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モリアゲ社長ストーリーVol2:大学デビューだと思ったのに……

みなさん、こんにちは。エンドライン株式会社(屋号:モリアゲアドバイザー)の代表取締役の山本啓一と申します。
前回より始まった『モリアゲ社長ストーリー』!今回も続きをお送りします。

前回は↓


さて、晴れて大学生になり、楽しみにしていたキャンパスライフ!

しかし、人生の中で一番「退屈な日々」でした。

入学式やクラス分けの時から、なぜだか馴染めず……(笑)


クラスコンパとかもオモシロく感じず、、、


何か面白いことはないかなと思い、フォークソング愛好会に入るも、あまりの体育会系モードにびっくり!



ロン毛・金髪の先輩たちが「時間厳守だ!」とか、「礼儀をしっかりしなさい!」とか言うので「カッコ悪いなあ~」と当時は感じていました。今考えると素晴らしいことを言っているのは分かりますが、当時の私は変にひねくれていたのです。



大学に馴染めないまま、夏を迎え、ちょうど前期の試験前。


勉学にエネルギーを注ごうと、真面目に試験勉強に取り組みました。


当時は、試験前に解答のコピーが出回っており、それを暗記することで高得点が取れるという環境がありました。


大学に馴染めていない私のもとにコピーが回ってくることはなく……。



真面目に勉強した私ですが、残念ながら丸暗記した他の学生たちよりもテストの点数が低く、心が折れました。




結構、真面目な性格だったので、「ちゃんと勉強したのに!」とバカバカしくなり、自棄になった記憶があります。


このことを境に、だんだん大学に行かなくなりました。


クラスのメンバーともさほど仲は良くなく、サークルも辞めたので、アルバイト一筋。夕方からアルバイトに行き深夜まで働いた後、高校の時の仲間とゲームセンターか私の実家に集まり、プロレスや歴史シミュレーションのゲームを朝までしていました。


必然的に寝るのは、朝5時~昼12時まで。「笑っていいとも!」が放映される時間に起きる生活になっていったのです。



親には大学に行かなくなったことを言っていなかったのですが、実家だったこともあり、昼に起きて夕方までゴロゴロしているのはさすが気まずくなりました。



そのため、午後は「学校に行くフリ」をして、パチンコ店に行っていました。



パチンコで勝った記憶がないくらい弱いので、バイト代は減るばかり……。



さらにバイトを増やし、パチンコに通い続けていた……と言いたいところですが、アルバイトが続かない人間だったので、そんなこともできずにいました。



バイトは、早ければ3日、長くても3週間ほどで辞めていた「ダメ人間」。しかもちゃっかりバイト代はもらいに行くという、なんともずうずうしい。



大学生時代は、アルバイトとパチンコ、あとは友人とチームをつくってバスケットボールくらいしかしていない記憶があります。



そうこうしているうちに、4年間の大学生活が終わりました。しかし、大学に行っていなかったので、単位があるわけありません。全く単位が取れず、128単位中42単位という素晴らしい成績を残しました(泣)。

この時点で、大学7年生の道が決定しました。



「さすがにやばい」と一念発起して「卒業できるように頑張ろう!」と思ったのですが、ここまでの堕落した生活を直すパワーはありませんでした。



そのため、大学5年生の夏に母親と近所のステーキハウスでランチをしている際、現状を話して退学することを決めました。



その日、なぜか母親にラジカセを買ってもらった記憶があり、今考えるととても甘やかされた、言葉を変えると愛情を受けていたなあと思います。



その日のことは、今も鮮明に思い出されます。

次回に続く・・・・

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