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Basics 7 Tips;「意見の対立」と「事実」の関係性

原始の脳の防衛反応

日本を代表する企業、トヨタのマネジメントに関する本を読んでいたところ、とても共感できるポイントがあった。トヨタには問題解決のための7つのステップ(場合によっては8つ)というものがあり、自分や会社が抱えている問題などについて報告するとき、このステップに従って結果を導きだし、A3のレポート用紙1枚にまとめて提出するという手法をとるそうだ。トヨタ社員はその手法を新入社員研修のときから繰り返し教えられ、社内報告はA3用紙1枚でまとめるという習慣が根付いている。

この手法について述べられているページを読んでいたら、「意見の対立」に関する話が出てきて、それがまさにウチのベーシックスにも通じる部分があると感じられた。そこで、そのポイントをシェアしたいと思う。

大抵の人は「意見の対立」をめちゃめちゃ嫌う。ほとんどの人にとって、「意見の対立」とは、イコール「ケンカ」に近いのではないだろうか。人間は、自分の意見を批判されたり、否定されたりすると、原始的な脳の部分で「攻撃された」と感じるようにできている。それに対する防衛反応として、その批判に攻撃し返したり、そもそも攻撃されないように回避したりする。
だから、自分の意見を批判・否定されると、ほとんどの人は、その意見が正しいのか、間違っているのか、どこか足りない部分があるのかという“論理的な反応”ではなく、「ムカッ!」「イラッ!」といった“感情的な反応”を示す。あなたも身に覚えがあるのではないだろうか?

自分の意見というのは、自分の“考え”だ。その考えを批判されたら、その正しさを立証しようとしたり、間違っているなら正しいものに変更するというのがあるべき姿だろう。しかし、人はムカッ、イラッと感情的に反応してしまう。

このように感情的に反応すると、思考力は激落ちしてしまう。まともにものごとを考えられる状態ではなくなってしまっている。怒って興奮しているチンパンジー状態だ。怒って興奮しているチンパンジーに、人間が取り扱う論理的な話が通じないのは、なんとなくわかると思う(笑)。もし、あなたが意見を批判されたとき、「スグに感情的になってしまうなぁ」と自分で思うなら、怒ったチンパンジーを思い出すといい。それを思い出すだけで、少しは冷静になれるはずだ。


「尊重は意見の対立を通して得られる」

さて、このような背景から、人は意見の対立(ケンカ)を嫌うものである。しかし、この本で言われていたのは、「尊重とは、意見の対立を通して得られる」ということであった。尊重するというのは、相手を1人の有能な働き手として尊重する、同じチームの仲間として尊重するということ。

ここでベーシックスの「事実に基づく判断をする」という項目が登場する。
意見の対立とは、読んで字のごとく「意見」であって、「事実」ではない。実は、「意見」は対立することがあるが、「事実」は対立しないのだ。

「事実」は明らかにある方向を指している。それが人によっては右に見えたり、左に見えたりすることはない。「事実」には疑問を差し挟む余地がなく、「イラッ」とか「ムカッ」という感情的反応をする余地もない。事実は事実である。つまり、「意見の対立」が起きる原因は、「事実」が見えていないということだったりするわけだ。

たとえば、
(A)「フロントエンド商品は2,980円がベストだ」
という意見と、
(B)「フロントエンド商品は3,980円がベストだ」
という意見は対立する。

しかし、この時点では「フロントエンド商品は2,980円がベストだ(と思う)」という意見、思い込みにすぎない。ところが、それに事実が加わり、2,980円と3,980円を比較するテストをした結果、「2,980円のほうが60%もコンバージョン率が高かった」というデータが出たとすれば、この意見の対立は起きないのである。AさんもBさんも、「あー、それなら2,980円だね」と簡単に結論づけるだろう。
この場合、Bさんの当初の意見は間違っていたことになるが、事実データが提示されれば、何の問題もなく自分の意見を撤回することができる。

ま、世の中はそんなに簡単ではなく、もっと複雑な判断が必要なことも多いし、正解が1つだけとも限らず、状況次第で変わってきたりもする。だが、少なくとも事実が提示されていれば、Aさん、Bさんのどちらかが「ムカッ!」「イラッ!」と感情的な反応をすることはない。事実や根拠がある場合には、人間には感情的な対立はほとんど起こらないのだ。


ダイヤモンドをダイヤモンドで磨く

そしてここからが重要だが、AさんとBさんは「結局、2,980円にするんだったら、最初の意見の対立などなければよかった」と思うだろうか、ということだ。きっと、思わないだろう。意見を対立させたことで、その意見の根拠などを突き詰めて知ることができ、その結果、「よりよい判断」「よりよい決定」ができたのだ。意見の対立によって、決定の質が上がったわけだから、ムダだったとは思わないだろう。そして、お互いへの理解がより深まっていくのは、そうやって意見を対立させ合うというプロセスのなかにあるのだ。

なので「事実を基に」というベーシックスのとおり、事実や根拠をもって意見を言うのがとても大切。根拠がなく、「直感でなんとなくそう思う……」というような場合は、むしろ誰かに反対意見で攻めてもらったほうがいい。なぜなら、ダイヤモンドをダイヤモンドで磨くように、その人の意見がより研ぎ澄まされるからだ。

誰かが面白いことを言っていた。「考えることは批判することだ」と。ぼく自身も、たとえば部下からのレポートを読んだり、企画書のレビューをするとき、相手の出してきたものを批判する傾向がある。なぜなら、「おー、いいね! ナイス、それで行こう」なんてことばかり言ってたら、存在意義がないからだ。批判をすることによって、相手の思考をより研ぐことができる。ぼく自身も、批判されることで、根拠のなさや、おかしな論理に気づき、考えをより研ぎすまし、よりよい考えにできると思っている。

なので、ぼくがあなたの意見、アイディア、企画を批判していたら、それはあなたが嫌いなわけじゃなく、あなたの考えをダイヤモンドで磨いているだけだと思ってほしい(笑)。

「対立を通しての尊重」―そのためには、誰もが「事実に基づいて判断をする」というベーシックスが身についてないといけない。

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