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「違いをポジティブに楽しめる」Sun*のエンジニアとして働く醍醐味

松本裕士 / フロントエンドエンジニア

早稲田大学法学部卒業。教育系ベンチャーでエンジニア・企画を経験した後、2019年4月にSun*に入社。ベトナム拠点でWebフロントエンドチームのメンターを担当しつつ、複数サービスの開発にエンジニアとして参画。2021年6月に帰国し、キャッシュレス決済サービスのWebフロントエンド・APIサーバーの開発に従事。現在はあるWebサービスのリニューアルプロジェクトで、日越混合のフロントエンドチームでリードを担当。

目次
・好きなコンテンツを守るために法学の道へ
・留学先で僕を救ってくれたベトナム人
・プログラミングの難しさと楽しさを知る
・エンジニア一筋としてやっていく覚悟
・多様なメンバーと多様なプロジェクトに参加できる
・体型的な知識を持ち、価値を最大化させ続ける

好きなコンテンツを守るために法学の道へ

早稲田大学法学部で知的財産権法の勉強をしていました。また、Waseda Music Recordsという早稲田大学所属のアーティストの活動を応援する音楽系の企画サークルに所属し、ライブイベントを主催したり、コンピレーションアルバムを作ったりしていました。

僕が小学生だった時、5歳離れた兄が友達から借りてきたMDを色々聞かせてくれたことがきっかけで、いつの間にか僕自身も音楽が大好きになっていました。高校では軽音楽部でバンド活動をしており、大学でも軽音サークルに入ろうと考えていたところWaseda Music Recordsの存在を知りました。早稲田大学にはすでに音楽シーンで活躍しているアーティストもいれば、これから人気が出そうなアーティストの卵もたくさんいて、アーティストの支援をするということに興味を持ち、所属することを決めました。

知的財産権法を専攻しようと決めたのも音楽がきっかけです。そもそも早稲田大学法学部に入った理由は、兄が早稲田大学に通っていて楽しそうだったのと、逆転裁判というゲームが好きで、法律なら楽しく学べるのではないかと思って。法学部で何を学ぶか考えていた時に、せっかくなら自分が好きな音楽やゲームといった人が作ったコンテンツを守ったり活用したりできる知的財産権法を学ぼうと決めました。

就職活動では、著作権の活用を軸に企業を探していました。就職活動を始めたのが遅かったので焦りはありながらも、徐々にペースを掴んでいきましたがエンタメ系企業の面接で、海外展開についての問いかけに全く対応することができなくて。海外経験ゼロで英語が話せない僕には答えられるほどの経験がなく、そこを面接官に詰められてしまい、選考に落ちてしまいました。選考に落ちたのは初めてではなかったものの、選考が終わってからもなぜか悔しさがずっと残っていました。英語力がないことを指摘されっぱなしにするのは嫌だったし、自由な時間があるのは大学生活までだと思い、休学して海外経験を積むことを決意しました。

留学先で僕を救ってくれたベトナム人

お金があまりなかったため滞在費も安いところを探していると、フィリピンがヒットしました。滞在先を決めて学費を払える準備もできた段階で留学に行く旨を親に伝えたのですが、猛反対されました。当時のフィリピンは新政権が誕生したばかりで情勢が不安定かつ、僕は海外経験がほとんどなかったので、息子にそんな危ないことをさせるわけにはいかないと言われて。それでも英語が話せない悔しさは変わらなかったので親と口論していたところ、父親が見せたいものがあると言って、家系図を見せてきました。

見てみると、父方の祖父の姉がアメリカ人と結婚していて、その家族がアメリカに住んでいるとわかりました。もしそこまでして海外に行きたいのなら、親戚のつてを辿ってアメリカに行きなさいと父親が言ってくれて。アメリカに住んでいる親戚は僕が来ることを快諾してくれたので、3ヶ月アメリカで生活することにしました。

アメリカの語学学校に通えるほどのお金の余裕はなかったので、移民向けに開かれている、公共の無料語学学校に通って英語を勉強していました。しかし、スーパーの店員さんとの簡単な会話でさえままならないなど、慣れない海外生活に徐々にストレスを覚えていき、いつのまにか抑うつ気味になっていました。日本で当たり前にできていたことができないことで落ち込んでいた僕ですが、通っていた学校の生徒だったベトナム人が気にかけてくれて。彼と話してメンタルが上向きつつ、ベトナムのことを色々聞いたことでベトナムに興味を持つようになりました。

プログラミングの難しさと楽しさを知る

3ヶ月のアメリカ生活を終え日本に帰国し、次はベトナムに行きたいと考えるようになりました。どうすればベトナムに住めるか模索していたところ、海外インターンという手段を見つけたので、ベトナムで募集している長期インターンに複数応募しました。結果、僕のことを拾ってくれたホーチミンの日系開発会社でWebディレクターのインターンをすることになりました。

インターン業務では、開発サイドに実現したい仕様を渡しても「プログラムの都合上実装が難しい」などのコミュニケーションが頻繁にあり、エンジニアを困らせていました。もし僕にプログラミングの知識があればよりスムーズに業務が進むのではないかと考え、プログラミングの勉強を始めることに。英語を始めたのと同じ感覚で、とりあえずやってみようということで勉強を進めました。

インターンが終了しホーチミンから帰国後、本格的にプログラミングを学ぶためにスクールに通うことにしました。プログラミングスクール修了時に、エンジニアとしての行き先がまだ決まっていないんだったら、うちのサービスを体験してみた視点でサービスをよくしていくことに興味はないかと打診されて。元々とある企業の内定をいただいていたのですが、プログラミングが楽しくてプログラミングの仕事にしたいと思ったので、企画兼エンジニア職としてスクールの運営会社に入社することに決めました。

エンジニア一筋としてやっていく覚悟

就職後もベトナムが好きな気持ちは変わらなかったため、ベトナムに関する情報収集を定期的にしていたところ、Sun*の記事をみかけました。記事ではハノイオフィスで働く新卒社員が取り上げられていて、僕はもう一度実力をつけてからベトナムに行こうと思っていたのに、新卒でベトナムに行くのはすごいなと。事業も面白そうなことをやっているし、ハノイでのエンジニアインターンを募集しているということで、とりあえず話だけ聞きに行くことにしました。

面談を担当してくれた同年代の方が終始楽しそうに話していたのがまず印象的でした。当時の僕の年齢だと周りの友人は新卒1年目くらいで、会うたびに仕事や会社の愚痴を聞いていたので、同世代が仕事に関して楽しそうにしているのは新鮮でした。また、現職で企画兼エンジニアといういわばゼネラリストとしてのキャリアを歩むことにどこか行き詰まりを感じていて。僕は、胸を張ってエンジニアですとはっきり言えるキャリアを歩みたかったんですよね。だからこそ、当時新卒の仕組みがなく中途メンバーに混じって頑張らなければならない環境は、エンジニアリングのスキルを磨くいいチャンスだと。

もちろん、現職を辞めることでたくさんの人に迷惑をかけるし、正社員からインターンになるということで収入も落ちる。さらに、経歴的にもきれいとは言えなくなるとは思いつつも、Sun*でエンジニア一筋のキャリアを始めたいという思いが強かったし、ベトナムで再チャレンジできるチャンスだと確信していました。したがって、今の仕事を辞めてSun*のハノイオフィスでエンジニアインターンをすることにしました。

半年間のフロントエンドエンジニアのインターンを終了後、社員にならないかとお誘いがありました。今まで一緒に働いてきた人たちはもちろん、Sun*にはベトナムにも日本にもまだまだすごい人たちがたくさんいると聞いていて。すごい人たちを知らずに去るより、一緒に働いてみたいと思ったため、2019年4月に正社員としてSun*にジョインしました。

多様なメンバーと多様なプロジェクトに参加できる

現在はWebサービスのリニューアルプロジェクトにリードフロントエンドエンジニアとして参加しています。具体的には、デザインチームやバックエンドチームと調整しながらフロントエンドの方針を決めたり、コードレビューをしたりしています。日本とベトナムの混合チームなので、基本的には英語で、時には通訳を介してコミュニケーションをとっています。複数言語での意思疎通は簡単ではありませんが、コードという共通の言語/アウトプットで会話ができるのは楽しいですね。

仕事を進める中で、Sun*ではオーナーシップが求められるのかなと思います。どういうことかと言うと、誰が何をするのか明確になっていないままボールが来ることが多いんですよね。その上で、そのフワッとしたボールをいかに自分ごと化して、タスクに細分化できるか、その上で、どのタスクを自分で担当してどのタスクを誰に依頼するのか、ここまでを責任を持って遂行するオーナーシップがSun*で働く上での肝要だと思います。

Sun*のカルチャーとしてもう一つあって、それはメンバーとプロジェクトが非常に多様だと言うことです。何をするのか・誰とするのかといった変数が複数あり、解決するべき課題や解き方が毎回変わるから新鮮な気持ちで業務に臨めるし、今までの自分にはなかった視座を得られるチャンスが多い。その多様さがSun*に「違うから軋轢を生む」ではなく「違うから楽しい・尊い」といった、違いをポジティブに楽しめる雰囲気をもたらしているのではないかと考えています。

体型的な知識を持ち、価値を最大化させ続ける

これからのキャリアについてですが、飽きるまでエンジニアとして働きたいと考えています。過去には、セールスを経験した方がいいのではないか、PMになってみてもいいのではないかと迷った時期もありましたが、代表にエンジニアリングに飽きていないなら今のままで良いと背中を押されたのもあって。今のところ飽きる予定はないのでずっとエンジニアでいると思います。

その上で、改めてコンピュータサイエンス (情報工学) に関する全体像を知識を学びたいなと。運良く文系出身でエンジニアとして実務経験を積めているのですが、コンピュータサイエンスの体型的な知識がかけていることにより、提供できるソリューションが限られこのままではより大きな課題を解決していくことができず、エンジニアとして生存できないのではという危機感を持っています。関わらせていただいたプロジェクトで外資系ビッグテック出身のエンジニアと一緒に働く機会があったのですが、彼らが書くコードや提案するソリューションの引き出しの多さに驚きました。情報系の知識を網羅的に保持していないと、たどり着けない選択肢があることを目の当たりにしたので、体系的な知識を一から学び、エンジニアとしてさらに力をつけていきたいと思っています。

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