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都会を出たいという思いから地方の大学で教育を学び、留学経験を経た彼女が目指す教育とは?

眞柄 史織(Magara Shiori)

美祢team / KeyMan
1998年生まれ、東京都葛飾区出身。小学5年生からは千葉県流山市で育つ。都会を出たいという思いから、秋田県の国際教養大学に進学し、英語漬けの日々を送る。大学では「学生と地域を繋げたい」と地域交流サークルの活動に打ち込み、2年次には代表を務めた。3年次にはフィンランドに留学、現地の教育学部でフィンランドの教育を学ぶ。帰国後、日本の地域から教育を作っていきたいとの思いを強くし、FoundingBaseへのジョインを決意。2021年8月より山口県美祢市で公設塾minetoのスタッフとして活動している。

人に目が向いていた幼少期

保育園の頃から、人間観察が好きな子どもでした。23歳になった今でも、年少、年中、年長のクラスメートの名前をほとんど覚えているんです(笑)
名前だけではなく、クラスの中の人間関係や一人ひとりの性格まではっきり覚えていて、いまだにその子がどんな子だったかエピソードとともに説明できます。(格別親しかったわけではない人たちも含めて、です。)

小学校低学年の時は、お正月に年賀状を送るときにどの子に送ればいいのか決められず、結局クラス全員に送ったこともあります。
今思えば、もらった相手の大半が「なんで?」ってなっていただろうなと思いますが、当時の私にとってはどの友達も同じくらい大切で、特別親しい友人にだけ送るという当たり前の行動ができませんでした(笑)

それくらい一人ひとりをつぶさに見ていたので、成長するにつれて大人への不信感が徐々に溜まっていきました。
今であれば大人の事情もわかりすぎるくらいわかるのですが、子どもの頃は、その子の一面だけしか見ていないのに全てを知っているように振る舞う大人が嫌で嫌でたまりませんでした。

今でも覚えているのが、小3の時の出来事。クラスメートに、いつも叱られているような悪ガキ男子がいたのですが、ある日クラスで小さな事件が起きた時、担任が真っ先にその悪ガキ男子を疑いました。私はその子が犯人ではないことをよく知っていたので、見てもいないのに「ちゃんと見てるんだぞ」と言う先生のことが全く理解できず、悔しくて人知れず涙したのを覚えています。

よくこの話をすると「自分が当事者なわけじゃないのにすごいね」と言われることがあります。
確かに、私自身は学校では優等生タイプで、先生に叱られた記憶もほとんどありません。けれど、「どんな人間だって、尊重されるべきなんだ」という思いは幼い頃から自分の根底を流れていて、誰かが蔑ろにされるのを見るといたたまれない気持ちになっていました。

物語の存在

「人」以外にもう一つ、小学生時代にのめり込んだものがあります。それが「物語」の存在です。小さい頃から本を読むことが大好きだったのですが、小2くらいから自分でも書くようになりました。

創作するようになったきっかけは弟が生まれたことでした。8歳も離れた弟はもうかわいくてかわいくて仕方ありませんでした。自分も子どもながらに、「命の尊さ」「子ども時代の尊さ」みたいなものをうっすらと感じたのだと思います。すくすく育っていく弟を見ているうちに、自分の中にむくむくと創作意欲が広がっていくのを感じました。それで、ハイハイを始めた弟を主人公にして書いた話が、自分の書いた最初の物語でした。

そこからは創作にのめり込むようになり、いつもノートを持ち歩いてアイデアを思い付いたら書く、ということを続けていました。小4くらいからは絵の得意な友達に挿絵を頼んで一緒に絵本作りをしたり、子ども向けの創作コンクールに応募してみたりと、楽しみながらも結構意欲的に作品作りをしていました。小6になる頃には自分は作家になるのだと信じていました。当時、あるコンクールで受賞した作品を担任の先生に見せたところ、丁寧な感想と激励の言葉を書いたお手紙をくださって、とても嬉しかったのを覚えています。

暗黒の中学時代とひたすらモヤモヤした高校時代

好きなことに出会えて比較的穏やかに過ぎていった小学校時代とは一転、中学時代はかなり暗黒でした。学校という場の不条理さ、大人の汚さ、ずる賢さを目の前にして「教育」に関心を持ち始めたのも中学時代でした。学級崩壊や部活のいざこざを目前にするうちに、私の関心は徐々に物語上の世界から現実へと移っていきました。

中学時代があまりにも抑圧的だったので、高校は「自由になりたい!」という思いが強く、通える範囲内で唯一の私服校を選びました。しかし、実際に入ってみると思っていたのとは違い、理想と現実のギャップへの失望からひたすらモヤモヤするようになります。

楽しそうに学校生活を送っている友達と、1ミリも楽しいと思えない自分。当時の自分はそんな「キラキラ」した友達と自分を比べて落ち込むばかりで、どんどん自己肯定感が下がっていきました。高3になる頃には私の自己肯定感は手のつけようもないほど落ちきっていて、自分の力ではどうしようもありませんでした。しかし、どん底にいながら、自分の状況を客観的に分析している自分もいました。

「自分がこんなにも自信を持てなくなったのは、これまでの教育で植え付けられた不幸な価値観のせいだ!」
という思いが日に日に大きくなっていき、その思いは
「よし、自分が教育を変えてやろう!」
という決意に変わっていきました。

そんな時に、社会の先生が偶然授業の中で、フィンランドの教育についてのビデオを見せてくれました。そこで行われていた教育に衝撃を受けた私は、海外の教育をもっと深く学びたいと考えるようになりました。

地域の可能性に目覚めた大学時代

一面の田んぼと森。敷地内に熊が出没するキャンパス。
本気で自分を変えたいと思って飛び込んだのは、それまでの環境とは全く違う秋田のド田舎の大学でした。
全ての授業が英語、24時間眠らない図書館、留学生と相部屋の寮生活、1年間の留学が義務、、。大学のパンフレットには、そんなパワーワードがずらりと並んでいました。

大学時代は、「自分を変えたい」「この世の中をもっと知っていきたい」という思いから、高校の頃とは打って変わってアクティブに様々なことに挑戦するようになりました。興味のあることはとにかく挑戦しまくった結果、志を共にする仲間と深く語り合うことも増え、私は徐々に自分を受け入れられるようになりました。

中でも、自分にとって一番大きかったのが地域交流サークルの代表を務めたことでした。当時、せっかく地方に大学があるのにも関わらず、地域との交流がほとんどないという状態でした。そこで、思いのある地域の方と協力し、多様性溢れる学生たちと秋田の地域に住む幅広い年代の人たちの交流の場を数多く企画しました。
本当に草の根レベルの活動でしたが、関わった人たちがほんの少しずつ変化していくのを見るうちに、このような草の根レベルの活動こそが地域、社会、そして世界をも変えていく力を持つのだと心から信じられるようになりました。何より、地に足をつけて生きている地域の人たちの生き方がめちゃくちゃカッコいい。そんな地域の人たちから、「生きること」について本当に多くのことを学ばせてもらいました。
秋田で活動した3年間は、今でも太い軸となって私を支えています。

また、2019年から2020年の夏にかけて1年間フィンランドに留学し、現地で実践的に教育を学びました。帰国後、自分の学んだものをどう還元できるか考えた時に、やはり「日本の地方から新たな教育の風を起こしていきたい」
という思いが強く、ご縁をいただいたFoundingBaseにジョインすることを決めました。

現在とこれから

私は今、山口県の美祢市という人口2万3,000人の自然豊かな町で、中学生向けの公設塾minetoの立ち上げをしています。
まだ生徒もいなければ、形もできていない。そんな状態で私の新卒生活はスタートしました。

日々自分の無力さを実感していますが、それ以上に頭を回し、手を動かし、未来にワクワクしながら作っていくことの愉しさを感じています。

子どもたちの好奇心と挑戦する力を育む塾minetoが、これからどのように地域、日本に影響を与えていくのか。
美祢の子どもたちが、minetoを通じてどう変化していくのか。

私自身も、minetoに通う中学生とともに全力で挑戦し、失敗し、また前を向き、成長していきたいなと思います。

株式会社FoundingBaseでは一緒に働く仲間を募集しています
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