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第1回 ログイン履歴すら残るこのご時世に、名前の残らない仕事がしたい


皆さんは、初めて自分の名前が書けるようになった日のことを覚えているでしょうか。

あるいは、足し算を初めて知った日のこと。買い物のレジで初めてお釣りの計算ができるようになった日のこと。夜空に知っている星座を初めて見つけた日のこと。歴史の教科書で聞いた名前を初めて教科書ではないところで聞いた日のこと。

たぶん、覚えていないと思います。少なくともわたしはほとんど思い出せません。なぜ字を書けるようになったのか。なぜ掛け算の筆算をわけなくこなせるのか。いつ百分率の概念を理解したのか。分数の割り算を掛け算に直すことをどうやって習ったのか。本当に、全然思い出せません。

最近、あるひとりの生徒と割り算や分数の足し算をやっています。

算数の中でも初歩中の初歩ですが、あらためて自分の手で筆算式や図を書いたり、通分の軌跡をていねいに残したりしていると、新鮮な発見がたくさんあります。そしてその発見は自然と「だから割り算はこうやって計算するんだ」「だから通分をしないと分数同士は足し算ができないんだ」という論理につながっていき、そのつながりを知るたびに、「そういうことだったのか!」と驚きがあふれ、算数がもっと好きになります。自分が小学生の頃に丸暗記で憶えていた式に「実はこんな仕組みが隠されていた」と知るのは、普段使っているモノを分解して中身を覗くようなわくわく感があるのです。

字を書く、割り算を覚える、百分率を理解する、などは、小学校を卒業すれば当たり前のことのように思われます。そして日々の生活の中で、わたしたちはなんの疑問も持たずにそれらを使いこなします。「サイトウさんのサイの字って難しい方?簡単な方?」とか「ダシと水は1:2だから、ダシがこの量ならお水は600ミリリットルくらいね」とか「この服セールで3割引きだから買えそう」とか。わたしたちは6歳から12歳というわずかな数年間で身につけた教養を呼吸のように使って、何年もその先を生き続けるのです。

わたしがいま教えている算数の初歩は、生徒にとってそのうちすぐに「当たり前のこと」になります。誰から割り算や分数などを教わったのか、自分はどうやって百分率を理解したのか、きっと思い出すことはありません。わたしの名前や顔ももちろん忘れるだろうし、今習っている初歩の知識が当たり前に使えることを疑問に思いすらしないはずです。それでいいのです。それこそ「当たり前のこと」だと思います。

しかし、いまその子が学んでいる算数の初歩は、その子にとっての一生モノです。今後の彼の人生に常にあり続け、この先どんなに苦しいことやつらいことがあっても、割り算のやり方だけは決して忘れません。そしてその子の毎日を、ものすごくいろいろな形で、あらゆる場面で支えることになるでしょう。電車が出るまであと何分?よし、これくらいのペースで走れば駅まで間に合いそう。丸いケーキ、どうやって切れば等分になる?新しいパソコン、この値段なら何回払いで買える?―きっとこれから出くわす日常のあらゆる場面に、割り算や分数がひそんでいるはずです。算数の初歩とは、わたしたちの日常そのものだから。


少し話が飛びますが、わたしたちはいつからか、神話の存在をなんとなく知っていました。ゆえに、それを信じるかどうかは別として、神話というものがあるということや、人間は昔から想像力をはたらかせてさまざまな不思議に説明を与えてきたのだということをそれなりに受け止めることができます。

この仕事を始めてから、「人に割り算を教えるのは、神話を伝える仕事のようなものなのかもしれない」と思うようになりました。

わたしはいくつかの神話をなんとなく知ってはいますが、誰からか聞いたのか、はたまた本で読んだのか、忘れてしまいました。そもそもそれらがいつ、どこで、誰によって初めて語られたのかすら知りません。でも、わたしたちには確かに「神話というものがある」という認識がいつからかあり、神話をもとに夜空の不思議な輝きを説明しようとしていた人たちに思いを馳せることもできます。名前も顔も知らない語り手のおとぎ話が誰かに、また誰かに語り継がれ、知らず知らずのうちに夜空に星座を探させます。それがわたしたちにとって星空の見方の「当たり前」であり、それを不思議に思うことはきっとほとんどないでしょう。

意識を向けていなかったから気づかなかっただけで、知らない誰かからそうやって永く受け継がれてきたものが生活に数多く息づいていることを発見するようになりました。算数の先生を、始めてから。



わたしが20代ですべき仕事はそういうことなのかもしれない、と最近思うようになったのです。

インターネットを眺めていると、「自分の名前を残したい」という思いが強すぎるものに出くわすことが多く、ときどき目が回ることがあります。ログイン履歴すら逐一残ってしまうデータの海の時代に、ある固有の名前を残すこと、もっと言えば「これは自分がやったんだ」と声高に主張することにどれほどの価値があるのか、分からないなと思うようになりました。

ならばわたしは、名前の残らない仕事をしたい。顔も名前も残らないけれど、古今東西いつでも人の生活を成り立たせ続けているものをそっと伝えて育てていく、そんな仕事がしたいのです。わたしも割り算や百分率の種を誰かに蒔いてもらって、それがいつの間にか育って、「使えて当たり前」になっていました。

この割り算というやつは今後あなたの人生で何度も何度も必要になって、そのたびにあなたがそれを当たり前に使えること。ありがたみも何も感じないだろうけれど、あなたの生活そのものを作る、なくてはならない種を静かに蒔き続けること。

算数の基礎を教えるということは、何千年も昔から続いてきた無数の人々の営みに加わるような、そんな仕事なのではないかと思います。

わたしは去年まで、高校生たちに数年間「書くこと」を教えていました。

書くことも算数と同様で、「伝える」という生活そのものの営みです。今後生きていく上で必要になる伝える力を身につけてほしいという思いで文章の書き方を教え、実際に多くの生徒たちが自分なりの「伝え方」を見つけて卒業していきました。


どうしてわたしは先生になったんだろうなあと思うことが時々ありますが、考えてみれば「先生」という仕事の「その人の生活そのものに種を蒔く」という側面を深く尊敬していたし、わたしはそういう人間にずっとなりたかったのかもしれません。だから23歳というこの歳にその一歩を踏み出したことは、ある意味必然だったのかもしれないな、と思うようになりました。


「どこからか与えられる・避けようのない」という意味での「運命」という言葉が嫌いです。偶然のように見えるけれど、実は常に自分で何かを選び続けているはずなのです。名前の残らない仕事をいま選んだこと、これがこの先のわたしの人生にどのような種を蒔いたのか、知るのはきっとずっとあとになってからだと思います。けれどもいま、わたしは名前の残らない仕事を黙ってやっていきたい気持ちだけがあり、それだけでいまは十分なのではないかと思っています。


本日はこのへんで。

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