【Podcast】ヒストリエ #1 〜メディカルフォースの創業秘話〜
こちらの記事はPodcastから一部抜粋、記事用に修正したものです。
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(右:人事 羽富 左:代表取締役 大嶋)
羽富:こんにちは、人事の羽富です。
メディカルフォースの”あの頃”を切り取る番組『ヒストリエ』ということで、初回は自由診療SaaSメディカルフォースの誕生までを代表の大嶋さんに語っていただきたいと思います、大嶋さんお願いします!
大嶋:メディカルフォースの大嶋です、お願いします。
羽富:まず簡単に起業に至るまでの流れについて、経歴を含めてご紹介をお願いします。
大嶋:僕はもともと美容医療や自由診療にバックグラウンドはなく、海外の大学を卒業して日本に帰ってきた後にHR系のベンチャー企業で営業としてキャリアをスタートさせました。
主にSMBセールスやエンタープライズ、あとはABM(アカウント・ベースド・マーケティング)の形でアウトバンドの営業とかもやっていました。
そこを一年で辞めた後はフリーランスとして独立をして、スタートアップ向けにインサイドセールスやセールスフォースの導入設計支援などをやっていました。
起業への思い
羽富:もともと起業されるのは考えていたんですか?
大嶋:起業自体は中学生ぐらいの時から考えていましたね。
ずっと昔からソフトバンクの孫さんを尊敬していて、大学でアメリカに行ったのも孫さんの影響でした。
羽富:SaaS(Software as a Service)で起業することは元々考えられていたんですか?
大嶋:はい、特にバーティカルSaaS(業界・業種に特化)で考えてました 。2013年当時のアメリカではSaaSの勢いがすでにあって、これからもっと来るぞみたいな空気感がありました。僕もピッチコンテストに見学しに行ったりして、何となく当時からSaaSをやりたいなというのはありました。
SaaSを好きな理由はいくつかあって、まず一つにメトリックスが分かりやすいから。蛇口のここをひねったら水がこっちの蛇口から出てくるみたいな感じで指標の分かりやすさがあります。あとは売り切り型のビジネスではないので、お客さんに対して継続的にバリューを提供し続けるというのは、事業として理にかなっているかなというのがありました。
もう一つは経営効率が高いという点で、ソフトウェアなのでグロスマージンが高いことに加え、クラウド型なのでアセットを持たなくていいという点。もう一つは、いわゆるJカーブと言われる、最初にある程度認知を取るための赤字を取ってしまえば、あとはセールスマーケの費用などをコントロールしやすいので最終的にすごく収益性の高いビジネスになるのが僕がSaaSを好きな理由です。
羽富:SaaSの中でもバーティカルを選択した理由をお聞きしていいですか?
大嶋:ニッチだけど拡張性のあるビジネスが最も高い利益が出やすいと僕は思っています。学生時代の就活でも、駐車場の会社を受けたりと結構ニッチな業界を選んだりしていました。それは学生時代にピーターティールの『zero to one』という本を学生時代に読んだ影響が大きくて、まずは小さく始めてそこから市場を独占するというのがビジネスの鉄則なのかなと思っています。
ニッチな市場からスタートし、そこで速いスピードで既存のプレイヤーや潜在的な競合を出し抜くというのがスタートアップの醍醐味だと思っているので、市場規模が小さすぎると難しいと思いますが、ある程度の市場が見込めるのだとしたらトライしていいのかなと個人的には思ってます。
羽富:市場の選定が大事だというお話でしたが、美容医療業界を選んだ理由はありますか?
大嶋:これは本当にたまたまで、僕自身がお客さんとして美容クリニックに来院したのがきっかけでこの業界に目を付けました。その日は同じ日に二つの施術を行う予定でした。一つ目の施術後、別の看護師さんに二つ目の施術をしていただく際に、僕がさっきまでやっていた施術のことを看護師さんが把握していないという経験がありまして。それが情報連携や顧客管理ができていないのかも、と思う大きなきっかけとなりました。
もちろん起業すると決め込んでいた期間での出来事だったので、日常的にすごくアンテナを張っていたというのもあります。日常生活で目にしたことに対してビジネス的な拡張があるか?ビジネスチャンスがあるか?というのを意識していましたね。またインプットもすごく意識していたのでそのインプットに裏付けられたアンテナがあるからこそ、気づきがあったのかなと思ってます。
羽富:市場の規模は元々知ってましたか?
大嶋:市場の規模はほとんど知らず、なんとなく大きいのかなと思う程度で、実際にスタートするタイミングでいろいろと調べました。
羽富:ちなみに、他に考えられていた市場はありましたか?
大嶋:いくつかありますが、ペット関連のビジネスです。 僕自身ペットが結構好きなので、そこで何か事業ができたらなと思ったのが一つと、市場が2兆から3兆ほどと巨大であることも候補に残った理由ですね。
今回のインタビューを機に、昔まとめていたビジネスアイデアのメモを見返したら「エレベーター事業」というのもありました。これは僕がせっかちなのでエレベーターが来るのを待っていられなくて、、その時に書いたメモだと思います(笑)
創業からチーム結成まで
羽富:創業にあたってはまず大嶋さんの動きとしてはどんなことをしましたか?
大嶋:僕自身がエンジニアではないのでプロダクトを作れる人が必要でした。なのでまずメンバーを探すところから始めましたね。当時周りにエンジニアが全くいなかったので、友人を辿って紹介してもらいました。そしたら奇跡的に一人目で今のCTOの畠中と出会い、その場でやりましょうとなったのを覚えてます。
羽富:畠中さんと最初に会った時の印象は覚えてますか?
大嶋: 第一印象でいうと、人当たりがよさそう、あとは頭がよさそうということでしたね。僕はエンジニアのことが分からないので彼のエンジニアスキルとかは正直分からない中で始めました。
羽富:その次にどういったことをやったのでしょうか?
大嶋:まず畠中がバックエンドエンジニアなのでフロントエンドのエンジニアが必要になり、もう一人採用することになりました。そこも割と早く見つかりまして、何人かと話をしましたが最終的には畠中と高校の友人である今のCOOの組田がジョインしたという形になります。
組田は学生時代、というか創業時も学生だったんですけど終活ネットという葬儀向けの事業を創業していて、それをすでにイグジットした経験がありました。年齢が僕の三歳下だが、すごい奴が来るのかな?と思って構えてたんですけど、すごい謙虚な感じで印象がよかったですね。
チーム結成当初の動き
羽富:そこで創業者三人が集まってメディカルフォースとしての最初のチームが出来上がりましたが、チームになってからはまず何をしましたか?
大嶋:チームになってからは、アイデアの事業検証ですね。そのアイデアが本当にうまくいくかの検証のためにユーザーヒアリングを始めました。ユーザーヒアリングに関しても、誰も業界の知見や業界のバックグラウンドなどがないので、全く知らない状態からスタートしましたね。最初はFacebookでドクターや業界のコンサルティングの方とかを探してDMを送ってました。
羽富:アポはすんなり取れましたか?
大嶋:なかなか取れなくて、多分100件送って3、4件とかだった気がします。
羽富:それは大変そうですね。当時はどういう気持ちでやられてましたか?
大嶋:起業する以上大変なのは百も承知だったので、そんなに大変とは思わなくて、むしろメンバーも早く見つかって順調に進めれているという思いが個人的には強かったです。
羽富:ヒアリング以外では、大嶋さんの動きと他の二人の動きはどういった形だったのでしょうか?
大嶋:二人もたまにヒアリングには参加をしていましたが、基本的には僕がアポ取りをやって、実際のヒアリングもしてました。ヒアリングを続けるにあたって基本的にはこちらの仮説をぶつける感じで進めていました。こういうアイデアを持ってるんですけどどう思いますか?という感じで。しかしアイデアだけをぶつけて検証することに限界を感じて、ヒアリングを続けつつプロダクトを作ることになりました。
羽富:話を聞いてくれた方々の反応はどうでしたか?
大嶋:賛成してくれる人もいたんですけど、否定的な人の方が正直多かったですね。否定的な人は結構正論を言ってくるんですよ。全然間違ったことを言ってないんですよね。僕も当時は業界知識が乏しかったので、そういった方たちが言ってることも正しいのかなと思ったりしていました。
羽富:そうなるとチーム全体にネガティブな雰囲気が芽生えそうな気がします。当時皆さんの心境としてはどうでしたか?
大嶋:僕は最後まで絶対にやるって決め込んでいたのと、あと少なからず賛同してくれる人もいて、ニーズはありそうだとは感じていたので一定の自信はありました。とはいえヒアリングを終えた後は、お客さんの反応次第で一喜一憂してましたね。
羽富:どのようにしてその状態を前向きな方向に持って行きましたか?
大嶋:正直チームの雰囲気を良くしようと思って意識していたことはなくて、なんなら畠中と組田が当時ネガティブな感情を抱いていたかどうかも把握していませんでした。(笑)僕はただ一人で突っ走ってた感じがありましたね。結果的には良い方向に向かいましたけど、僕がそこに対して働き掛けたことはないと思います。
羽富:これはいけるぞとチームが自信を持ったタイミングはありましたか?
大嶋:やはり人それぞれ感じ方が違うので、僕だけでなく畠中と組田の意見も聞いてみたいですが、僕は割と最初からいけると思ってました。確信に変わったのは、プロダクトがある程度できて、最初の商談でプロダクトを見せた時に反応がとても良かったんですよ。結果的にその案件は受注には至らなかったんですけど、その反応を見てこれはいけると確信をしましたね。
プロダクトリリース
羽富:2021年の3月に「medicalforce」のリリースをしましたが、リリースを決めた時の大嶋さんの心境はどうでしたか?
大嶋:ある程度プロダクトが形になったという段階でリリースを決めました。先ほど話に出た最初の商談というのがリリースの1か月前なんですけど、その時のお客さんの要望をプロダクトに反映させた段階でリリースをしました。なのであとは売っていくぞという感じでしたね。今振り返るとあれでプロダクトが少しでも完成したと思っていることが恥ずかしいですが(笑)
当時はそう思っていました。
羽富:改めて振り返って、今の自分だったらこういう風にできたなと思うことは何かありますか?
大嶋:営業の仕方は改善の余地があったなと思います。もっと幅広いお客さんの要望を聞くべきでした。当時は「商談ドリブン開発」と言って、目の前にある案件を取るための開発をしていましたが、目先の売上だけではなくて、PMF(プロダクトマーケットフィット)をすることにもっとフォーカスをしたほうがよかったですね。
あと業界経験や業界知識がない中で課題解決型の営業をしていました。
そうではなくいわゆるチャレンジャーセールスモデルと言われるような、こちらからお客様を啓蒙していくことだったり、こちらの仮説をもっと積極的にぶつける営業の仕方をしても良かったのかなと今は思いますね。
羽富:ありがとうございます。今回はメディカルフォース誕生までを代表の大嶋さんに語っていただきました、貴重なお話ありがとうございました!
大嶋:ありがとうございました!