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「体制嫌い」だったからこそ目指す、理想の組織・体制づくり

世界を前に進めるプロダクトの開発を目指すEDOCODE。ここで組織づくりを担っているのが執行役員の山田響です。彼は会社と社員がフラットな関係でいられる組織を目指しています。その原点は、教育制度に疑問を抱きながらも教師を目指した少年時代と、9社もの企業を渡り歩いてきた過去にありました。

「社会を知らないまま教師にはなれない」その思いがビジネスへの入り口に

「体制が嫌いなんですよね、昔から」――そう話すのは、EDOCODEで組織づくりを担う山田響。そのキャリアのほとんどをIT業界で過ごした彼ですが、子どものころに目指していたのは教師でした。

山田 「僕は昔からよく先生に反抗していて、『教師失格じゃ!』と言ってみたり、卒業文集のタイトルに『反抗、そして思い出へ』とつけたりする厄介な生徒でした(笑)。『教育を変えないといけない』という気持ちが中学生のころからあったんです。

とにかく教育に対して問題意識があったから、ずっと教師になりたかった。ただ、社会を知らないまま教師になるのもどうなんだろうと感じていました。「教育の反対はなんだろうと考えたときに、当時の教育ではまったく教えていなかった『お金』かなと思い、選んだのが金融だったんです」

こうして証券会社でキャリアをスタートした山田は、新規顧客開拓に携わります。ところが、リーマンショックによる業績悪化に伴い会社が希望退職者の大量募集を始め、若さゆえの無謀さもあり入社から1年を待たずして退職希望を出しました。

それからしばらくは、本人曰く「ふらふらしていた」時期だといいます。しかしその期間に、会社や職種に縛られることなく動けたことが、意外にもIT業界への入り口となったのです。

山田 「父親がハンドメイドのオーディオメーカーをやっていたのですが、職人的なところもあり、当時マーケティングは最低限しかできていませんでした。それで、当時会社のWebサイトがかなり古いデザインだったので、独学でHTMLやCSSを学んでリニューアルしてみました。考えてみればこれが僕の初作品ですね」

こうした家業の手伝いやカフェでのアルバイトでなんとなく生活は繋ぎながらも、徐々にインターネットの世界に興味を持ち始めたと言います。

山田 「当時は結構時間があったので、友人や知人のためにタダでサイトを作ってあげてたんですが、お金がなかったので必要な技術は全部ネットで検索してたんですね。そうしてると、自然にネット界隈のことやITサービス、ツールをどんどん使うようになってきました。Twitterを始めたのも調べてみると2010年3月なので、ちょうどそのぐらいの時期の話ですね。ただ、いつまでもこんなふらふらしてる猶予期間は続かないものです。いよいよ生活資金が尽きてきたので、さすがに就職でもするかと転職サイトを開きました(笑)。」

こうして、山田は東京のIT企業に入社します。ゲームディレクターとしてIT業界での経験を積んだ後に転職したのが、EDOCODEが共同事業を行っているデジタルガレージでした。

ベンチャーから大手まで。あえて困難な道を選んで繰り返した転職

デジタルガレージに入社した山田は、新規事業の企画やソーシャルゲームのディレクターなどさまざまな案件を担当します。同社とEDOCODEはポイントモール事業で協業をしていたことから、このときに山田はEDOCODE代表取締役の田村鷹正やCTOの加藤敦と出会いました。

山田 「デジタルガレージでは、前職で経験したゲーム領域だけでなく、新規事業の企画も任せてもらえたので、やりがいはありましたね。ただ、どうしてもtoCの仕事をやりたくなって、また転職することにしました。父親の影響なのかもしれませんが、自分がつくったものに対して『ありがとう』と言われたいという気持ちがあったんだと思います」

山田が選んだのは、IT関連企業の大手であるDMMグループに属するDMM.comラボでした。ここで彼はゲームのプラットフォームの立ち上げを担当。ゲームディレクターとしての経験を活かしながらプロジェクトをマネジメントする仕事に就きました。

山田 「DMM.comラボの仕事はめちゃくちゃ楽しかったですね。とくに現場の調整が楽しかった。わりとメンドクサイこと(笑)を言ってくる人に対して、それとなく本人に気づかれないように方向修正をしたり、エンジニアが困るところに先回りして対処したり。ごちゃごちゃした現場は、まさに腕の見せ所でした。僕はたぶんうまくいかない方がやりがいを感じるんじゃないかと。『どうやったらうまくいくか』と、そこには考える余地がありますから」

次のチャレンジの場は、これまでと打って変わって伝統的な大手クレジット会社でした。ところが、データマーケティングの部署に加わった山田は、経験したことのないハードルにぶつかります。

山田 「スタンプラリーみたいに稟議書へのハンコを集めてまわったりたくさんの違う部署の人たちとやりとりがあったり……。まあ、大きい企業だししょうがない部分はあるとは理解していましたが、本当であればやるべきことも、やれることもたくさんあるのに、そういった自分としては納得できないハードルでいちいち止められるのがフラストレーションだったんですよね。

その会社からは、『新しい風を吹き込んでほしい』と言われていたんですが、僕ひとりで変えられるはずがない。でっかいビルに息を吹きかけるようなものですから(笑)。組織を本気で変えたいのであれば、社長や役員が自らその成否次第でで報酬や待遇が変わるぐらいにコミットする、そうしたことが大切なんだと気づきましたね。これはとても勉強になりました。

その後、IT関連の企業2社を経験した山田は、「もう会社勤めはしない」と考えていました。その考えを変えたのは、3年ぶりのEDOCODEの代表・田村からの連絡です。

自分が組織をつくるなら、とことんフェアなものにしていきたい

「山田さん、隠居するにはまだ早いですよ」。自宅でリモートワークのエンジニアとして仕事をしていた山田に声をかけたのが、田村でした。デジタルガレージ時代から約3年を経てふたりは再会し、田村は「事業を手伝ってほしい」と山田に頼みました。

山田 「正直、『もう通勤電車なんて勘弁して』って思いましたよ(笑)。それでも2回、3回と会ううちに気持ちが変わってきて。最終的にEDOCODEに入るのを決めたのは、田村の存在が大きかったですね。彼は人柄もよかったし、疑問に思うことはどんどん壊していいと言ってくれた。忖度してとか稟議書のスタンプラリーしてとか……そういうこともなさそうだし、もっと本質的なことに向き合っていけそうだと感じたんです。

また、お互いの強みを活かせそうだと思ったのも大きかったです。彼が課題に感じていた組織づくりやエンジニアリングの部分はこれまでの経験もあるし、力になれそうだなと。逆に、僕が少し苦手なビジネス面のところは、彼はかなり詳しい。そこで、一緒にやってみようと思ったんです」

EDOCODEに入社した2018年3月以来、山田は組織づくりに取り組んでいます。彼が考える理想の組織は、会社と組織がフェアでフラットな組織。その組織イメージに近づけるため、試行錯誤しながらさまざまな施策を実行してきました。

山田「大きく変えたのは、評価制度です。以前は相対評価だったんですが、基準を明確化して絶対評価にしました。たとえば、レベル1は多様な意見を取り入れることが重要だと信じている、レベル2は他者の意見を途中でさえぎらず、常にオープンな姿勢で話せるという具合に。

以前は相対評価で基準も明確化されていなかったんですが、それだとどうしても評価者の相対的な基準になってしまうし、その人の好みが入ってしまうこともある。フラットな評価をするには、それを仕組みとしてなるべく排除しないといけないと思ったんです」

さらに山田は、面談の回数を増やしていきました。以前は半期に1度のペースで行われていましたが、改定後は目標を明確にする「ミッション設定面談」、成果を振り返る「評価面談」、そして給料などの条件について話し合う「査定面談」を実施することに。

評価面談の際には、社員側をフォローする弁護士的な立ち位置として山田も同席し、会社と社員が対等に話し合える場づくりに努めています。

山田「会社と従業員を“契約”という形にしたかったんです。僕は、会社と従業員ってビジネス取引だと思っています。たとえばビジネスをしていくときに、『この金額払ったらどういうパフォーマンスを発揮してくれますか?』などと交渉していきますよね。それが、会社と社員という関係性ではそういう交渉がされていないことが多く、社員の立場が弱くなりがちです。

社員と会社が対等に交渉して“契約”を結べるようになれば、『パフォーマンスに対して給料は見合っているのか』など、社員が交渉の力を持つことができますし、結果として会社という『体制のパワー』も下がります。

もちろん交渉や契約というのは誰でもできるわけではないので、面談では自分が社員側のフォローに立って、なるべくフェアな状況をつくるようにしています。理想を押し付けるだけでなく、きちんとその仕組みがフェアになるよう注意して検討を進めていたいと思っています」」

このような取り組みを重ねることで、EDOCODEの社内には、少しずつ変化が生まれています。

会社の気候を、「人に優しく、仕事が大好き」に変えていく


山田がEDOCODEに入社してから2019年3月で1年。この間に社内では女性社員が増え、社内の雰囲気も少しずつ変わってきました。それでも、まだ取り組むべきことはたくさんあります。

山田 「もちろん、これから変えていきたいことはたくさんありますよ。たとえば、長い会議をなんとかしたい。でも、僕が『会議をやめましょう』と無理やり変えても意味がありません。社内の誰かが『この会議意味ないですよね?』と言い出せる組織にすることが大切だと思っています。そのためには積み重ねが必要なんでしょうね」

EDOCODEの組織づくりは、まだはじまったばかりです。山田は将来を見据えて2つの条件を兼ね備えた人と働きたいと考えています。それは「人に優しいこと」、そして「仕事が好きなこと」です。

山田 「『人に優しい』ということはマストですね。これはフェアな状態を実現するダイバーシティ&インクルーシブな組織のためでもありますが、僕自身、そういう人と働きたい。あとは仕事が好きな人であれば、EDOCODEの組織でうまくいくと思うんです。

この2点は、EDOCODEの中で“気候”のようなものにしていきたいんですよね。気候って、その場に行けば誰でもすぐに感じるものじゃないですか。いずれは、EDOCODEに来た人に、『ここには優しくて仕事の好きな人がそろっている』と感じてもらえるような組織にしていきたいですね」

体制を嫌い、組織にとらわれずに生きてきた山田。彼がつくり上げる組織は、従来の常識とは違ったものとなるでしょう。会社と社員がフラットで、対等に向き合うことができる――。そのような組織をこれからも目指していきます。

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