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【ネクスタ創業物語】難易度が高い超巨大レガシー産業のDXに僕が人生を賭けて挑む理由

はじめまして、ネクスタ代表の永原です。


当社は、製造業向けの生産現場を効率化する生産管理クラウドシステム「スマートF」の開発・販売をしており、関西から世界を代表する製造業のバーティカル SaaS 企業になるべく、日々奮闘しています。

本格的なサービスリリースまで、とんでもなく長い道のりでしたが、ようやくサービスが立ち上がりつつあり、これから資金調達や採用などを行い、まさに拡大フェーズに入ろうとしている企業です。

今後は、会社のことや取り組みなどを少しずつ発信していきたいと思い、まず第1号として、僕がどんな人間で、なぜネクスタを創業したのか?をこのストーリーでお伝えしたいと思います。

みなさん馴染みのないかもしれない製造業向けのサービスですが、本当に大きな市場であるにも関わらず、まだまだ改善余地があります。少しでもみなさんに製造業の現状知ってもらい、一緒に製造業界を変えていく仲間が増えれば嬉しく思います。

目次

  1. 経営者でありながら、男手一つで育ててくれた厳しい父。
  2. 父と同じ経営者を目指し、「成長」を追い求め続けた大学時代。
  3. 誰よりも「結果」を追求し、チーム一丸となる楽しさを知れた、キーエンス時代。
  4. より経営に近い仕事ができる父の会社へ。そして、今の事業との出会い。
  5. 難しさと可能性が僕をチャレンジへと駆り立てた。ついに独立を決意。
  6. ネクスタは、絶賛採用拡大中!

経営者でありながら、男手一つで育ててくれた厳しい父。

※僕の生まれは奈良の超ド田舎です

父は、鉄道の券売機を開発するサラリーマンのエンジニアでした。
僕が生まれたのは父が32歳のとき。それまでに様々な技術を身につけた父は、僕が生まれた年に脱サラして会社を立ち上げました。

父は僕が幼いころからとても厳しく、お菓子やジュースはもとより、ゲームなんかとんでもない。決して贅沢をさせてもらえず、唯一お茶と水以外が飲めるお歳暮の果実100%ジュースや風邪を引いた時のポカリスウェットが最高に美味しかったことを今でも覚えています。

中学、高校になれば、僕と顔を合わせるたびに、「勉強」「勉強」とかなり口酸っぱく言われました。そのため、テストの点数がよかったときには、とても喜んでくれました。

「勉強や経験は、火事や泥棒にあっても盗まれない」
そう言っては、僕の将来のためになることには惜しみなくお金を出してくれました。

僕が中学生になってからは、当時としては珍しい父子家庭に。
毎日部活に明け暮れながら、自分でお弁当を作るような日々を送っていました。


高校生になってからは家事や妹の世話・勉強を教えることまで僕が担当になり、毎日、冷蔵庫の中に何があるのか覚えて学校に行っては、部活帰りにスーパーで買い物して食事を作ったり、大変ながらも必死に最低限の家事をしていたのを覚えています。

そんな中、僕の大学受験のときには何も言わずに勉強できる環境をできる限りサポートしてくれたのも父でした。夜遅くに会社から疲れて帰ってきてはみんなのご飯を作ったり、洗い物や洗濯など、何も言わずに深夜1~2時まで家事をして、朝7時には出社している背中を見続けて育った記憶があります。


むちゃくちゃ厳しくて、本当に口うるさくて、とても不器用な父だったけれど、僕たち子供の将来を考えて行動してくれていることを、父の背中から感じていました。だからこそ、父には本当に感謝しています。

あまり喜ぶ姿を見せない父でしたが、唯一、僕たち子供が勉強で良い結果を出したときには、とても喜んでくれました。
だからこそ、これからはビジネスで結果を出すこと。そして、いつかは必ず父を超えるような “立派な事業” を創ること。
それがいままで会社経営しながら男手一つで僕らを育ててくれた父への一番の親孝行だと思い、僕の原動力につながっています。

父と同じ経営者を目指し、「成長」を追い求め続けた大学時代。


同志社大学工学部に入学した、2005年。
この頃から父のおかげでビジネスに興味を持つようになり「早く仕事で結果を出したい」「将来は父のように経営者の立場を目指したい」と思うようになりました。

"この貴重な学生生活をどのように過ごすのか?"

と考えた結果、今後は必ず IT の知識が必要になる!時間のある学生時代にプログラミングを経験しておこう!と、本屋でプログラミングの書籍を購入。とはいえ、将来的にエンジニアになるつもりではなかったので、独学で学び始めました。

短期集中で一気に学ぶため、大学1回生の夏には、英語習得も兼ねて2ヶ月のインド留学に。日中はプログラミングの勉強、夜は現地のホテルのスタッフと毎晩仲良く遊んでいました。


2回生になると、アルバイトとして丸々2ヶ月間、WEB アプリの開発を行い、エンジニアとしての経験も積みました。

他にも個人事業主のコンサルタントの方のカバン持ちとして、打合せに同席、テレアポ・企画の経験も積みました。この頃は学んだり、経験したりすることがとにかく楽しかったのを覚えています。学生時代にビジネス経験を積めたことは、僕にとって非常に良い経験でした。

そうして、3回生の秋。就活が始まります。

就活では、手あたり次第にセミナーやイベントに参加して、たくさんのベンチャーの社長さんや社会人の方に会ったり、京大の外資コンサル向けのケーススタディ勉強会に乗り込んだり...。とにかく色んな人に会うために動きまくっていました。いままで会ったことない "すごい人" にたくさん会うことができ、この時期には視野がとても広がりました。

できるだけ優秀な人のいる会社に就職して経験を積みたい!と思い、いままでの経験を活かした IT コンサルの会社などもありましたが、最終的には全く関係のないキーエンスに入社を決めました。

きっかけこそたまたまですが、キーエンスへの就職が、のちにネクスタの強みにつながることになります。

キーエンスに入社を決めた理由は下記の3つ。

① 今までの就活で一番すごいと思った社員の方がいたから
② 将来経営者を目指す上で、一番大切なスキルは営業だと考えたから
③ キーエンスのような高収益企業の仕組みを学びたかったから

就職が決まった後も、就活を機に始めた日経新聞を読みながら株式投資、FX をしたり、外資系就活イベントを企画したり、現役外資金融会社社員の勉強合宿に参加して疑似ファンドを作ったりもしました。

他にも大学の卒論では、噂の広がり方をプログラミングでシミュレーションした論文を作ったりなど、とにかく学生の時にしかできなさそうなことを色々詰め込んで学びました。

この時は、とにかく自分の将来に繋がるようなことを貪欲に求めて、動き続けていました。

誰よりも「結果」を追求し、チーム一丸となる楽しさを知れた、キーエンス時代。


そして、待ちに待った社会人1年目がスタート。

ただ、学生時代にはそれなりに自信をつけてきたつもりでしたが...
それはすぐに打ち砕かれ、毎日怒られまくる、本当にダメダメ営業マンでした。

毎日家に帰っては「どうしたら売れるようになるのか?」「どうしたらもっと良くなるのか?」と、ずっと考えていたことを覚えています。

ただ、そんな中でも「お客さんがどう思っているのか、もっと考えた方が良い」「伝え方や言い方だけで、与える印象も大きく変わる」など、営業としての基礎、大切なことを数多く教わったのもこの頃です。

躊躇なく指摘してもらえる環境だったからこそ、たくさんの学びあったキーエンス時代でした。

そうして、キーエンス2年目。
チームの目標達成のために、営業施策を考え、推進する役を任されます。
ところがメンバーは普段の営業業務だけでとても忙しく、僕が一生懸命考えて施策を発信するも、なかなか実施されず、全く成果の出ない日々が続きました。

そこで僕が考えたのは、とにかく結果を出すためにヒントをもらうこと。

色んな先輩営業マンが、どんなお客さんにどうやって売っているのか?どんな商談がうまくいったのか?休憩時間に喫煙所で質問したり、全国の売れている先輩営業マンに電話で質問させてもらいながら、情報を集めて、チームに共有したり。自分でも確かめながら少しでも売れるための共通項を見つけ、チームに施策として発信し続けました。
その施策が徐々にチームに浸透し、ちゃんと結果が出始めて、チームもとても盛り上がりました。


その甲斐あって、全国でチーム3位に。
取り組んだ営業施策も上手く結果が出た結果、その施策が次の期に全国の施策にもなり、少し嬉しかったことも覚えています。

チームメンバーそれぞれの目標が1つとなり、全員で協力しあうこと、高い目標をチーム全員で追求することの達成感を味わいました。当時のチームの一体感は今でも忘れない、本当に良い思い出です。

翌年は個人で1位を取ることができたのですが、それよりも全国でチーム3位をとったときの方が充実していました。

翌年のキーエンス3年目。
この年は個人の結果にコミットし、自分の数字に集中した1年でした。
売れそうな会社を分析。リストを作り、電話件数・電話時間は常に上位をキープ。電話でできるだけヒアリングと提案を終わらせ、確度を上げることに力を注ぐ。そしてクロージングするために訪問するというスタイルで営業していました。


そんなことを毎日コツコツと継続した結果、なんとか事業部で全国1位の営業成績を取ることができました。この経験はこれまでも、これからも自分の財産です。

より経営に近い仕事ができる父の会社へ。そして、今の事業との出会い。

キーエンスで実績を出せたこともあり、僕は次第に次のキャリアを意識するように。様々な選択肢がある中で、経営に近い仕事ができる父の会社に転職しました。


父の会社は、産業用の組み込みシステムの開発会社で、1台数十億するようながん細胞をX線で治療する陽子線治療装置の制御基板や、自動車部品のシミュレーション環境構築など、大企業の産業製品の一部のシステム開発を行っていました。

ここでも僕の担当は営業。

ゼロから新規営業を行い、足を動かし、事業内容・業界知識などを理解し、自社の強みとは何か?を常に意識して行動していました。

しかし、父の会社がメインで行う事業は再現性のある事業成長が難しそうとわかってきました。

一方で、製造業向けのシステム開発案件の方が提案は難しいですが、ニーズも多かったため、今後の世の中の流れを考えても大きな市場があると思いました。

そのため2年目は、徐々に製造業向けの案件の割合を増やし、1年で見積書200枚を出すほどに営業活動に精を出しました。

この頃の僕といえば...
新規で工場への営業活動を行い、ヒアリング、仕様打ち合わせ、システム設計、エンジニアへの開発依頼、テスト後の納品まで、ありとあらゆる工程を全て1人で対応していました。最初は全て1人で行うしかなかったからです。

ここで、学生時代のエンジニア経験が活き、お客様とは打合せでヒアリングしながらすぐに仕様の打合せを行い、現場を理解しながらシステム設計ができました。

するとすぐに1人では回らなくなり、学生の優秀なエンジニアを見つけて、2人で一緒に寝泊まりするなどして猛烈に働きました。

※父親の会社の社員旅行で一緒に香港に行った時の写真

この頃は、どんどん受注できた一方で、たくさん失敗もしました。
いざ納品したら、事前に聞いていない現場運用が次々に出てくる...。最初にヒアリングした内容と3倍違うのでは!?という案件まで出てくる始末。
それでも最後までしっかりと対応して納品し、お客様の現場がちゃんとシステムを活用できて喜んでもらえる声を聞くと、とても嬉しく、やりがいを感じました。

そして、いよいよその事業も大きくなり、父親の会社で新規事業として製造業向けに特化したシステムを新たな部門を立ち上げることとなりました。

自分の事業とは別に、会社全体の WEB 関係の取り組みや営業の仕組化・採用など、いままでできていなかった取り組みを形にする企画室を同時に立ち上げることになり、本当に様々な経験を積んだのもこの頃です。ちなみに当時はキーエンス時代の1.5倍以上は働いていました。時給換算したら、いくらになったんだろう(笑)

難しさと可能性が僕をチャレンジへと駆り立てた。ついに独立を決意。


新規事業である製造業に特化したシステム開発は、順調に事業を伸ばしつつあり、営業を増やし、事業部別収支を出し、このまま拡大していく道もありました。

ただ、取り組めば取り組むほど「世の中の製造業がいかにアナログで非効率な現場か」を知ることになります。

こんなに多くの製造業がアナログで本当にもったいない...。
なんとかできないか?と心から思うようになっている自分がいました。

でもそれと同時に、製造業の IT 化の難しさも理解していました。

システム会社ならどこでも考えるように、僕も自社パッケージを作り、色んな製造業に幅広く使える自社製品を販売していきたい。そう思いながらも、案件毎に要望が違いすぎて、到底1つのパッケージでお客様に価値提供できる気がしていないのも事実でした。だからこそ、初期には「1つのパッケージでは無理だから、100個のパッケージを作る」と本気言っていたぐらいです。

ただ、独立を決断をしたのは「いつか必ず製造現場 IT 化の波がくる」ということを確信していたからです。


キーエンス時代にこの市場の大きさを知っていました。
でも、製造現場の IT 化が難しいから全然進んでいない。
だからこそ、可能性がある!と感じていました。

製造現場の熟練の方はどんどん定年退職していって人手不足に。
昔に比べて人の入れ替わりが増え、海外の労働者も増えてきた。
属人的な業務にも限界があり、システム化で効率化・標準化させていくニーズは絶対に増えていく

その時に、どの会社がトップを走るのか?

日本ではそもそもハードウェアの会社が多く、生産現場においても装置や機器などのすごい会社は山ほどあります。

それにも関わらず、製造現場に特化した生産系のシステム会社はほとんどなく、業界的にもオンプレ&個別カスタマイズが当たり前で全然進歩していませんでした。

つまり、この業界の既存の会社では、日本を変えるほどの革新的なプロダクトやサービスを出すような会社が見当たらなかったのです。

一方で、自分自身のキャリアを振り返れば、全て製造業の IT 化を事業にするのに強みになる。

学生時代にWebアプリを開発した、エンジニア経験
キーエンス時代にたくさん足を運んだ、様々な製造現場。どんな会社がどんなお金の使い方をするのかについても知見があり、製造業向けの営業ノウハウもある。
さらに今までの受託開発で、多くの製造現場のシステム開発・導入の経験

市場・競合・自社の強みの切り口から考えても、自分にピッタリの事業でした。


この事業なら業界トップの会社となり、社会に大きなインパクトを与えられる事業ができるかもしれない!!

そう思った時に、父の会社の新規事業として伸ばしていくのではダメだ。業界トップを目指し、製造業にインパクトを与えるような会社にするには、事業の進め方が全然違う。
相当の覚悟を持ってチャレンジしないといけない。

そう考え、僕は、この事業に人生賭けてでも挑戦する覚悟を決めました。


そうして、2017年4月に、正式に株式会社ネクスタを設立。
改めてスタートを切りました。

以上が、僕がネクスタを立ち上げるまでの経緯です。

ネクスタは、絶賛採用拡大中!

少しでも当社の創業ストーリーを知って、興味を持ってもらえたら、幸いです!
もちろん、現在同じ志を持って製造業 DX にチャレンジしてくれる仲間も大募集中で、ここに書いた以外の取り組みや想いも書いているので、 ぜひ下部の求人をご覧ください。

とても難しい事業ではあります!
ただ他社には真似できない社会にインパクトを与えるような大きな事業にチャレンジしたい人は、まずはカジュアルにお話ししましょう。

長文でしたが、最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございました。

次回は、念願の自社プロダクトの開発からリリースまでの苦労話をまとめましたので、近々発信したいと思います。
これからも、何卒、応援よろしくお願いします!!

株式会社ネクスタ
永原 宏紀

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