1
/
5

松下の社会人人生を振り返る~前篇/株式会社Cloud Soft #20

Photo by Brett Jordan on Unsplash

皆様、こんにちは!

株式会社Cloud Softの松下です。
クラウドソフトの情報を色々とご紹介するストーリーの第20回目となります。

と、通常ならそうなるはずでした。が、最初にお伝えしておきます!
今回は会社紹介要素は1割も無いです!ごめんなさい!
そして、過去最長です。だのに文字しかないです。ごめんなさい…

今回はストーリーでの20回目の投稿となります。(前後篇が一度あるから厳密には21だけど…)
記念すべき…と言う訳でもないのですが、キリの良い数字であることは確かです。
加えて、私がクラウドソフトに入社して丁度1年ほどが経過しました。
そんな訳でなんかタイミングも良いし、ここいらで自分の現在位置やこれまでの社会人人生を振り返っても良いのではと思い立ちました。

「そんなん自分の頭の中でやれや!」というご指摘はごもっとも。私自身そう思います。本当に。
ただ、たかだか35年程度の人生。その内の10数年ほどの社会人期間ですが割と色々あったんです。
私の人生は(もう折り返しを過ぎていると思ってますが)まだ続いていきます。
だからこそ、これからも先へ向かって歩いていくために、改めて過去の整理とアウトプットをしておきたいなと思ったのです。
それをこの場でやるのはどうなのかというご指摘はごもっとも。返す言葉がございません。本当に。

今回のストーリーは過去最長となります。が、伝えたいメッセージ云々なんて野暮なことは言いません。
見方によっては「失敗してもなんとかなる」みたいな美談となるかもですが、そう捉えてほしいわけではありません。むしろ、私の性格的には「こいつアホだw」と笑ってもらえれば本望です。

相も変わらず長い前置きはここいらにして、それでは本編スタートです…!

序章:クラウドソフトでの現在

改めまして、私、松下がクラウドソフトに入社したのは2022年7月。
当記事を書いているのが2023年8月なので、約1年が経ったわけですね。

正直、激動と言いますか、ものすごい密度の1年でした。
密度が濃すぎて全部を覚えているような、逆に覚えていないような…
ちなみに、昨日の晩御飯に何を食べたかも思い出せません。飲んでたことしかわかんない。

業務内容については後篇で触れるとして、ここでは普段はあまりしないポジション的な話です。

現在の担当業務としては営業の責任者と人事・採用担当がメインです。
その他、各種企画とか事務的なことも色々やってますが、メインは上記です。そのはず。

で、社内の役職的には「リーダー」を拝命しております。力足らずは重々承知していますが。
「宴会部長」とかだったら適任ではないかと思います。そんな役職はない?マジかぁ…

そして、社外的には「事業責任者」という位置づけになります。もうこれわかんねぇな。

正直、思うことは色々あります。色々ありすぎて分裂しそうです。
それでも、一番に思っていることがあります。
1年間、脇目も振らずやってきて良かったなと。そうできる環境に身を置けて良かったなと。

これから書いていきますが、私の社会人としてのステータスともいえる職務経歴書はズタボロです。
仮にトラックに轢かれて異世界転生しても開始5秒でゲームオーバーになると自己分析してます。
そんな私が、一定の評価をいただけていることに感謝しかありません。

と、言うのが私の現在位置です。長くなりましたがここからが本番です。
今現在はクラウドソフトでこのようなポジションにいる私が過去の社会人生活でどうだったかを、経験してきた5社分+アルファ、すべて書いていきたいと思います!
結構重い話もあるかもですが、よろしければお付き合いくださいませ。

本編突入前にアナウンス

次のチャプターから1社ずつ過去の職歴を説明していくわけですが、その前にアナウンスです。

今回のストーリーはあくまでも松下個人の振り返りであり、過去に在籍していた会社や関係者の方々を悪し様に伝える意図は全くもってございません。事実のみを書いてます。

勿論、思うところが全くないのかと言えば嘘になります。そこまで聖人ではあれない。
ですが同時に、誰にとっても過ぎた話でしかないので、攻撃的なことを書いても意味がないです。
当時感じた怒りや悲しみはすべて私だけのものであり、それを伝播する意味はないと考えます。

当然、会社名や個人名は一切出しませんが、不満を吐き出す意図がないことはあらかじめご了承くださいませ。もちろん、そう受け取られないような書き方となるよう尽力します。
あくまで私個人の主観に基づくものであると、ご理解いただけましたら幸いです。

1社目:営業職 ※在籍期間4年10ヶ月

新卒で入社した会社です。
色々な場所でお話ししていますが、アニメやゲームなどエンタメ業界の会社でした。
学生自体は典型的な「THE・オタク」だった私が「趣味を仕事にしたい」と考え就職した会社です。
…実際は就活が面倒だったので名前の知ってる会社を受けただけなんですけどね💦
(就活~入社前のエピソードも違う機会に書いてみたいものです。無駄にドラマがあると思ってますw)

お仕事内容としては日本全国に点在する取引先へ商品を卸す(営業する)ことがメインです。
その他にも商品やフェアの企画、在庫管理や売場作りなどもでしょうか。この頃から色々やってんな…

ずばり、社会人としての私の核となる部分が作られたのは間違いなくこの会社です。
マンツーマンで見てくださった上司の方と相性が良かったのか、その方からいろいろ学びました。
「仕事は盗むもの」「自身の営業手法を確立させろ」みたいな話はよく聞きますが、私は上司の考え方や仕事の進め方が自身の性格にも非常にマッチしていたのか、そこに苦労はしませんでした。

そういった背景や上司の顔が広かったこともあってか、1年目から特に社外・取引先からは良い評価をいただけていました。
多くの方のおかげで売上を伸ばせたこともあり、社内(グループ合計で500名ほど)の表彰式で新人賞、翌年には2階級昇進して主任へ(殉職してないです)。3年目はグループで優秀賞をとり係長へ昇進しました。(毎日のように終電逃すまで飲んでタクシーで帰るというアホコンボを決めた結果、お金は全く貯まりませんでしたが…💦)

多少は業界内でも顔を知ってもらえたのか、ライブイベント等にご招待いただく機会なども増え、まさに絶頂期だったと思います。はっきり天狗でした。今思い返しても恥ずかしいほどに。

栄枯衰退。当たり前ですが、そんな時間は長く続きませんでした。
さる事情によりお世話になっていた上司の方が退職され、ポジション的に私が営業のトップとなりました。27歳の時でしょうか。ここからはまぁ見事に転落していきます。我ながらざまぁないです。

転落の最大の理由は、「余裕がないにもかかわらず外に対しては良い顔をする→タスクを勝手に抱え込み、そのストレスや怒りを抑えられず社内で出してしまう→社内から反感を買う」というムーブをかましたためです。俗にいう、社内営業を怠ったというやつです。うーん、未熟!w

当然、会社に居場所がなくなります。
そんな状況が続いたとき、先に音をあげるのは疲弊した心・精神です。
明言するのは初めてに近いですが、2015年11月に「うつ状態」になって私は休職しました。
そして、そのまま現場へ復帰することなく2016年1月に退職したのでした。合掌…

まぁ、自業自得ですね。私が今以上に未熟な餓鬼だったというだけの話です。
「どうしてこうなってしまったのか」という問いに対して、私なりの理由や回答はあるのですが、それを差し置いても私の行動が酷過ぎただけです。救えないね。

自身の反省点以外で残念だったのは、退職にあたってお世話になった方々へ碌な挨拶もできなかったことです。今でも申し訳なく思っています。
相手には迷惑でしかなく、私の自己満足かもしれませんが、それでもと。

そんな形で終わりを告げた1社目でした。
改めて2023年の今になって振り返ると、自身の未熟さには反吐が出ますが、それ以上に良い経験ができたと感謝しています。47都道府県を制覇したりね。
お陰様で退職した後もお付き合いのある方もいらっしゃいますし、私のしてきたことの全部が全部間違いではなかったのかなと。

個人的に、自分がプロデューサーとなって新規IPを0から立ち上げたのが特に印象に残ってます。
イラストレーターさんの選定やキャラクター設定を作ったり、HP内に小説を書いたり…。
自分たちで生み出したキャラクターへ声優さんが命を吹き込んでくれた瞬間は本当に感動しました。
私の陳腐なセリフを言わせてしまったことに顔から火が出そうでしたが、これも良い経験です^^

こんなところで1社目のお話と前篇は終了です。
ここまでで3,600字ほどですか…大丈夫!あと4社もあります!もっと書けるね!

中篇へ続く

同じタグの記事
今週のランキング