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取締役として経営に関わりながらも、開発現場を離れないエンジニア。その理由とは?

株式会社アンチパターン採用広報担当です。今回のストーリーでは、ソフトウェアエンジニアとして第一線で活躍しながらも、株式会社アンチパターンの取締役を務めるメンバーをご紹介させていただきます。

小谷さんの自己紹介(写真左)
株式会社アンチパターン 取締役兼ソフトウェアエンジニア


14歳の時にソフトウェアに魅了され、16歳でPCを自作。卒業後は、北海道の実家が営む昆布漁を受け継ぐために、昆布漁師としてキャリアをスタート。しかし、朝の早さと海の寒さに絶望し、迷わずエンジニアへ転身。エンジニアとしてキャリアをスタートした後は、証券会社や官公庁向けのアプリケーションの開発、詳細設計から結合テストを担当し、国税庁の基本設計にも従事。

大手SIerにてネットワークの構築および設定変更の対応、サーバの仮想化基盤の構築運用、大手クライアント複数社に向けて倉庫管理システムパッケージの導入支援、HP-UX環境でのインフラを要件定義から総合テストまで一気通貫で担当。2017年1月に知人の紹介で株式会社イノベーションへ転職、小笹や信田と出会う。イノベーションでは自社メディアの新規機能の開発、シニアメンバーとして若手エンジニアの教育を担当。またSRE(AWS,Azure,GCP)として、ITGCに準拠するためのシステム改修を実施、クラウド上で100台を超えるインスタンスの運用を担当。

2019年7月株式会社アンチパターンの創業から参画、取締役に就任。
塚本さんの自己紹介(写真右)
株式会社アンチパターン 取締役兼ソフトウェアエンジニア

理工学部出身、プログラミングは大学で習得。大学卒業後は、一度函館の実家に戻るものの、再度上京しエンジニアとしてキャリアをスタート。ASP版グループウエア、厚生労働省、国税庁等でアプリケーション開発を担当、チームリーダとしてマネジメントにも従事。現場主義のため、マネジメントの傍ら様々な言語に触れプログラミングを行う。小谷とは前職で出会い、様々なクライアントのプロジェクトをともに担当。多数の炎上プロジェクトにも遭遇し、炎上の原因追究、リカバリーも成し遂げる。


2017年夏、知人の紹介で株式会社イノベーションへ参画。SaaS開発を担当、1人で現行システム分析やドキュメントの存在しないシステムに対して基本設計書を作成。また、PM兼バッチアプリの開発担当として、新フレームワークにおけるアーキテクチャの設計、開発プロジェクトの計画策定、DBマルチテントデータの再構築などを担当する。

2019年7月株式会社アンチパターンの創業から小笹、信田、そして小谷とともに参画。取締役に就任。

『北海道函館出身』『エンジニアになるために上京』という共通点を持つふたりが出会うまで

_まず、小谷さんへお伺いします。ソフトウェアエンジニアになるまでについて教えていただけますか。

小谷さん:はい。私は、中学生の頃からコンピューターが好きでした。初めて両親にPCを買ってもらった時、最初は特に何もせず、ただ眺めているだけでワクワクしていました。

(コンピューター。それは、小谷さんにとってオブジェのようなものだったのですね。)

小谷さん:そうですね。PCを眺めていることに満足した私は、徐々にゲームやインターネットを楽しむようになりました。しかし、いつからかグラフィックの性能がとても気になりだして、、、(笑)。その時『自分で改善できないかな?』と思いつき、気がついた頃には、電気屋さんで必要な部品を買い揃えてPCを自作していました。確か高校生の時だったと思います。

(高校生で、PCを自作!?それでは、卒業後はそのままエンジニアさんへ??)

小谷さん:いいえ。実は私の両親は、北海道で昆布漁を営んでいます。子供の頃から『将来は函館で昆布漁師になる!』と思い込んでいましたので、卒業後はエンジニアではなく、昆布漁師になりました。

(昆布漁師!小谷さんからそのような面影を感じないので、全く想像ができないです。)

小谷さん:ただ、昆布漁師の現実は、本当に厳しかったです。私は、昆布漁師なのに海の寒さに耐えられず、心がすぐに折れてしまったんですよね(笑)

(そうだったのですね、、、。私も雪国出身ですが、北海道の寒さ、ましてや早朝の海ともなれば寒さは別格な気がします。。。)

小谷さん:そうですね。我慢ができなくなった私は、両親と話し合いをしました。昆布漁師は、自営業だったため、私が辞めたいと伝えると、両親はどう思うだろうか?と、最初は少し気になりましたが、両親からは『好きなことをして生きるように。』と背中を押してもらいました。そして、家業から転職することに。初めて『北海道の海、以外の世界』に目を向けましたね

(家業からのご転職は、迷いや知らないことも多く、ドキドキしませんでしたか?)

小谷さん:それが、そんなことも無かったんですよ(笑)。改めて『自分の好きなことは何だろうか?』と深く考える間も無く、上京してシステム開発会社の選考を受けていました。すぐに新しい仕事が決まり、給料をもらいながら情報処理の勉強をすることになりました。北海道を離れ、新しい仕事や東京の環境、ソフトウェアの世界に夢中になっていましたね。

(小谷さんは、学生の頃からPCを自作するなど、元々システムやプログラムにご興味がおありだったのですね。)

小谷さん:そうですね。今、そのように言われて振り返りましたが、当時の私は、エンジニアになる以外の選択肢が無かったんだと思います。『エンジニアなろう!』という意気込みとかも特になく(笑)、、、選んだ道が、たまたまエンジニアだったって感じですね。

(数ある選択肢の中から、自然体で選んだ道がエンジニアさん!憧れる一言です。)

北海道の家業から、東京でソフトウェアの世界に飛び込んだ小谷さん

_小谷さんと同じ函館で生まれ育った塚本さんのキャリアについて教えてください。

塚本さん:はい。私は大学が理工学部でした。でも、すぐに就職をすることもなく、大学を卒業した後はフリーターをしていましたね。当時の私は、『仕事』や『働く』ことについて色々考えていました。
考えていく中で、仕事は『自分のやりたいことをやりたい!』『やるからには、本気で楽しみたい!』という想いが次第に強くなり、大学の授業で学んだ機械精密やプログラミングを活かせる仕事に就きたいと思うようになりました。

(塚本さんも、エンジニアさんになるために上京されたのですか?)

塚本さん:はい、おっしゃる通りです。当時、函館にはエンジニアという職業が無かったんですよね。なので、私も函館から上京してシステム開発会社に就職しました。1社目の会社は、手広くクライアントの案件を請け負っている会社だったので、様々な業界の開発を経験しました。小谷さんと出会ったのはそれから数年後の転職先でしたね。

小谷さん:そうですね、1社目から転職した大手SIerで塚本さんと出会いました。金融や行政、官公庁などの案件を担当する中で、塚本さんとプロジェクトへ入ることが増えてきて、一緒に仕事をするようになりました。

(なるほど。もう何年も前からお二人はお仕事をご一緒されていたのですか?)

塚本さん:通算13年ですね(笑)。様々なクライアントのプロジェクトを小谷さんと共にする中で、炎上プロジェクトにも多数遭遇しました。その都度、プロジェクトが炎上した原因追究から、リカバリーまでを一緒にやってきましたね。クライアントから、ありがとうと言われることがあってもクレームがきたことはないです。

(それはとてもかっこいい・・・ビジネスパーソンとして、憧れる生き方です。)

現場主義で『生涯現役』がモットー。問題プロジェクトを救う凄腕エンジニアの塚本さん

顧客の課題解決の”手段”はいつも『現場』だった。数々のプロジェクトを共に乗り越えて気づいたこと。

_小谷さん・塚本さん、お二人の印象に残る当時のエピソードを教えていただけますか?

小谷さん:はい。当時、私たちを含めそれぞれ強みが異なった4名のプロジェクトメンバーで動いていました。先ほど、塚本さんから"炎上"という言葉がありましたが、開発を一部海外へ委託している会社だったのですが、お客様に出せる状態ではないものが、海外からデリバリーされることも多々ありました。そのようなつらみな場面でも、私たちはそれぞれの強みを生かして、プロジェクトを成功へ導くために試行錯誤し、乗り越えてきました。何度乗り越えてきたのかはもう数えきれないですね(笑)。

“不可能を可能にする技術を持つエンジニアさん”ならではのかっこよさですね!)

塚本さん:まぁ、なんとかやってましたね(笑)。でも、刺激的で楽しかったです。私は、プロジェクトが成功するか、失敗に終わるか、その岐路はいつも現場にあると思っています。クライアントのアイディアや課題に感じていることを、ソフトウェアの視点から検証し、社会へ実装する。それは、どんなにつらみな場面でも、クライアントの目先の問題に対して、テクノロジーの可能性を"エンジニアである私たち"が信じて、新しい視点の解決策をこれからも提供していきたいと考えています。

PC一台で私たちの社会を変え、生活を豊かにしてくれるエンジニアさん。良い面だけではなく、お二人は困難な状況も乗り越えてきた同志なのですね。)


小谷さん:そうですね。それもあってなのか、次の転職先も一緒でしたね(笑)。私たちの師匠のような存在のエンジニアがいてその方に誘ってもらいました。

(代表の小笹さんが、新卒からエンジニアとして働いていたイノベーション社ですね。)

塚本さん:そうです。実は、当初イノベーションが何をやっている会社なのか、私はよく知りませんでした(笑)。ただ、誘ってくれた方からイノベーションの話を聞いた時は、自社の開発組織をこれから発展させていくという内容だったので、単純に『面白そうだな』と思いましたね。あとは、働いている人が良かったので、イノベーションへのジョインは早々に決意しました。

小谷さん:私も決断は早かったですね。過去にエンジニアとしてのキャリアを一緒に考えてくれて、自分の可能性を広げてくれた方からの誘いだったので、特に迷わなかったですね。

(お二人のお話を聞いていると、働きたい仲間の存在が先にあって、そこに『会社』という箱があるように感じています。)

小谷さん:そうかもしれないですね。そこで言うと、アンチパターンもそうです。エンジニアとして成長し続けたいメンバーや、エンジニアにとって良い社会を作りたいという、同じ志を持つ仲間が集まっているので、一緒に働いていて楽しいですね。アンチパターンに参画した理由も『ヒト』ですね。

私たちがこれから目指す世界は、ソフトウェアエンジニアを続けながら、取締役を務めることに意味がある。

_ソフトウェアエンジニアによる、ソフトウェアエンジニアのための会社。小谷さん、塚本さんが現在、取り組んでいることを教えていただけますか?

小谷さん:はい。直近は、エンジニアの人口を増やすことに注力していきたいですね。私は、決してエンジニアとしてスタープレイヤーではないので(笑)、現場からエンジニアをサポートをしたいと考えています。

せっかくエンジニアさんになったのに、辞めてしまう方もいらっしゃいますよね。)

小谷さん:そうですね。私は、現場に入ってエンジニアのSOSを早めにキャッチアップしたいと考えています。エンジニアは『一生、学び続けるもの』だと思うのでエンジニアの学習のサポートにも入り、エンジニアの質の向上にも取り組んで行く予定です。

私は、最終的に人や組織が動くのはボトムアップだと思っています。これからも現場を離れず、いかにエンジニアにとって良い会社にしていくか、ということを考えていきたいと思います。

エンジニアと経営、それぞれの立場の視点を持って会社を創る。とても本質的ですね。

塚本さん:アンチパターンは、メンバーのトライアンドエラーを全員が応援・サポートしてくれる会社。たとえ失敗をしたとしても、原因を深掘り、次の機会へ活かすことで十分リスタートができる。私たちは、失敗自体は恐れるものや、無駄なものではないと考えており、行動指針にもある「Don’t be Afraid of Challenges」にその意味が込められています。

失敗を正しく取り扱う。アンチパターンという社名にもそのような想いが込められていますよね。


_小谷さん、塚本さん今日はありがとうございました。最後にWantedlyの読者の方へメッセージをお願いします!

小谷さん:はい。私は、経営側だけではなく、実際の現場でエンジニアをサポートしています。失敗しても最後まで頑張れるエンジニア、現状打破の経験を『人生の糧』にしたいというエンジニアを増やしていいきたいと思っています。
また、僕自身のキャリアから言えることですが、『今はバックエンドだけれど、インフラに少し興味がある!』『いまの環境で新しい技術の勉強ができない!』というエンジニアには、ぜひチャンスをお渡ししたいと考えているので一度お話しましょう!

塚本さん:エンジニアとして成長に貪欲な方、仲間に背中を預け合いながら挑戦したい方は、ぜひエントリーしてください。私たちがいま、何をやろうとしているか、エンジニアにとってどのような社会を実現しようとしているかなど、アンチパターンの考えをお話させていただければと思います。


◆広報担当より◆
読者の皆さま、最後までお読みいただきありがとうございました。次回のインタビューでは、【日本のソフトウェアエンジニアを憧れの職業にする】というミッションを掲げるアンチパターン代表小笹さんへ、「なぜそれをやるのか?」「アンチパターンの目指す世界」についてお話をお聞きしご紹介させていただきます。
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