ】

システム・ケイは、設立から30年が経過しました。
様々なことがあった30年でしたが、酸いも甘いも経験しながら会社は確実に大きくなっています。

数年前から一気に業績の伸びを見せているネットワークカメラ事業のおかげもあって、私たちはいま第二創業期に差し掛かりました。
システム・ケイで働く仲間たちには、大船に乗ったつもりで臆することなく挑戦を続けていってほしいと思っています。

AIで札幌から世界を目指すシステム・ケイの仲間になってくれると嬉しいです。

株式会社システム・ケイでは一緒に働く仲間を募集しています
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