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順風満帆だったサラリーマンが、起業した話-1

2019年1月に5年間お世話になった株式会社日本M&Aセンターをやめた。

控え目に言っても、この5年間を語らずして僕の人生はない。5年目、年収は3,600万円に達していた。役職も毎年順調に駆け上がり、社内表彰も2度受賞。トラックレコードも僕の知る限りではまだ残っている。生意気ながらに可愛い部下もいた。この人のために働きたいと思った上司も、仲間もいた。それはもう、会社に行くのが楽しい日々だったわけだ。それでも僕は起業を選んだ。

起業して2年。昔の仲間に会えば、嫉妬がないと言えば嘘になる。羨ましさがないと言えば嘘になる。でも、僕は小さいながらRight Brothersという会社の社長になった。2024年の1月に上場を目指す未熟な社長が、後ろを振り返らないためにも、なぜ起業を選んだか、ここに残しておきたいと思う。

奇跡の転職

株式会社日本M&Aセンターに中途入社したのは2014年4月。僕にとってはまさに奇跡だった。新卒で入った会社は3ヶ月で辞め、地元の海の家で毎日ギャル・テキーラ・水着という遊びの三種の神器が揃った環境で夏限定のバイト。この時僕は大学在学中ではない。一度社会に出たプータローだ。その後、縁あって入社した横浜の注文住宅販売会社、トラストハウスで自分の才能に気づくことになる。そう、営業だ。1年間に24棟も売ってしまったのだ。ここから急激に人生は加速する。当時、ネオキャリアのエージェントだった井出さん(現ネオフェクト代表取締役)から連絡を預かり、人生で初めてのハンティングを受けることになる。丁寧なヒヤリングの後、井出さんから「中途採用基準に一つも当てはまってないけど受けてみますか?」と出てきたのが、日本M&Aセンターだった。この時、初めて”M&A”という単語に触れる。調べれば調べるほど遠い存在だった。だが、ここで奇跡が起きる。当時日本M&Aセンター事業法人第1部の部長だった竹内さん(現日本M&Aセンター常務取締役)が面接に出てきたのだ。面接時間60分中58分は竹内さんがしゃべり倒すという後にも先にも聞いたことがない面接だったが、僕が履歴書に書いた「土壇場力」という表現を面白がってくれ、奇跡の内定をもらうことになる。

ビジネスを教えてくれた恩師との出会い

奇跡の内定をもらった僕は、当然竹内さんが指揮をとる事業法人第1部に入ることになる。”売掛金”を”売上の掛け算”だと思ってたこの小童に、ビジネスのイロハを叩き込んでくれました。2014年、日本M&Aセンターの時価総額は1500億円程度。そのの頃から竹内さんの口癖は「日本M&Aセンターを株価1兆円企業にする」でした。横浜の15名程度の会社にいた僕からしたら、一体全体何を言ってるのか当時は意味不明でした。しかしですよ、最初に答え合わせをしておきますと、そこから6年、日本M&Aセンターはこの”株価1兆円”を達成してしまうわけです。このアメリカ全土を吹っ飛ばすくらいのハリケーンの中での5年間で竹内さんから学んだことは数知れず。ちょっとだけ紹介したいと思います。

叫んだことに結果は比例する

怒られるかもしれないんですけど、竹内さんは大きなことを言う癖がありましたw年度は忘れてしまったのですが、恐らく2016年頃、部署として会社から与えられた予算は23億円程度。メンバーは14-15名程度だったと記憶している。期初の1発目の会議で竹内さんは声高らかに言った。「今年は40億やる、明日経営陣に宣言してくるがいいか?」。細かいことは割愛しますが、会社のエース級が集まっていた事業法人部でも、40億は程遠いというか到底不可能な数字でした。どんなロジックでどんなエビデンスでこの数字を持ってきたのかは今でも不明だが、とにかく彼が言ったことは一つ。みんな2億円ちょっとやればそれで終了だと。小学校にいるガキ大将みたいな悪戯な顔で言うもんだから、部員は苦笑いするしかなかった。そして竹内さんの思惑通り、経営陣どころか会社全体に宣言し僕らの地獄の1年間はスタートする。しかし、これが面白いことに数字がドンドン積み上がってくる。最終クオーターでは部内はもとより会社全体からも「マジでやっちゃうんじゃないの?」という声が聞こえてきました。普段はライバル関係にある他部署の応援もあって、この40億は見事達成されてしまった。昔から好きな言葉に孫正義さんの「人生は、夢の大きさに比例する」と言うものがあるが、それを実地で経験した1年だった。

起業の病

言い忘れていたが、僕は昔から起業したい病気にかかっている若者だった。だから周りにはそういう価値観の人間も多く、定期的に情報交換はしていた。27才くらいになると、その病気にかかっていた仲間が実際に起業をしたり、ベンチャーにCXO的な感じでジョインし始めていた。定期的な飲み会で僕は、「金に目が眩んで牙が抜けた高野くん」とか言われていじられていた。それでも起業する覚悟は生まれなかった。なぜなら最高すぎたのだ。そして僕にはもう一つ致命的な弱点があった。”テクノロジーがわからない”。2019年ともなれば起業にテクノロジーは必須だと思い込み、さらにM&Aと言う仕事柄、テクノロジーの力でオールド産業の中で1人勝ちしている企業を何社もみてきた。その逆も然り。テクノロジー導入に遅れをとり、後発企業にシェアを取られて破産に追い込まれた企業もあった。簡単に言えばビビってたわけだ。

起業の決断

奇しくもこの決断の機会をくれたのは竹内さんだった。2018年の初夏だったと記憶している。日本M&Aセンターの子会社バトンズの創業記念パーティーがあるとのことで半ば強引に誘われた。恐らく立場的に行かなければいけないが、1人だとつまんないからとりあえず来い!的な感じだったと思うwこのパーティのメインイベントは、当時ミクシーの代表であった朝倉さんだった。テーマは「志低き起業のすすめ」だった。要約すれば「何もテクノロジーだけがイノベーションではなく、既存事業でも新しい価値を生み出せば、それは立派なイノベーションだ」と言う内容。感銘を受けた。と言うよりも自分の起業しない最大の言い訳だったテクノロジー弱者が目の前で消されたのだ。そして僕は決断する。翌日には会社の登記準備に入ったのだ。

つづく。

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