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#soeasy people vol.3 CEO_中野慧(前編)高校中退から東大入学、外コン、そして29歳でフリーターへ。

ー高2で退学、引っ越し会社でお金を貯め、一念発起して東大へ

高校2年生の時、家庭の事情で退学し、引っ越し会社で働き始めました。学校の勉強から離れて働いているうち、これまでは全く思わなかった「学びたい」という意欲が強く湧いてきました。この気持ちに従い、数ヶ月間毎日休みなくシフトに入り、筋肉痛を常態化させながら予備校に通うお金を貯め、その後はすっぱり仕事をやめて、勉強を再開しました。自分が学校をやめなければ、これまでの教育の中で違う道を歩んでいたら人生はどう変わったのだろうということに非常に興味が湧き、教育学や社会学を学ぶことを目指しました。言葉通り、朝から晩まで勉強を続け、遅れを取り戻し、東京大学に合格。それは、青春期の大きなターニングポイントだったと思います。

ー塾講、治験、エキストラ・・・から、初めての起業?

実家からの仕送りはゼロだったため、サークルにも入らず、学業以外はひたすらバイトの日々でした。とにかく稼ぎたかったので、よくある塾の講師のほかに治験(新薬実験の被験者)バイトやエキストラバイト(何のエキストラかは広報NGにより記載不可)など、ひたすらにアルバイトに精を出していました。
お金稼ぎの一環として、ままごとですが事業もやりました。東大では、3年生時にキャンパスの場所が変わるため、多くの一人暮らし学生は引越しをします。この引越し需要を取りまとめ、引越し会社にバルクで依頼し、安くすると同時に中間マージンを抜く、というのが初めての起業経験です。(笑)とはいえ、1年に1回、2月から3月に小銭が入ってくるだけでしたが・・・。

ー学びたい欲求は色あせ、戦略コンサル業界に就職

学業面では希望通り教育社会学科に進み、ゼミでの学習に精を出していました。社会学を聞きかじったおかげで、「自分の考えは、社会の通説を内面化しただけで本当は自分の考えではないのではないか!」と面倒臭く考え直す癖がつき、それが後々のキャリア選択にも反映されています。一方、あれだけ高まっていた学びたい欲求はいつの間にか色あせ、大学に残って学問を究めることには向いていないと思い始めるように。そんな自分の中の気持ちの変遷は、ファーストキャリアとして選ぶ職場にも影響を与えました。果たして、今自分がやりたいことは、就職しても、同じように思い続けられるのだろうか・・・。そんなはずはない!と冷めた自己分析をおこなった結果、選ぶべきは市場価値と能力が上がり、様々な業界に触れられる会社、ということで「戦略コンサルティング業界」に定め、最初に内定をいただいたBain&Companyに入社することになりました。

ーBain&Companyでの修行の日々

若手のうちは業界やテーマを絞らずに幅を持った人材を育てる、という育成方針だったこともあり、とにかく色々な業界とテーマに取り組みました。その中でも、投資ファンドと「事業デューデリ(Due Diligence)」と呼ばれる市場調査や過去のPL、事業計画を全部ひっくり返し、隅から隅までつつきまくるプロジェクトに入ることが多く、1ヶ月で事業のことを理解し(少なくとも、理解した風になり)、投資是非を決めるアドバイスを行うことはめちゃくちゃハードでしたが、相当成長させてもらいました。その中で一番辛く、同時に成長したと思えたプロジェクトは、投資ファンドが買収した企業の再生案件でした。当時は入社2年目ではありながら、短期的な黒字化戦略を起案推進するプロジェクトのリーダーとして抜擢され、なんとしてでも結果を出してやる、と息巻いていました。企業側もプロジェクトを組成して、各部門のキーマンが10名以上アサインされたわけですが、彼らからすると2年目の僕など圧倒的な若輩者。なぜこんなやつが、会社の命運をかけたPJの一つで、したり顔で取り仕切っているんだ・・・と全く快く思っていない状態からプロジェクトはスタート。一方、当時の僕は完全な頭でっかちで、一見正しい机上の空論を全員に押し付けながら、実効性も怪しいプランを作り上げ、社長に独りよがりなプレゼンをしました。プレゼン最中、プロジェクトメンバーからも明らかに総スカン、社長からは「お前のプレゼンを聞く価値はない」と開始数分で強制終了を受け、プレゼン資料は捨てられました。

ーUp or Out ?
悔しさと情けなさが入り混じり、夜中1人で枕を濡らすほど手痛い経験ではありましたが、結果を出すとはどういうことか、そのためには何が必要なのかを理解することになるターニングポイントでした。この超がつくほどの大失敗、Up or Outの外資系企業ではキャリアが閉ざされたな・・・そう思いながら、社長室へ謝罪に行きました。そこで、社長からは「次頑張る?」と挽回チャンスを与えていただき、結果、6年も在籍することになったのです。当時の社長には心から感謝をしており、今でも深くおつきあいさせていただいております。soeasyも応援してくれております。

ー退職、海外移住・・・そして30歳で下した決断は?

30歳を目前に控えた時、これまでの仕事を振り返ってみました。新しい価値を世の中に生み出した経験がない。これまで目をつむってきたことに背くことが出来なくなっていました。30代は、自分で新しい価値を作っていく10年間にしたい。そう思い、29歳になりたての時にBain & Companyを退職しました。その後は、貯金を食いつぶしながら海外で暮らし、NPOで働いたりしつつ、新しい価値を想像する機会について考えを巡らせていました。そんな中、たまたまのご縁でリクルートマーケティングパートナーズ(RMP)を紹介されました。RMPが「世界の果てまで最高の学びを届ける」ことを掲げてスタディサプリを本格的に展開し始めたタイミングであり、高校中退し教育学を学び、新しい価値を世の中に届けたいと考えている今の自分にとって、運命のようなご縁を感じ、日本へと帰国することを決意。30歳誕生日の翌日から、リクルートで働き始めました。

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