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新年早々、残るべきものが残る世界について考えてみた話

2022年、あけましておめでとうございます!
早速ですが、年末年始に本を読んだり人と話をして感じたことを書き記して、noteに残すことにしました。
正月明けの初出勤に向けて、頭のアップがてら読んでいただけられば嬉しいです。

目次

  1. はじめに
  2. なぜこのnoteを書こうと思ったのか
  3. 人口が減少する社会におけるモノづくりの在り方
  4. 文明的価値から文化的価値へのシフト
  5. 残るべきモノを決めるために大切な「目利き」
  6. 終わりに

はじめに

買い物は投票である。
そんな言葉をよく聞くようになった。

このnoteは市民権を得つつあるその言葉を、
さらに一歩踏み込んでみるためのnoteです。
是非議論のネタにしてもらえたらと思います。

なぜこのnoteを書こうと思ったのか

私はKAPOK KNOTという木の実由来のファッションブランドを運営している。
SDGsがここまで世界で浸透したおかげで、
注目をいただくことが増え、昨年は150以上のメディアにて取り上げていただいた。
そのおかげで本当に幅広い世代の考える「サステナブル」の声を実際に聞くことができた。

今回、このnoteを書こうと思ったのは、
ブランド運営をしていて驚いたと共に危機感を感じた話があったから。
その経験を自分だけで留めるのではなく、
少しでも多くの人に知ってもらうべきだと感じたから。

それは、カポックノットでコミュニティイベントを開催していた時の話である。
そのイベント内で、3人1組でグループを組むことになり、20代前半の男性女性と私の3人のグループになった。
そこで、再エネやヴィーガンフードなど多岐に渡る価値観の意見交換をした後に「どのように服を選ぶか?」という質問をしてみた。

女性は、「縫製や生地をしっかりとみる。素人なりにだが、しっかりしている商品はなんとなくわかる。」と答えた。一方の男性は、「縫製や生地は全く分からない。なので、買わないことが一番いいと思っている」と答えた。

(彼の名誉のために言っておくが、彼の発言自体を取り上げたいのではなく、私の思考のキッカケをもらっただけである。そのうえで、続きを読んでいただきたい)

私はこの話を聞いた際に、かねてから感じていた「違和感」が「危機感」に変わった。
男性の方が言っていることは、非常に聡明で倫理的な選択に見える。
しかし、見方を変えればこれは「思考放棄」とも捉えられる。
SDGsを語る上で忘れられがちなのが、Sustainable DevelopmentのDevelopment、つまり発展である。
社会性と事業性が両立してこそのSDGsなのに、
事業性を無視して思考放棄しては未来がない。

「そもそもモノを買わない」という話と、
「支持していないモノを買わない」という話は、似て非なるものだ。

私は、この傾向は服に限らず多様な領域で影響を及ぼしていると感じている。サステナブルが過熱しすぎ、消費しないことが美徳と捉えられつつある。しかし、それは若者が選挙に行かないことと同じ構図を生んでいると感じる。つまり、「若者が選挙に行かない」という課題が、「若者が消費をしない」という課題にもなりつつあるということである。

買い物が投票であるとするのであれば、支持するブランドの挙動を注視し、間違ったことをしていれば不買運動(ボイコットでなく、バイコットと言われる)をするくらいの気持ちが求められるが、明確に「あのブランドは間違っている」と言えるには、かなりの勉強が必要である。これだけのモノやブランドが増えた現代において、そんな時間も労力も今の忙しい若者にはない。

消費しなければ、SNSで叩かれることも、誰かに嫌われることもない。
選挙に行かなければ、投票した政党に対して友人と議論を交わすこともない。
買い物も、投票の権利も放棄した若者に、どんな時代が待っているのだろう。
そんな層に、既得権益を損なってまで、シニア層が手を差し伸べることがあるだろうか。
私は、そんな時代の変革期を体感し、危機感を覚えた。

人口が減少する社会におけるモノづくりの在り方

ここで前提として、日本が置かれている状況を見てみよう。
日本は経済成長が止まり、人口が減少していく成熟社会に突入した。
そんな社会において、私たちはどうあるべきなのだろうか。
京都大学の公共政策の教授をされている、
広井良典さんは著書『人口減少社会のデザイン』の中にヒントがある。

急激な人口増加の時代というのは、一言で表すとすれば日本人あるいは日本社会が「集団で1本の道を上る時代」だったと要約できるだろう。それは良くも悪くも”1本の道”であるから、教育や人生のルートなどを含めて多様性といったことはあまり考慮されず、文字通り画一化が進み、それと並行していわゆる集団の”同調圧力”といったものも強固なものになっていた。そのような強力かつ一元的なベクトルから人々が”解放”され、いわば坂道を上った後の広いスペースで各人が自由な創造性を発揮していける、そうした時代がまさに人口減少社会ととらえらえるのではないか。

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「人口が減少していく中で、多様な豊かさを認め合う」というのは世界で誰も直面したことのない現象である。
「多様性を認め合うなんて、アメリカ西海岸では当たり前だぜ!」
という発言が聞こえてきそうだが、それと明確に違うのは、
人口減少に伴う成熟社会が前提とされていないことだ。
有限な成長、資源を前提としたポスト資本主義を描くことと、無限な成長、資源を前提とした現有資本主義のダイバーシティ経営とは全く別の背景がある。

また、日本に精通したイギリス人経営者のデービッド・アトキンソンさんは、著書『日本企業の勝算』にて、日本の問題は「小さい企業で働いている人」が多すぎること、と述べています。
『日本企業は売上高1億円以下の企業が、なんと50%を占めており生産性が低いのはその影響が大きい。そのため生産性を上げたいのであれば合併を推進すべきである』という趣旨です。

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この主張には概ね賛成ではあるのですが、
その場合に大きな問いが残ります。
”合併すべき企業とそうでない企業の見極め方”です。
前述したようなモノと情報が増えすぎ、消費に消極的になった若者が多い現代において、「合併すべき企業」とひとくくりに言うと、SPAを採用しているような超大型の企業しか残らないのではないでしょうか。
「大好きだったのに潰れちゃうんですか?」
そんな都合のいい時だけ「大好きだった」という言葉では、残るべきものを救えない。
「残るべきものが残る世界」を真剣に議論し、実行に移し、
人口減少社会におけるデザインをすることが私たちの世代に与えらえれた使命なのだと思います。

文明的価値から文化的価値へのシフト

さて、ここで一度極端な例を考えてみようと思います。
例えば消費がどんどん消極的になった先に待つのはどんな世界なのでしょう。それはモノ(単一的)カルチャーで、選択肢の少ない世界。「コスパ」という言葉で片付けられるような売場ばかり。
旅行に行っても地元で見れる景色と何ら変わらない世界でしょう
その世界では、「旨い安い早い」に代表されるような文明的価値ばかりが重視され、文化的価値が損なわれた状態になっている。
山口周さんは著書『ビジネスの未来ーエコノミーにヒューマニティを取り戻す』の中で、織田信長が石高でなく茶器(油滴天目茶碗)に価値を見出し、ゼロサムゲームから脱する「文化的価値」を見出した例を引用し、「文明的価値でなく文化的価値の創出」が大事だと述べている。

すでに地球の文明化は終了の段階に差し掛かっており、需要・空間・人口という三つの物理的有限性による制約から「成長の限界」を迎えつつある。~中略~これからの価値創出は「文明化的な豊かさ」から「文化的な豊かさ」へとシフトせざるを得なくなります。~中略~私たちはモノの価値を「消費の対価」と考えてしまいがちですが、それは「文明的利便性」に対してだけ成立する認識であって「文化的価値」についてはその限りではありません。先述した油滴天目茶碗は800年ほど前に作られたものですが、それが現存しているということは、すなわち「消費されていない」ことを意味しています。ここに「環境負荷」という課題と「価値創出」という課題のトレードオフを解消する大きなカギがあります。

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残るべきモノを決めるために大切な「目利き」

冒頭の男性の服の目利きに限らず、
現代においてはモノの目利きが非常に難しい。
インターネットの発達により、ソフトウェアの知識も増えた分、
今の若者はハードウェア(モノ)に対する知識が少ない。
大量生産のモノの質も上がり、「安かろう悪かろう」が、「安かろうまぁまだろう」になりつつある。
では、現代を生きる我々はどのように「目利き」をすべきなのか。

その目利きとなる軸を一度考えたい。
その軸は、いくつかのレイヤーで考えられる。
例えば、国家・企業・個人で分けると以下のように分けられる。
国家:ルールを変える炭素税のように政府が主導すること
企業:寄付や慈善活動だけでない、本業での社会貢献を追求すること
個人:生産者の顔が見える衣食住で満たす生活
ただ、これらはどこかのレイヤーだけで「目利き」をするだけでは、到底残すべきモノを決めることはできない。
社会全体を一体と捉え、連動した意思決定を積み重ねていく必要がある。
それが、残るべきものが残る世界に繋がるのではないだろうか。
そう考えると、シニア世代が培ってきた「目利き」の技術は、確実に継承していくべき「文化的価値のモノサシ」でもある。

私は「目利き」の一つに、「おばあちゃんの知恵袋」のように、文化的価値を継承していくシステムを創っていくべきだと感じる。
それは市民大学のように、誰もが先生となり、生徒となれるそんなシステム。昨年10月から、東京の日本橋に店を構えたがあのような街で誰もが生徒になれ、先生になれるような街づくりが出来れば、これからの人口減少社会において素晴らしい先行事例になるのではないか。
そんな期待も持ってこのアイデアを私なりの解決案としたい。

終わりに

正月早々、かなり重めのnoteとなりました笑
アトツギであり、サステナブルD2Cといわれるカテゴリのスタートアップを運営している身でもあり、
昨年1年でかなり自分の世界を広げていただいたと感じています。
だからこそ、このnoteでは、感じていた違和感や危機感を乱文でも書ききってやろうと思いました。
もしいいねと思ってくれた方は、是非「残すべきものが残る世界」について議論しましょう。
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