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【名古屋拠点責任者 武田康平】ものづくりの価値を名古屋から世界へ。ニッポン・プロデューサーとして活躍したい


友だちが欲しいんじゃなくて、本気でぶつかり合う仲間が欲しい。

根深いコンプレックス。人のために行動することで解放された。

Makuakeを通して、ものづくりが強い東海地域のプライドを上げていく。

――武田康平(名古屋拠点責任者)

20年近く続けたサッカーでコミュニケーションを学んだ

3歳からサッカーを続けていて、そのことが人格形成にすごく影響を与えています。小学校では活躍していたのですが、中学校ではレギュラーになれず、雰囲気にも馴染めなくて……。受験を口実にして、3年生のときに退部したんです。小さなころはプロサッカー選手になりたいと思っていたこともありましたが、中学時代に完全にあきらめがつきました。

高校でもサッカー部に入り、大学も体育会の部活へ。最初はベンチにも入れず、3軍だったこともありました。でも、少しずつ上がって、3年生の後半から試合に出られるようになったのはいい経験でした。

サッカーをやってきて、本気でぶつかり合いながら一つのものを目指していく仲間が好きなんだとわかりました。自然と、社会に出ても同じ方向を向いて切磋琢磨する組織に入りたい、と考えるようになっていましたね。

いい時も悪い時もあったけど、練習が苦しかったり、居心地が悪いときに成長するということも学びました。例えば、大学でAチームに入ったばかりの頃は、チームで一番下手だったのでよく怒鳴られることがありました。怒られると思うとすべての練習が嫌になったりもするのですが、それによって伸びることができたんだと思います。

逆に、毎日が快適すぎる、気持ち良すぎるというときには、成長していないんじゃないかと疑いの目を持ちます。ストレスを感じに行かないといけない、と自分を戒める気持ちになりますね。

とはいえ、楽しくプレーしないと、委縮してパフォーマンスを出せません。組織で成果を出すためには、ちょっと無理する部分もありつつも、自由に楽しくできる環境が必要なんだと思います。サッカーでも、レギュラーのAチームと、2軍のBチームで戦って、Bチームが勝ってしまうことがあるんです。プレッシャーなく楽しく元気にやっているからチームワークもいいし、のびのびとプレーができるんですよね。

答案用紙が見えてしまい、生涯の苦しみに

サッカー以外で、僕には大きな挫折があります。挫折と言っていいのかな……コンプレックスかもしれません。高校入試の会場で、「他の人はどれくらい進んでいるのかな」と見渡すと、隣の人の答案が見えてしまったんです。

答案が見えなかったとしても、その高校には合格していたと思います。点数がギリギリというわけではなかったから、それはわかっている。でも、自分で気持ちが悪くて、ずっとストレスでした。

高校時代は、その後悔と罪悪感にずっと苦しめられました。「今この生活が送れるのは、隣の答案を見たからだ」「今笑っていられるのは、ずるいことをしたからだ」――楽しいことがあるたびに、そんな気持ちが頭をよぎるのです。だから、楽しい修学旅行中までずっと罪悪感を引きずっていました。

その罪悪感を消したくて、大学受験を頑張って自分の実力だと証明したかった。その甲斐あって東京大学に合格したのですが、受験会場で、周囲の答案がぼんやりと見えた気がするんです。センター試験なのでマークシートの回答がハッキリ見えるわけもないのに、結局また、「インチキをした自分」という思いこみからは逃れられませんでした。

東大という学歴を活かしたまま生きていったら、僕は一生その気持ちをぬぐえないと思いました。とにかく、学歴を問わない会社に就職したかった。だから、学歴を絶対見ないというサイバーエージェントを希望したんです。おかしな話ですが、東大という学歴を判断に使わないでほしいという、逆の学歴コンプレックスですね。

広告の部署からマクアケへ異動し、力を発揮できるように

広告が好きだと思っていたので、広告の部署に行きました。ところが、全然成果が出ないんです。キャンペーンの企画をしたり、クリエイティブのコンセプト考えることが好きだったのですが、僕が配属されたのはインターネット広告の運用をするといった仕事。夢中になれなくて成果を出せず、お世話になった先輩に散々迷惑を掛けました。

社内で異動しようと、知り合い経由で執行役員の矢内さんにお話を聞いたんです。そのときに意気投合して、他の方のお話を聞くことに。MIS(Makuake Incubation Studio)の北原さんに話を聞いて、日本の研究開発技術を活用したものづくりを支援することは僕の希望にドンピシャだと思ったんです。「この人みたいになりたい!」って思いました。

入ってみると、他の社員の方も「この人のために頑張りたい」と思う人ばかり。社内はもちろん、社外の実行者さんもそうです。人のために働くモチベーションがこんなに持てる仕事ってないと思う。僕のイメージだと、利他精神が高い人はNPOや官庁などで働く人が多いので、マクアケのような会社で働けるのはとてもレアだと思っています。

周囲の人に倣って利他的に働くうち、僕の苦しみだった「学歴コンプレックス」を取り払う方法を、とうとう見つけました。僕にとっては革新的、世紀の大発見みたいなことです。

それは、自分の幸せは置いておき、他の人の幸せに一生懸命になること。

他の人の幸せのためだったら、僕が過去にずるいことをしても関係ないんです。罪悪感を持つのは、自分のことばかり見ていたからだと気が付いた。会社、社員、お客様、日本の幸せのために奉仕しようと思ったら、驚くほどストレスがなくなりました。僕にとって、救世主のような考えだったんです。

コンプレックスを救う方法を見つけ、名古屋拠点の立ち上げにアサイン

その前から、キュレーターとして成果を出せていたと思っていますが、人のために動くことを心がけてから、社内のコミュニケーションの取りやすさ、仕事の進めやすさはぐっと高まってきました。それに伴い、周囲の人もさらに認めてくれるようになったと感じています。

マクアケで名古屋拠点を作ることになったとき、入社したばかりの僕が、立ち上げのメンバーとして抜擢されたんです。理由を聞くと「任せられるタイミングになったから」ということ。それは、僕の行動が変わったことを認めてもらったからかもしれません。

「スキルよりも大事なことがあるから」と言われました。それは、地域に密着して、地元の方とコネクションを作っていくこと。地方の拠点では、人と人とのコミュニケーションが最も大事なんです。

愛知県はトヨタ本社があることもあり、製造業の出荷額が46兆円と、全国で第1位。自動車以外にも、瀬戸焼やトイレなどの衛生陶器や住宅設備機器、繊維系など有名企業が揃っています。マクアケは産業支援のプラットフォームなので、名古屋のある愛知を中心として、岐阜や三重の製造業の方に使ってもらえるような活動をしていきます。

東京のように、多くの人がマクアケを知っている状態ではない。だから、そこから伝えていかなくてはなりません。でも、メジャーでないからこそ、活用することで産業が劇的に変わると思っています。

今まで問い合わせを受けたプロジェクトを担当する仕事をしていたので、営業活動をするのは初めて。でも、相手のためになると信じているので、売り込むのではなく、価値をわかってもらう活動をしているだけだと捉えています。「営業」という言葉からイメージするような負担を感じることはないですね。

日本のものづくりを世界へ発信していきたい

もともと、日本のものづくりに興味があるんです。海外旅行に行ったときにも「日本の方がいい」と強く思ったほど。両親が、日本で作られた食べ物やプロダクトを愛用することが多かったし、僕もそうです。将来的に、日本のものづくりを世界に発信する「ニッポン・プロデューサー」になりたいと思っています。

発信力をつけたいこともあり、社内で番組を配信しています。Zoomを使って、会社の人や実行者さんを呼び、毎週木曜日の21時からトークバラエティを開催しているんです。先日24時間通しの特番をしたときには、最大で75人が同時視聴してくれました。当時の社員数が90人ほどだったので、すごいことだなと思います。

これからは、東海地域のプライドを上げていきたいと考えています。名古屋をはじめとする東海地区の方々って、自分たちの文化を謙遜したり、自虐的に扱うところがある。でも、住んでみるといいところがたくさんあるし、やはり何よりものづくりが強い。だから、Makuakeを通して、この地域から世界に通じるヒット商品をたくさん出していきたいと思っています。

取材・執筆:栃尾江美 Website

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