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鈴木商店社長、鈴木史郎が語る-鈴木商店のIT部門設立時の話 vol.1 ~スイッチ~

代表の鈴木史郎です。
朝会で話している内容を一部公開していきます。

今日は、しらやん からリクエストのあった、
「鈴木商店のIT部門設立時の話」
についてお話したいと思います。

ちょっと長くなりそうなんでシリーズ物にしますね。
今日は「スイッチ」についてお話させてもらいます。

「お父さん、癌なったから帰っておいで」


1998年、大学を休学して、オーストラリアでワーホリ中の俺にお袋から一本の電話がありました。

この電話をキッカケに大学入学以来、特に目的もなくフラフラと遊んでいた俺は、大学に通いながら鈴木商店で働くことになりました。

従業員はお袋と親父、あと配達の赤帽さんの3名です。

当時の鈴木商店は、印刷材料の卸でした。
街の印刷工場にインキとか一斗缶とかを届ける仕事をしていました。

「黒のインキは、だれが届けても黒」

学生時代に何の力もつけていなかった俺にはこの事業を伸ばすことができるはずもなく、
限界を感じつつ、ただなんとなく配達を続ける日々でした。

周りの同級生たちは、就職活動をはじめ将来の夢とか語り始めるわけです。

「あれっ、ちょっと俺ヤバイかも。」
と薄々気付きながらも親父が入退院くりかえしていたので、就職できずにそのまま卒業することになりました。

そんなとき何気に配達の軽トラのダッシュボードを開けると、見たことのない白い紙が見えたんで、
奥の方から取り出してみたら大人用のオムツだったんですよね。

親父は大腸がんだったんですが、オムツ履いて配達してたんです。

ガツーーーーン!!!!
ハンマーで殴られたような衝撃でした。

仕事ってココまでやるもんだよなと。
ここまでやって大学に通わせてもらっているのに、なんにも考えずに遊びほうけていた自分にめちゃくちゃ後悔しました。

でも今の状態から抜け出せない。。。

そんなとき親父が急に元気になったんで、病院の先生に聞いたら「2年ぐらいは大丈夫じゃないかな」と。

チャンス、キターーーーーー!!

親父に相談して就職することに理解してもらい、いざシステム業界に飛び込むことになります。

あのオムツがまちがいなく俺の人生のスイッチでした。


つづく

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