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The Entrepreneur #4 独立研究者・パブリックスピーカー 山口周氏~あなたの中のアートとサイエンスをリバランスする方法~(前編)

セプテーニグループはミッションとして「ひとりひとりのアントレプレナーシップで世界を元気に」を掲げています。いま社会で活躍する様々なアントレプレナーをお招きし、セプテーニグループに所属するひとりひとりがそれぞれの「アントレプレナーシップ」について、考えてもらう場をつくりたいと企画された”The Entrepreneur”シリーズ。

第四回目のアントレプレナーは、『世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか』『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』などの著書でも広く知られている独立研究者・パブリックスピーカーの山口周さんです。

なぜ今の時代にアート的な思考・行動様式が求められるのか?」また「サイエンスとのバランスをどのようにしていけばいいのか?」など、現代の全てのビジネスマンが向き合うべき問いに共に向き合うことで、ひとりひとりの持つべきアントレプレナーシップについてお話いただきました。

今回は前編をお届けします。

山口周
独立研究者、著作家、パブリックスピーカー。ライプニッツ代表
1970年東京都生まれ。
慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修了。電通、ボストン コンサルティング グループ等で戦略策定、文化政策、組織開発などに従事。『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)でビジネス書大賞2018準大賞、HRアワード2018最優秀賞(書籍部門)を受賞。

意思決定には「真」「善」「美」の軸で

今日は、「経営におけるアートとサイエンスの新しいバランス」についてお話しします。

経営がうまくいく会社とうまくいかない会社がありますが、その差は何かというと、結局は日々の意思決定の積み重ねにあります。
意思決定は社長だけがやっていると思っている人が多いかもしれませんが、全然そんなことはなくて、新入社員でも意思決定はしています。例えば、営業に行くときにどういう営業トークをするかとか、営業先までのルートをどうするか、なども全てひとつの意思決定になります。ですから、会社では社長から新入社員まで毎日朝から晩までたくさんの意思決定を行っています。そしてこの意思決定の質が高いと、会社の経営はうまくいくんです。

逆に昨今、企業のコンプライアンス違反が問題となることがありますが、この場合でも現場の担当者などが、「このくらいだったらごまかせるだろう」といって不正が行われていき、それが習慣化されてしまい、最終的に収集のつかないことになってしまって、最悪のケースで倒産してしまう、ということになるわけです。つまり、これは意思決定を間違ってしまった結果ということです。
では、その意思決定の正しさって何で判断できるかというと、「真」「善」「美」というものが一番わかりやすいと思っています。もともとこれは哲学の領域で扱われていた考えで、「真」「善」「美」の軸に則て判断できれば、人間社会はよりよくなる、ということなのですが、経営判断においても、この3つの軸がすごくわかりやすいものさしだと思っています。

説明すると、「真」は正しいかどうか、「善」は、善悪の判断に照らして許されることかどうか。「美」は、美的感覚に訴えるものがあるか、ということです。
「美」は、デザインと捉えてしまうかもしれませんが、例えば、「詩」や「言葉」や「演説」など見た目が関わらない美しさも色々ありますよね。

先ほどの企業のコンプライアンス違反の問題をこれに当てはめてみると、「善」という判断軸から踏み外してしまっていることになりますね。また、「美」というところを踏み外すと、顧客に全然評価してもらえないということが起こったり、「真」を踏み外すとそもそも儲からなくてやるだけ赤字ということになってしまいます。
なので、これを会社の中にいる人がちゃんと判断できるかということが大事です。

僕が経験してきたコンサルティング会社は、「真」の部分を企業がちゃんと判断できるようにするのを手伝う仕事なんです。「善」は弁護士がやっていて、許されるか許されないか、というところの判断を助けています。そして広告代理店は多くの場合、この「美」=顧客をひきつけるようなものがあるかどうかについて、外部からサポートする仕事です。ですから、「真」「善」「美」というのは哲学的な用語ですが、これを仕事に当てはめてみると、いくらでも具体的な仕事としてあります。

考えの拠り所となる「理性=Science」と「感性=Art」のアプローチ

ではどう判断できるのかというと、拠り所となる考え方が大きく二つあって、ひとつは「理性=Science」です。
データと科学に基づいて論理的に考えると、「真」なることが判断できるということです。だから自然科学の論文には、「データと事実を論文の中で記載して、論理的に考えると、こういう結論になる」っていうことをまとめるわけですよね。サイエンスには必ず「再現性」があること、つまり同じ条件下ならば誰がやっても同じことが起こるということですね。

先ほど言った通り、凡例とか法律に基づいて、やって良いことと悪いことを判断するのが「善」におけるサイエンスからの考え方。そして「美」は市場調査とか他社事例、つまり今世の中で何が売れているのか、世の中の人がどういうものを好んでいるのかを調べれば何が顧客に刺さるのかが判断できるというのがサイエンスの考え方です。

一方で図の右側にある「感性=Art」は違うアプローチになっていて、「真」を判断するのには五感や直観に基づいたり、「善」は道徳や倫理観、世界観・歴史観で捉えていくという考え方です。

世界観・歴史観というと、理解しにくいかもしれませんが、例えば、半年前に東京ガールズコレクションというファッションショーが開催されたのですが、このときのテーマが「サステナビリティ」でした。どういうことかというと、アパレルってだいたい6~7割の製品が実際に買われずにゴミとして焼却されています。大きな問題として取り上げられるようになったきっかけは、数年前に、ある大手のアパレルブランドが数十億円に上る在庫を焼却処分したことがニュースになったことです。これだけ二酸化炭素やゴミや資源や汚染が問題とされている中で、6~7割が捨てられることを前提につくられているんです。そしてその捨てられる分のコストは売れる3~4割の商品に上乗せされているわけですから、消費者が負担していることになります。消費者からお金を取ることで、焼却することができている。これは別に法律や判例でアウトと言われているわけではないのですが、世の中が「これはちょっとおかしいんじゃないの」と言い出したのは、これがまさに歴史感覚ですね。

ここの感度の鋭さというのは、広告マンとかブランドに携わる人の中では持っている人は多いと思います。逆に言うと、ブランドに新しい世界観とか歴史観を自ら提案して、ブランドから「それはおかしいんじゃないか」と言わせると一気にファンが広がる可能性があるんですね。

たとえば数年前、あるお菓子メーカーが「バレンタインで義理チョコはやめよう」と発信したことが非常に話題になりました。、これも、これまでの「義理チョコを渡す慣習に対して、お菓子ブランドから新たな提案をした結果、すごく共感する人がでてきた。ですからこの世界観・歴史観をもてること、そしてそこから世の中に問題提起をすることが非常に重要になってきます。

また、「美」は市場調査や他社事例ではなくて、感性や審美眼が重要だということです。

これまで「理性=Science」が重視されてきた理由

非常に難しい問題なんですが、今はサイエンスの方に非常にウエイトが置かれています。企業経営における意思決定でも、人材育成でも、人材配置もそうです。

たとえば、ある会社を買収しようかという局面にあったときに、経営者の下にAとB二人の部下がいたとします。Aはデータを色々集めてきて、「この会社は買わないほうがいい、市場シェアはシュリンクしているし、市場自体もそんなに大きく育ってないし、技術的な評判を見てみても、いい話はきかないし、この案件はどう考えてもやめたほうがいいですよ」とアドバイスをする部下。
Bはデータもなにも持ってこなくて、「いやなんとなくあの会社外から見たらイイ感じするんですよね、そこは雰囲気じゃないですか」といってくるB。
社長の立場から考えてこの2人を比べたら、論理的に説明してくる部下Aの意見を採用すると思います。そしてAのように論理的に話す人のほうが昇進も早いです。
つまり、サイエンスが得意な人が企業の上に集まってくる、ということになります。

でも、企業経営というのは上の立場になればなるほど、直観というものが非常に重要になってきます。
じゃあ直感が優れた人かどうかというのは、実はほとんどスクリーニングされずに上の立場にあがってきちゃうんです。
ここが非常に難しいところです。

「優秀さ」とは「希少なモノを生み出せる」ということ

みなさん自分の市場価値をあげたい、優秀な人物として評価されたいと思っていると思うのですが、気を付けなければならないのは、「優秀さ」とは、相対的な概念だということです。

例えば原始時代のことを考えてみて下さい。原始時代における優秀な人を想像してみると、鋭い石器をつくれるとか、狩りが非常に上手だとか、などが優秀さだったのかなと思います。偏微分方程式がちゃんと解けるとか、ロジカルシンキングができるとかは別にどうでもいいですよね。
一方で、今の世の中で、優秀というのはどういうことかを質問されたときに、同じことを答える人は一人もいないと思います。典型的な例として、偏差値が高い大学を卒業しているとか、難しい問題に対して素早く正解が出せる、などがあげられると思います。

つまりは、優秀さというものを定義するならば、「その時代において、希少なものを生みだせる」ということなんです。そしてそれは、時代によって変わってしまうんです。

原始時代というのはタンパク質が少ない、道具が少ない、家も不足していて希少なので、動物を捕まえたり、石器をつくったり、家をつくったりできることが優秀さだったんです。

しかし、今の時代は問題に対して素早く正解が出せるという能力が優秀さの定義になっているんですが、これは、数十年前は正解が非常に希少だったからなんです。しかし今、実はいろんなものが逆転してしまっているんです。

逆転する「希少なもの」と「過剰なもの」

その時代における優秀さを定義する場合、過剰なものと希少なものを整理するとよくわかります。今何が過剰かというと、「正解」が過剰になっているんですね。逆に、かつては過剰だった問題が希少になっている。

たとえば、昭和の三種の神器というものを聞いたことがあると思うのですが、冷蔵庫、洗濯機、テレビですね。これは当時みんなが欲しがったんですが、なぜかというと、世の中の人はたくさん問題を抱えていたからなんです。食べ物が保存できないとか、寒いときにもわざわざ外にでて洗濯しなくちゃいけなくてとてもつらい、とか、そういったいろんな不満とか不便さがありました。
なので、冷蔵庫や洗濯機などのソリューションを提供すると、それだけでお金がじゃんじゃん入ってきたわけですね。

ところが、現代では、携帯電話とかコンピュータとか、エアコンもあって、ありとあらゆるモノがいきわたった状態になり、モノに関して日常的な困りごとがなくなってしまったんです。

NHKの放送文化研究所が行った国民調査の直近のデータによると物質的な満足度では約90%の人が満足だと回答しています。つまり9割の人は物質的な不満は感じていないんです。


そうなると困ってしまうのが企業ですね。なぜなら現状に不満のない人はモノを買わないので、モノが全然売れない、ということが起こるんです。
こうしていま必然的に起こっているのが、モノが過剰で意味が希少という現象です。これは、モノが溢れる一方で、物語や意味が喪失してしまっているということです。

モノが過剰になってどんどん価値がなくなってきているということを示す非常に典型的な存在が、近藤まりえさんだと思います。彼女の本は、全世界で1200万部くらい売れていて、世界的にみると、彼女はオピニオンリーダーなんです。タイムというイギリスの経済誌がありますが、彼らが過去に選んだ世界的な思想家50人に選ばれていたり、一人数万円の講演会でも、即日で完売してしまうほどです。
それはつまり彼女が世の中にすごく大きな価値を提供しているということになります。

じゃあその価値は何かというと、もちろんモノは提供していないですよね。
逆なんです。「モノをなくす」ということを世の中に提供して、とても大きな価値を生み出しています。
これは、世界史的に見てもおそらく初めての現象です。

原始時代からずっと人類の歴史が続いてきた中で、モノがあることは必ず良いことだと言われてきました。しかし、この時代において初めて「モノがないほうがいい」ということを感じる人が増えているんです。彼女はそのモノの減らし方のメソッドを提供して、その対価として莫大なお金を生み出しています。

不便なモノが一番高い?

次に逆転したものとして、利便性情緒・ロマンについて考えてみましょう。
昔はモノが無くて利便性がなかったので、便利にすることに価値があると思われていました。しかし今はどうでしょうか。例えば、「とても便利なもの、まあまあ便利なもの、不便なものの3つを並べてどういう値段をつけて売りますか」ときいたとしたら、100%の人が、「一番便利なものに一番高い値段をつける」と回答すると思います。

じゃあそのようなものを世の中から見つけてきてくださいというと、結構苦労すると思います。
なぜなら、今の世の中は一番不便なものが一番高いんですよね。

例えば、音楽を聞くデバイスを考えてみてください。いまだと皆さんもお持ちのスマートフォンに1万円程度のBluetoothのイヤホンをつければ十分綺麗な音質で聞けてしまいますよね。間違いなく便利なわけです。

じゃあこの「音楽を聞く機械」という市場において一番高い価格がつけられているものって何かというと、真空管のアンプにターンテーブルと、ビンテージのスピーカーを組み合わせて聞く機械が1000万~1500万円とかで売られているわけです。これはBluetoothのイヤホンに比べて値段が1000倍も高いです。では二つの利便性を比較してみると、1000万円のスピーカーのほうが間違いなく不便ですよね。

このように、利便性が上がると価値が上がると思っている人が多いんですが、実は逆なんです。現代では利便性が過剰なので、利便性をあげるということは価値を下げるということになるんです。
一方で、意味が希少になっているということは、そこに意味を与えるとものすごい価値が生まれるということなんです。

経済学的な見方から、過剰なものは価値が下がるという視点で考えると、どうすれば価値をあげることにつながるのかが見えてきます。
先程の図を見ても、いま希少となっている問題を見つけられる能力、意味や情緒、ストーリーや共感、懐かしさを生み出せる能力が世の中では求められていますが、先ほどのサイエンスとアートという観点でどちらの方がなじみがいいかというと、明らかにアートのほうですよね。

今希少とされているそれらのものをサイエンスで生み出せるかといったら、難しいと思います。
つまりビジネスの領域においてもアーティスティックなものを創り出す能力が求められてきているということです。


後編へつづく

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