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【社長インタビュー】代表千葉のこれまでと今後のビジョンとは?

現在、株式会社門崎では熟成肉を取り扱う焼肉屋『格之進』を岩手県と東京に13店舗経営しております。
熟成肉ブームの火付け役の千葉のこれまでと今後のビジョンについてインタビューしました!

先に言っておきます!!
凄い長ーーーーーーーーーい文章です('ω')ノ

最後まで読んでもらえないかもしれませんが、一つ一つの質問に対してしっかり背景からお答えいただいたので敢えて省略せずそのまま記載させていただきました。

少しでも多く読んでいただき、門崎を千葉を知っていただければと思っております。

Q:まずは社長について教えてください。

1971年 岩手県一関市、牛の目利きを生業とする家に生まれる。
1994年 東北学院大学経済学部商学科卒業。
1999年 実家の牧場で肥育する牛を提供し「肉でユニクロ」をテーマに肉のSPAを目指すため「焼肉格之進」1号店を開業。
2006年 東京都練馬区に「格之進TOKYO」を開業。
2008年 株式会社門崎を設立。(10月)
2010年 六本木に「格之進R」を開業。
2014年「肉屋格之進F(六本木アークヒルズ)」開業。
2015年 格之進Rt(代々木八幡)を開業。
2014年 - 2016年 日本最大級の肉の祭典「肉フェス」で4回連続総合優勝を達成し、2016年には殿堂入りを果たす。

また『一頭買い』『稀少部位』『熟成肉』『塊焼き』『うにく』など新たなお肉のムーブメントを巻き起こす。
日本の食文化の基盤を強固にし、育み、発信することを目的として活動を行う「全日本・食学会」の肉料理部会分科会である「肉肉学会」「乳乳学会」を主宰し、産学官および見識者と共に肉の可能性について探求している。

現在は「門崎熟成肉」の牛肉販売、卸・食品加工、都内および岩手の店舗運営、飲食店運営サポート事業、牛肉の啓蒙活動を行う。(岩手県、東京都、神奈川県、静岡県、山梨県に計13店舗を展開。)

<メディア出演履歴>
■カンブリア宮殿
■ガイアの夜明け
■ザ・ノンフィクション
■未来世紀ジパング等々。


Q:社会人になるまでにどんな環境で生まれ育ったんでしょうか?

生まれは岩手県郡部で、当時は川崎村という集落でした。
砂鉄川という川に沿って田園風景が広がる美しい田舎です。私が30代半ばごろに一関市と合併しましたが、のどかさは今も変わりません。その地で父は牛を飼い、生業の牛の目利きとして東北地方では名人の一人と言われていました。
父は、生まれて間もない2、3カ月の子牛を見て、これは種牛になるとその場で見抜き、自分で買った牛も他の農家で飼っている牛までも、血統書などを見なくても一目見て血統を言い当ててしまう。そういう馬喰(ばくろう)(牛や馬の仲買人)でした。

だからうちの茶の間には、獣医さんや繁殖農家さんが来たり、餌屋の社長さんが来たり、馬喰仲間が相談に来たりといつも牛のエキスパートが出入りして、ずーっと牛の話をしている。そういう環境の中で、私はBGMのように聞くともなしにプロたちの知識を吸収していたと思います。

ところが私には、牛の仕事に気が進まない出来事がありました。10代の頃、スピーカーやチューナーなどが一体化したオーディオコンポがはやっていて、15万円前後でしたがどうしても欲しかった。朝4時半過ぎに起きて新聞配達を続け、毎月7千円ほどを母に預けて、2年間頑張ってそろそろ買うと母に言ったら、「生活費に使っちゃった」と言う。それで、牛の仕事はもうからないのかなと初めて気づきました。

その当時はまた、デザイナーズブランドの服が服飾雑誌に載っていて、1万円以上もするシャツや3万円もする靴に驚きました。本当かと東京に行った時にデパートで見たら確かにある。仕事をするなら、こういう欲しいものが買えるような職にと考えたのです。

そうだ。経営者になることが1番の方法だ!そのためには大学に行った方がいいらしい。そう思い立って受験勉強するも、受験に失敗して大学浪人の身になってから、東京に住む叔父の家に身を寄せ、予備校の資金をためるアルバイトをまず始めました。居酒屋の厨房(ちゅうぼう)で深夜まで働いて、指の指紋がなくなるほど焼き鳥を何百本も焼き、月20万円ぐらい稼ぎました。約半年で予備校代を作り、疲労や眠気と闘いながら何とか仙台の大学に入ったんですね。

経営者になるつもりだったので経済学部の商学科を選び、またバイトも始めました。近くの個別指導の大手塾で講師をし、私は全国130教室中、売り上げ最高3位という成績を取りましたが、人気講師というわけではないんです。チラシを配り、電話でアポイントを取り、勉強の相談に乗りながら勧誘するなど策を練った結果です。全国で上位は皆プロの講師で、私だけが学生。「千葉ちゃんはすごいぞ」と言われ、このまま塾の経営をやろうと考えました。

しっかりと計算をしましたよ。塾の経費や原価は家賃と人件費ぐらいです。募集生徒数から利益も換算できたので、その塾のフランチャイズが希望でした。しかし大学4年時に塾の営業部長から、「新卒というのは1回しかないから、就職活動をしてうちを選んでくれたらうれしい」と言われたのです。そういうものか。じゃあ就職活動をやってみよう。何でもトライしようと思ったのです。


▲一関にある水田の風景


Q:社会人から起業するまでの道のりについて教えてください

就職活動をした結果、大手フィルムメーカーに入社しました。
そのメーカーで作られた製品は、商社を挟んで1次取次、2次取次、そして顧客へと納品する流通経路を採用していました。
営業部に配属された私は、もちろん会社の仕組みの中で働くわけです。ただその新人当時から、ユーザーの反応を直接把握して企画、生産、流通まで一貫した方が業績が上がるはずだと、ダイレクトマーケティング到来の予感を持っていました。

仕事をしている皆さんにも経験があると思いますが、お客さんの様子をじかに見るほどやりがいというものは強くなるでしょう。だから私も、許される範囲で1次取次、2次取次を挟まない独自の営業方法を用いて新規獲得に頑張り続けていました。

ところが3年近く勤めた頃、偶然ですが私を含む同期3人のボーナス額を知ってしまったのです。私は別部署の同期よりも低かった。誰よりも数字を上げて貢献していたのに、たまたま所属事業部の業績がマイナスだったからという理由でした。これで踏ん切りがついた。様々に工夫し努力しても大きな会社組織とはこういうものなのか。それならやはり自分で結果を出す仕事だ、と気持ちが動いたのです。

頭から離れなかったのは、ダイレクトにユーザーとつながるビジネスをということでした。それにしてもどんな仕事をやったらいいのか、未熟な20代で会社を辞めていいものか、迷いますよね。そんなふうに悩みながら岩手の実家に帰った時、実家の牧場で飼育している牛がモーッと鳴いた。「ああ、」とひらめきました。牛を飼っていればうちは原料メーカーだ。私は商品化して直接ユーザーに売ればいいのです。行く道はあると思い退職を決めました。


Q:起業した時はどんな状況でしたでしょうか?

いずれは自分で事業をやる。それが私の仕事の目標でしたから、牛の肉を生産する原料メーカーとして、最も高い価格をつけられる業態にしたかった。考えついたのは焼き肉店でした。これで生産から小売りまでコントロールできる。つまり「お肉のユニクロ」のようなメーカーを目指そうと思ったのです。こうして、経営経験もなく修業もせず、故郷一関市ですぐに1号店を開店してしまいました。

入りやすい快適な店内、牧場から直送のうまい肉、そして自分の営業力。これだけそろえばいけると自信があったのに、店はふるいませんでした。それでも牛は1頭丸ごと仕入れるものだと思い込み、売れないから保存を工夫して肉が傷む前に自分たちで食べる有り様。そんな日々を1年ほど続けるうちに、仕入れてから時間が経った肉ほどおいしいと、熟成のすごさに気づいたのですね。
さらに牛1頭をさばき続けてきたお陰で、肉を82もの部位に仕分けられるようになっていました。仕事は、突き詰めることが重要なのですね。

Q:『格之進』の独自性の高い商品を生み出すことのきっかけは?

故郷の一関市で焼き肉店を開業し、実家の牧場から牛1頭を丸ごと仕入れて、その肉の味に自信を持って営業していました。しかし店は2年近く振るわず、大量の肉を何とかしようと工夫するうちに、肉をおいしくする熟成の技術と、82もの部位に仕分ける技を究めていきます。それでも店はなかなか軌道に乗りませんでした。

思い余ってお客さんに質問すると、肉はうまいがタレがまずいという人が多い。つまり他でおいしいタレを知っていて、その味と比べているわけです。自分のビジネスは何をどう間違えたのか。原因はタレだけなのか。冷静に一つひとつの要素を因数分解し、ハッと気づきました。近くに30年以上も繁盛している韓国焼き肉店さんがいて、みんなあの店のタレやキムチと比べているからかなうわけがない、と。
私は、すでにある他人の得意分野に乗っかっていただけでした。韓国焼き肉がおいしいからには、そのまねをしている限り突破口はないと思い知りました。

そして私が挑むべきは、誰もいない海へこぎ出すことでした。それは日本どころか世界でも類のない技術を持って、和牛の繊細なうまさを味わってもらうことだと考えたのです。一般的に肉の部位と言えばヒレやサーロイン、ロース、モモなどの名が知られていますが、和牛はさらに頭から足までを細やかに切り分け、カメノコ、サンカク、トウガラシ、ネクタイなどなど82の部位まで味が違います。もちろんそれぞれの最適なカット方法も異なる。だから徹底して肉に焦点を当てるため、調味料は塩、コショウ、ワサビじょうゆにしました。それが17年前でした。

初めてのことに人々は敏感です。でもそれがおいしい、楽しい、人に薦めたいという本物と言えるものならば、必ず仕事として力を持ち、伸びていきます。時間は掛かっても、人がまだいない居場所を探し、究めていく。それは先が見えない怖さがあるし、孤独感もあります。ただ私の場合は、大切な故郷の産業が衰退し、過疎化の一途をたどる現実が残念だった。だからこそ知恵と力が枯れなかった気がします。


Q:事業デザイン構想において参考にされたものはあったのですか?

独自の肉を食べてもらう。その試みが功を奏し、私は故郷の1号店を皮切りに各所に出店を果たしてきました。ただ、店を増やしたかったわけではなく、私の頭の中には、米国の人気テーマパークをモデルにした構想がありました。それは、他国で素晴らしい収益を上げて母国に多額の送金を行うテーマパークのシステムです。
例えば東京で焼き肉店を運営し、故郷一関の和牛や農産物を用いて、その味を体験してもらう。同時に一関の自然や農産物の情報を伝え、パイプを作る。そういう試みを私も続けています。米国のテーマパークでも、売っているのはモノだけでなく、キャラクターやパレード、そしてスタッフの魅力というソフトです。学ぶべきことは、持っている宝をどのように生かして、感じ方というか、楽しみや感動をどうオペレーションするかです。
先日、中国のジャーナリストに岩手県などを案内する機会がありましたが、「日本は宝の山だ」と感嘆されました。うれしかったですね。私たちは、一人ひとりの故郷に光を当てる時なのでしょう。


Q:事業のゴールはどのようなことをイメージされていらっしゃいますか?

和牛のおいしさを究めて、故郷の一関市から東京まで焼き肉店経営を続けながら、私は地方の衰退を食い止める手立てを考え抜いてきました。その構想の基本になったのが「テロワール」です。テロワールとはフランス語で「土地に根ざすもの、あるいは生育環境」を意味するそうです。ワインなど、各地の気候や土壌によって生産物の味わいが異なることを指している。これは、日本で言うならお国自慢だと私は思いました。

例えば江戸時代は藩ごとに独立していて、行き来するには通行手形、つまり今のパスポートのようなものが必要だった。藩は国と同じであり、だからこそ地域独特の風土や文化によって食べ物や芸能がしっかりと生まれ育ち、根づいたのです。お年寄りと話をすると、いくらでも豊かなふるさと自慢が出てきますね。私は、日本の食も文化も多民族国家のようであり、地方の隅々まで独自のクリエーティブが息づいているんだと気づきました。

運のいいことに私は、当時人口千人にも満たず、信号もない岩手県の片田舎で生まれ育ちました。豊かな自然の中でキジやウサギ、スズメ、アユなどを捕まえて食べ、土地の野菜を味わい、そして今は和牛のおいしさを提供する食の仕事に就いている。それなら私は都市と地方とのハブ、つまり中継するような役割が担えると考えたのです。具体的には、地方の食に焦点を当て、『日本のテロワールを守る』というような仕事と言えるでしょうか。

海外からのジャーナリストや企業人を地元に案内すると、生産者が食を守る仕事を大事にしていることに注目されます。住民にとっては当たり前の努力や生産物が、日本の財産であり世界に通じる価値なのです。私たちはこれを手放してはならないと痛感します。

地方でおいしいものを作り、それを気に入ってもらって大都市の消費者に食べていただく。つまり「地産外商」ですね。生産の裏側にある物語を知ってもらい、食品と共に地方の価値も味わってもらいたい。私が営む東京の店でも交流会を定期的に続けていますが、さらに大きな挑戦も始めました。過疎地ゆえに廃校になってしまった私の地元母校を手に入れ、「肉学校本校」としたのです。

ここの体育館を改装してハンバーグ工場にし、日本はもちろん海外の方にもこの地で育てたおいしい和牛を知ってもらうことを目指しています。そしてここを訪れ、生産者を始め、ゲンジボタルやクロメダカが生息する美しいビオトープ(野生動植物の生息地)と触れ合い、地域の可能性や楽しさを体感してもらいたい。私は、食を通じた地方創生を本気でやらなくては地方が消滅するという強い危機感と焦りを持っていて、日本国中の若い世代に伝えたいのです。

もしあなたが地方にベースを持っているなら、農業の仕事構想など、第1次産業のデザインを早く練ってはどうでしょうか。インターネットを生かして新しい事業に投資を募るような方法論を持つ時代です。これからの5年、10年で我が町、我が故郷のテロワールをどう守るか。経済的に取り残されない知恵はないか。ぜひ、そんな視点を持って仕事を考えてください。


▲岩手格之進肉学校 本校と千葉


Q:株式会社門崎にはどういう人が合うと思いますか?

「食の消費」は農の未来への投資活動であり、島国日本の食=農の未来をクリエイトしていることに消費者と生産者と共に食の未来を一緒に考えて形にするプラットフォームを目指して事業活動しております。

食の消費は農の未来への投資活動であり、島国日本の農の未来をデザインしていることなので、世界一の食の美味しく安くそして安全な日本の食の未来を一緒に考えて形にするプラットフォームでありたいと思って事業活動しております。

このようなビジョンに共感していただける方で、SDGsそしてサスティナブルな事業を創造することに興味のある方にとって楽しめる会社だと思います。

【経営理念】
「私たちは仕事を通じて人間的に成長し、仲間・顧客・社会に必要とされ続け、物心共に幸せになる集まりです」

【経営方針】
「一関と東京を食で繋ぐ 岩手を世界に届ける」

【事業テーマ】
「日本の食の未来を消費者と生産者と共にクリエイトする」

【社是】
「守=継続 破=改善 離=革新」

【社訓】
1)以心伝心
私たちの心(情熱)を、お客様の心に伝えます。

2)負けるが勝ち
私たちが認めてもらいたかったら、まずお客様の要望を優先します。

3)好きこそ物の上手なれ
自分の仕事を好きになることで熟練します。

4)氏より育ち
過去も大切ですが、もっと大切なのがこれからの自分です。
今の仕事に取り組む姿で自分を表現します。

5)損せぬ人に儲けなし
失敗を恐れて実行しないより、失敗を通じて成功を生み出します。

6)聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥
「分かる」から「出来るようになる」為に、素直な気持ちで自分以外の方から教わります。

7)売る前のお世辞より、売った後の奉仕
お客様との信頼関係は売った後から始まります。売った後のお客様を大切にします


Q:求人の応募を考えている人にメッセージをどうぞ!

人生は思い通りににしかなりません。

どのように思い
どのように行動し
どのように成長するのか

過去の決断と行動の結果が今の皆さんを創造しているという事実に向き合い自分の人生をワクワクした時間を過されご自身が思い描く人生を成しどけられるような環境を整えることを目標にマネージメントは挑戦しております。

是非、志を共にした皆さんと一緒にワクワクした仕事を通じてお互いに成長したいです!

自分の可能性を信じている方と一緒に仕事がしたいです。


インタビューのお時間ありがとうございました🎤🎤

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