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【 ヒューマンシップ 対談インタビュー : 創業10 周年に想うこと 】


ヒューマンシップは今年、2023年に創業10周年を迎えました。リクルート時代に上司・部下の関係であった創業者の2人である池野谷康充と山根佑子。当時の想いや、今でも変わらないスタンスについて、楽しく語り合ってもらいました。

池野谷 康充 ( I : 株式会社ヒューマンシップ代表取締役社長 )
山根 佑子 ( Y : 株式会社ヒューマンシップ取締役執行役員 )
小林 久実 ( K : インタビュアー)

* * * * *

【 小学生の時に既に、起業しようと思っていた 】


K : 今日は久々におふたりに、同時にお話を伺えるのが楽しみです。

I : さて、どんなことを話しましょうか。

Y : 10年はあっと言う間のようで、本当にいろいろありましたよね。

K : そもそも「会社を作る」と言う想いは、いつ頃から抱いていたのですか?

I : それはね、小学校の作文で「将来、会社を作る!」って書いたぐらいですから。

Y : かなり早い(笑)小学生からずっと想い続けていたってことですよね?

K : 10年を振り返るつもりが、最初から40年以上遡りましたね(笑) 小学生時に起業宣言していたなんて、とても池野谷さんらしいです。

I : そもそも父親が中小企業の社長でしたから。 「自分もいつか会社を作ろう」と思うのは自然なことでした。それ以外に将来の夢は、幼い頃から考えていなかった気がしますね。

K : 小学校時代に始まり、リクルートへ入社された時点でも、起業意識があったということですよね。

I : 会社は3年で辞めて起業する!と公言していたぐらいです。入社2年目の時、振り返り面談で上司に「辞めるなら高く売るぞ」と冗談で言われました。実際に友人と定期的に、何の会社を作るか話していましたね。
月1ペースで、一緒にビジネスモデルを考える機会を作って、起業ネタを探していました。「これをやりたい」と言うのが先にあったわけではなくて、とにかく何かで起業するんだと想いながら働いていました。近年のベンチャー創業にも通じるものがあるかなと思います。

K : 時代を先取りした考え方でしたね。

Y : それにしては、結局リクルートで24年も勤めたという事実(笑)

I : そう、具体的にビジネスモデルを考えて、ある事業に焦点を定めて、まずは実際にリサーチしたりもしてましたが、神様が待てと言っているように思えることがあって、急遽取り止めたり…。まあ、物事は万事がタイミングですよね。その後は、仕事も充実して楽しかったので、経験と年月を重ねた感じです。

【 40歳を過ぎて起業した時の想い 】

K : 3年で辞めるつもりが、仕事が楽しくなって24年も勤められたと言うのは、やはり池野谷さんは当時のリクルートが最適の学びの場所だったのでしょうね。

I : 目標を達成し続けながらも、まあ悩むことはありましたけれど、ずっと仲間にも恵まれて仕事は楽しかったですね。今はヒューマンシップで一緒に働いている日置に、現役時代にこんなことを言われたのを覚えています。「あなたは、リクルート大好きで広報部長みないなものなんだから(辞めないでしょ)」と。本当に大好きだったんだなと思います(笑)。あれは三十代の終わり頃だったかな。

K : それほどリクルートでのH R領域のお仕事は、組織長としてもやり甲斐があったのでしょうね。それが40代になって、いよいよ起業するために早期退職されたわけですよね。長年勤めた後に初志貫徹で起業するに至ったのは、何かタイミングがあったのですか?

I : そうですね、まあ一つはリクルートのホールディングス化と事業会社の分社化が大きなきっかけというか。入社した会社ではなくなったことと、業績を追い続けることに疑問を感じ始めてしまったんです。また、人材紹介の仕事が見えるようになって、色々と不思議に感じるものがありました。

Y : 私は当時まだ入社7年目でしたが、会社が変わっていく感覚というのは一従業員ながらも肌で感じていました。池野谷さんにとっては、それによって入社当初から思い描いていた起業への想いが後押しされたのだろうなと思います。当時、私は池野谷さんの部下として営業と、中途入社者向けの育成プロジェクトというのを一緒にやっていたんです。私は29歳で、仕事だけでなく色々と悩んでいた時期でもあり。そんな雰囲気を察したのか、ある時、池野谷さんが「実はリクルートを辞めて会社を作ろうと思っているんだけど、一緒にやらないか?」と。

I : 転職という選択肢は自分の中になかったので、もう起業しか考えていなかったんですよね。24年間、大小様々な業種に関わって来たから、企業の採用がよく見えていました。人材紹介はやったことがなかったけれど、ずっとHRに関わっていたので、まあできるだろうと。個人が、本当の意味で幸せになれる転職に思い切り伴走しようと。目の前の人がとにかく「どうしたいか」を大切に1対1で徹底的に向き合おうと思いました。

【 営業は極力せず「紹介いただくこと」を大切に 】

K : 当時からそうだったのですね。それで企業としてやり続けられる自信が、最初からあったというのは凄い度胸ですね。

I : そこに対して全くブレがないというか、不思議な確信みたいなものがありましたね。結果よりもプロセス、目の前にいるその人のことを真剣に考える。そして、その人から大切な人を「紹介」してもらえるような状態を目指す、そうした長期に渡る関係性の構築が大事なのだと言うことが、創業時からクリアに見えていましたし、この事業ならば山根が活躍できるだろうとも直感したんです。

Y:そうなんです。だから創業当初から私たちには目標というものはなくて、「紹介数だけがKPI」(本当のKPIのように数値でなく、自分たちのポリシーが結果に表れるという標語的な意味で)という方針を掲げていました。ただ、「本当にそれで成果を出せるのだろうか・・」と内心は半信半疑で・・・。当時、人材紹介(エージェント)の経験があったわけではなく、全然自信がなかった。ただただ、目の前の人の幸せを大切に、池野谷さんの言うことを試しながら、手探りでスタートしていった感じでした。目先の成果にとらわれることなく、時に踏み込みながら個人に向き合うことにこだわっていた結果、事業開始から数ヶ月で、本当に幾つもの“ご紹介”をいただけることになって、「ああ、池野谷さんの話していた通りだな」と答え合わせができたような感覚でした。


I : リクルートで一緒に仕事をしていた松田もすぐに加わったので、3人で手探りの中でもかなりの手応えを感じながら進めていきました。そこで大切にしたかったのは、支援者個人の幸せはもちろん、社員の幸せを大切にするということ。社員が気持ち良く仕事ができなければ、サポートさせていただく相手の方の幸せを実現することも難しくなってしまいます。

当時、山根はまだ20代で身軽に動けましたが、松田は幼い子どもたちを育てながら働いていましたし、疲弊するような働き方は絶対にさせたくなかった。それぞれのプライベートな時間を大事にするためにも、必要以上の管理はしないし、無駄なミーティングも極力行わないという方針を掲げました。10年経って社員が増えた今も、大事にしていることは、創業時から全く変わっていません。

Y : 池野谷さんが当時よく言っていたのは、
「大多数にあまねくリーチして期待に応えることは難しい。あらゆる企業を選択肢として揃えることにも能力限界がある。でも目の前の人が本当にどうしたいか?何をやりたいのか?ということにしっかりと向き合って伴走さえすれば、絶対に大丈夫。その人に応じて新しい企業へ営業に行けば良いし、最初から全ての選択肢を揃える必要はない。」と。

K : 20代最後だった山根さんも、そうやって「本当にどうしたいのか?」と自分に問いかけて、リクルート退社して新しくスタートしたということですよね。その後、ご自身と同じぐらいの年齢の求職者のキャリアをサポートしてゆく上で、大手企業を退職し、起業を経験されたのは大きなことでしたか?

Y : それはそうですね。当時、周りでは結婚する友人の数が増えてきて、果たして「自分はこれからどうしたいんだ?」と毎日のように問いかけていた時期で。20代をずっとがむしゃらに頑張ってきたけれど、30代になったらどんなバランスで働いていけば良いのかな?とか、日々考えていました。人によっては子育てとかプライベートとの両立を重要視する方もいるでしょうし、その時期って誰でも色々と悩むものですよね。なので、自分と同世代や少し年下の女性に、とにかくまずは会ってみよう!と思いました。

結果として、人としての共感力を高めながら、HRで築いたベースや知見を元に、キャリアや仕事の相談に乗ることができることが分かったんです。エージェントという在り方を超えて、出会った個人と良い関係性を築けている実感が湧いてきたんですね。自分たちの考えているサポートの方向性は間違っていないし、世の中にも求められているんだ!って、目の前が明るくなっていったことを覚えています。

K : そうしてサポートさせていただいた先で転職へとつながり、その方の大切な方をご紹介いただく、と言う連鎖も生まれて行ったのですね。それって聞いていると自然な流れのようでいて、営業しないでもビジネスや関係が「続く」と言うのは、実はとても凄いことですよね。

Y : そうですね、必要がない限り「営業しない」というスタンスは、かなり斬新というか、潔いスタンスだったと思います。でも実際に、紹介の紹介…と連鎖して行き、時間が経っても続いているというのは、本当にありがたいことです。

I : 「お前はどうしたい?」というのは、リクルートの魔法の言葉ですが、やっぱりそうして人の心へ踏み込まないといけないタイミングがあると思っています。決して上辺だけではなくて。その上で「転職は、別に今はしなくてもいいんじゃない?」と思えば正直にそう伝えるし、その上で何年後にどうしたいか?と言う気持ちと向き合う。
とにかくこのビジネスには1対1の対話が重要なんだ、と今でも思います。2人だと話せるのに3人になった瞬間に本音で話せなくなってしまう感覚、分かるでしょう?自分自身のことも開示しながら、目の前の人のことだけを考えて向き合うと、直後に明らかな結果は出なくても、「あぁ、この1時間、この人と話せて良かったな」という「想い」を少しでも残すこと。ヒューマンシップでは、とにかくそこを大切にしたいと思って、これまでみんなでずっとやって来ました。

K : それぞれにサポートするプロセスや方法が異なっても、「満足する想い」を残すことは、今でもメンバー全員が大切にしていることですよね。

Y : そうですね。せっかく関わることになり、貴重なお時間を割いてくださっているので、対話できる時間内は誠心誠意、目の前の方にとって何が必要か?自分に問いながら聞く側に回ったり、時に踏み込んで話したり。「話せて気づきがあった」「出会えて良かった」と感じてもらえることが、パーソナルエージェントとしての在り方であり、介在価値の一つなのかなと。話すことで整理され、自分の特性や強みを自覚され、自信を持って次の一歩を踏み出すことができる。人ってそんなに自分のことを分かっていないから、自分だけで客観視できる人って少ないと思うんですよね。

K : 客観視のお手伝い、というのもパーソナルエージェントの大切な役割の一つですね。

Y :自分自身をより良く知ることで、自分の人生の舵を握ることができる。すると他人の土俵ではなく、自分の土俵で堂々と相撲をとれるようになるし、正に水を得た魚のように生き生きとして自ら動き出す方もいらして、伴走しながら清々しい気分です。それぞれにとっての活躍のステージへ上がることができることを、横で拝見させていただけるのって本当に貴重ですし、私自身も学びがあります。

【 ヒューマンシップという社名に込めた想い 】

K : 先ほど山根さんが「自分の人生の舵を握る」という表現をされていましたが、社名のヒューマンシップとは、船のイメージが先にあって命名されたのですか?

I : イメージというより、言葉の響きからですね。パートナーシップ、スポーツマンシップ、フレンドシップといった “~ship” がつく言葉を参考にしました。企業の部品化されるような働き方をすると効率は良くなり、全体の生産性は高くなります。でもそれで人間、ヒューマンは幸せなのか?と問うと、それは疑問なわけです。やっぱり一人一人が、より人間らしく、自分自身との関係性、他人との関係性を大切にしながら働けたら、仕事による幸せは叶うと思います。つまり、”人が主役である“という想いから、「人が主役」=「Humanship」という造語に辿り着きました。山根が言ったように、自分で自分の船の舵を握り、行きたい所へ向けて大海を思うように進んで行けたら、より人間らしく、その人らしく活躍できると信じています。

K : 大海原へ出航すると、どうしても嵐のように天候に左右されて立ち行かなくなったり、思わぬアクシデントで航海図や羅針盤を失ってしまうこともありますよね。

Y : そんな時にこそ、パーソナルエージェントが同乗して、隣で一緒に先をしっかりと照らしてあげられたらいいのかなと思います。もちろん、その船の舵を握っているのはその方自身です。

I : あくまでその人の主体性を大事にしないといけない。その先にこそ、変革や成長が起きる。「ヒューマンシップな生き方」をできる人を、これからも1対1で大切にしていくことは、この先の新たな10年でも変わらないスタンスの根幹です。


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