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文系と理系の交差点には、まだ遠い。

はじめまして。

今川 博雅と申します。
スナックミー への入社から、まだ1ヶ月未満。

昨今色々と言われてるデータサイエンティストなる職業についていますが、専門的に学んできておらず、むしろつい最近の出来事。(まだまだ勉強中)


私は幼少より人文科学にいそしんできた(いわゆる文系)わけで、もしかすると、もしかしなくともデータサイエンスとは縁もゆかりもないだろうと決めつけられることが。

かと言って何も脈略がないわけではなく、
学生時代、民俗学研究にのめり込んだことがこの職に就く一つのきっかけとなっています。

民俗学(歴史学の手法も含む)と聞くと『遠野物語』柳田国男や『死者の書』折口信夫のことはご存知の方も多いのではないでしょうか。
現存する古文書を読みこみ、フィールドワークをし、民具にあたり、話に耳を傾ける。

古くから伝承されてきた有形、無形の資料をもとに生活文化を相対的に説明する学問とされているよう。(定義は曖昧で非常に難しい。間違っていてもどうか広い心で見逃してください。)

ただ資料を解読するだけではなく、可能な限りデータ化する(進学率、通知簿評価、自然災害数 etc..)、データが足りなければ再度異なる文献にあたる、インタビューを続ける中で定性的な情報を集める。

さらに実際使われていた民具や写真も参考にし、当時の人の心理や感情も考慮しながら仮説を立てて、異質なデータの統合化をを繰り返していました。
※ここにて川喜田二郎に傾倒。興味がある方は「発想法」がおすすめ。


文化というものには「記録の文化」と「記憶の文化」というものがある。記録の文化は文書となり絵巻となり建築となってしっかりと歴史の一時期を告げている。解読可能な文化である。しかし記憶の文化というものは語り継がれ、身ぶりとして継承されてきたものが多いだけに、漠然としているし、一つの記憶だけですべてを再生することはできない。語りをする者たちのあいだには食い違いもあるし、記憶ちがいもある。したがって、いくつもの語りをつなげ、そこから流れを引き出してくる必要がある。

<松岡正剛の千夜千冊 『忘れられた日本人 』 宮本常一 引用>

記録として目に触れやすく、偏りが大きな偉人列伝に描かれる世界観とは異なる歴史を、視点を。
混沌とした定量データと定性データを組み合わせて発見していく過程の楽しさが、現在の業務にも含まれているのだと感じています。


データは新しい石油だ(Data is the New Oil)

どこかで誰かが声高にいっていたこの言葉を、時折思い出すことがあります。

今後インフラとしてデータが当たり前に「ある」状態になった時、貯めたはいいもののどう活用していくのか、価値創造の面にフォーカスが当たるのは間違いない。

とはいえ、すべてが記録として顕在化しているはずもなく
極端なバイアスの上に成り立っているものも、はたまたユーザーの心理や感情が明確に現れず抜け落ちてしまっていることも多々。

定量のみを基準に注力ポイントを絞るというやり方をとり
全体観をくずしかねないような失敗もしました。
何も「ない」のではなく、ただ見えていないだけ、想像力の欠如だという自戒も込めてバランスを。


スナックミー には今後間違いなくユーザー体験を向上させ得る
ユーザーの評価・行動データが大量にたまっています。

そして何よりデータのような客観情報をもとにさらに精度高く、素早く、
可能な限り科学的に意思決定を行っていこうとする風土がある。

各々の中に感覚としてあるものを、可視化し方向性を具体化すること、事業が拡大したときの判断基準や新たな施策のタネを発見、企画細部の詰め、勝ちパターン蓄積などなど、

能力として今できること、行いたいこととのギャップを埋めるために
私が日々もがき過ごしている中での楽しさが、少しでもここで伝わればと思います。


興味を持ってくださったら、ぜひ一度オフィスに遊びにいらしてください。

ちなみに、ただのデータ蓄積だけでは新たな石油には成り得ず、
そこには仮説や物語を加えていく編集力がより強く求められていくのでは。

なーんていまだ文系から抜け切れない私は、ぼんやりと考えています。

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