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火事の1週間後に振袖のお見直し会を開催、お一人を除き全員に選び直してもらいました

どんな困難な状況でもお客様を第一に考える、企業理念の一つ「お客様第一主義」

2年ほど前だったか、成人式の当日に衣装を借りたお店と連絡が取れなくなって、振袖が着られない人が続出した事件があったのを覚えている人も多いと思う。成人するご本人が、楽しみにしていただけでなく、両親や家族にとっても、悔やんでも悔やみきれない事件だったと思います。決して安くはない買い物である振袖に、たくさんのお金をかけてでも、やっとここまで大きくなった喜びを両親が噛みしめる、成人式は、儀式というよりは、「振袖を着る」、「晴れ着姿を見に焼き付ける」という行為そのものが、家族(両親や、おじいちゃんおばあちゃん)にここまでなんとか大きくなった喜びや達成感や感慨深さ、成長の感動を呼び起こす、心の儀式でもあるとも言えるのです。

私たちが身に纏う服は、気持ちを表現するための一つの手段でもあるのです・

私たちの仕事は、どこか医療と似ているかもしれないと思うことがあります。特にチームワークの点においてです。チームで連携をとって、決して一つのミスもすることなく、一つ一つの地味な仕事をつないで、きちんと約束どおりの商品やサービスが初めてお届けできるのです。接客現場で約束した内容が、成人式または、前撮り当日の着付けの現場で実現されなければならない。社内、社外共にチームの連携がとても大切な仕事だからです。弊社は、お客様ごとのコーディネートが強みですので、例え、100通りの振袖のどんなに複雑で難しいリクエストやコーディネートがあっても、当日にそれが再現されなければ意味がないのです。数ある振袖の一つ一つは、家族にとってはかけがえのない一生の宝物となる思い出の素だからです。

火事から1週間以内に行った振袖お見直し会

忘れもしない2002年の12月22日に火災で店舗と隣接の実家もろとも、全焼した日から、約12日後の1月3日が成人式でしたから、使用していただく振袖のセット組み込みが終わり、たくさんの振袖が階段に積み上がり、配達を待っていました。それが、火事ですべて消失のしたわけです。

たまたま、不思議なことにその日は、なぜか、振袖の主要取引先の営業担当者と、メンズメーカーの営業担当者が、二人揃ってほぼ同じ時間に営業に来ていました。二人とも県外からそれぞれ別の県から出張できていたのですが、一人は、その日、なぜかとても早く目が覚めて、鳥取砂丘まで行って、早朝の散歩をしてから、朝一番にお店に来たら、火事になっていたと後日語っていました。虫の知らせというべきか、弊社が女性従業員しかいない中、二人とも男性。荷物の運び出しなど、力仕事を結果的にスーツを煤でドロドロにしながら、手伝ってもらっうことになったのです。メンズメーカーの彼のスーツは1着真っ黒になって、ダメになったらしい(笑)。

振袖メーカーの営業マンの彼は、結局、火事から1週間泊まり込みでその後のお見直し会の一切を手伝ってくれました。火事の直後から、メーカーや、競合店も含めて、関連業者から振袖をかき集める段取りをしてくれたおかげで、家事から数日後に提携先の会場にて、振袖のお見直し会を行うことがでル運びとなりました。皆様のご好意で、一人の方のキャンセルを除いてほぼ全員が、手配した振袖の中から、別の振袖に替えてくださったと聞いています。

会社を救った企業理念「ノーモアヒロシマこそ中小企業発展の基礎」

15歳で広島の陸軍経理学校の受験の際に被爆した父は、爆心地の近くで被爆したにもかかわず、奇跡的に広島から生還した一人でした。兵隊さんに連れられて鳥取まで歩いて帰ってきたあと、原爆症を発症し、生死の境をさまよいながらも、友人から生の血液を輸血してもらいながら、生き延びたと聞いています。その経験から、弊社創業者である父が作った四つの経営理念の一番最初は、平和でなければ、中小企業の発展はないと「ノーモアヒロシマこそ中小企業発展の基礎」というもので、価値観や考え方が異なっても、「みんなが仲良くしよう」ということだと、生前父がよく、語っておりました。

今まさに、新型コロナウイルスによって、この言葉の、平和でなければ、中小企業の発展は望めないと心から思います。そのことをコロナが教えてくれている気がします。住んでいいる場所や、立場や、人種、国境をこえて、みんなが力を合わせ流ことによってしか、決して乗り越えることができない局面であると言えます。相手の立場に立って、物事を考える、想像力ことが、人類を救うと心から思います。

父は、企業の利益を、決算賞与として社員の皆さんへ還元し、会社に資本を積み上げるというよりは、役員報酬の一部を使って、毎年は、ニューヨークのペンタゴン、ニュージーランドやオランダ、リトアニアと頻度高く出かけては、積極的に世界平和のための活動と、核兵器廃絶のために尽力していました。

子供の頃、夏になると、世界中から平和活動家の方々が何人かうちに宿泊し、平和行進に出かけ、広島の世界大会へと出かけていました。日常から街頭で演説を行い、正月から核兵器廃絶の署名と募金活動に立っており、会社の売り上げを上げる活動というよりは、そのような活動にばかり出かけていくように見えていた父を見て、火事後お店を手伝うようになっていた私は、もう少しビジネスの方に力を入れたらどうなのだろうと、当時批判的に見ていたものでした。


その成果は組織の外にある

さらに、一方で、父は、経済的に困った人やホームレスの方の相談に乗ったり、軽犯罪を犯した人でもお手伝いさんとして採用するなど、社会奉仕的な活動にも積極的だったので、父の活動をしている人たちの中には、密かに父のファンを自称する人もいたりした。

そんな父のファンを自称しなくとも、父の活動や姿を見て、父を応援したいという人が、とてもたくさんいらしたのだということが、火事で後で明らかになりました。当時の社長であった父の元には、火事の後間もなく、返さなくても良いという応援金が、総額500万くらい集まったと後で聞いた。たくさんの方が、父を助けてくださったのです。

今の私に、もし同じことが起きたら、そんな風に応援してくださる方が、一体どのくらいいるのか、そう思うと、父がしたことは、一見商売には関係ないように見えて、こんな時にこんな形で返ってくるのだと、つくづく気付かされました。

経営学の父ドラッカーは、言っています。「成果は組織の外にある」と。

イノベーションによって、新しいマーケットが創造される

父が誰かのためになした、いくつかの行為に対して、その志に共感した人たちが、父を応援してくれた。これこそが、実は、真のビジネスのシンプルな原則なのだと思います。相手の立場に立って、兄が必要とされているのかを想像し、自らをイノベーションを起こし、自らを進化させて、新しい商品やサービスを作り上げて、社会の課題を解決してこそ、「ありがとう」という感謝の言葉と共に、感謝の気持ちを込めて、お礼が返ってくるのだと、この頃なの危機に直面して、つくづくそう思う、今日この頃です。さあ、新しい慈愛に合わせた商品開発合戦の始まりですね。原爆で廃墟となった、広島の街は、今緑に覆われています。戦争や鳥取大火、鳥取大地震、鳥取の大水、スペイン風邪と、先祖の皆さんが乗り切ってきて今があることに感謝をしながら、私たちは、この時代にあった、新しい方法で、みなさんと力を合わせて、乗り切っていきたいなあと思います。

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