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努力を続けたらそれを凌駕するものが生まれた話

株式会社リアライズの佐藤です。今日は創業ヒストリー第7話の紹介です。

少しずつリアライズとしての活動がお仕事という感覚に変わっていった頃のお話です。

”月2万円稼ぎたい”から次の目標へと変わった

奥さんは時給の良いバイトをしていた訳ではありませんが、それでも月に13万円程度のお金は稼いでいましたし、元々月に2万くらい副業で稼げたらという感覚だったところからハードルは一気にあがり、月に13万円程度の利益を立ち上げたばかりの缶バッジ製作の商売で稼げないと今までよりも世帯収入が下がってしまうようになってしまいました。

手伝ってくれて助かるよ。

なんて言いながらもちろんプレッシャーは増していました。
その時点ではまだ月の7万円程度の売上を達成して喜んでいた程度でしたから。

ただこれで製作手は確保できたわけですから、とにかく注文をとってくることに集中しようという気持ちになれたことは前進だったかもしれません。

もとの「毎月2万円稼ぎたい」から家内がバイトで得ていた13万円くらいを稼がなくてはいけない状況になりました。

事業開始から半年経って、最初の目標チェンジになりました。

この目標チェンジですが、13万円稼げないと生活できないということは、以前の日記に書いたようにやらざるを得ない状況にはからずもなっていた訳です。

だからこそプレッシャーもあり、より頑張ろういや頑張るしかないという気持ちになれた、とてもよい形での目標チェンジだったと今では思います。

高い目標でも意欲的でいられたもうひとつの理由

そして、今までよりも高くなった目標に対して物おじせずに前向きにやってやろうという気持ちになれたことにはもうひとつ理由があったと今では思います。
前にも書いたことがありますが、バンド時代、自分ではいつでも満塁ホームランを打ってるつもりなのに見る人によってはずっと三振をしてる、こんな状況だったんですよね。

親族からも「いい加減現実を見つめなさい」と言われ続けていましたし、友達にも「あいつもいつまでこのままでいるつもりなのかねぇ」って影で言われていました。

どうして評価してもらえないんだってずっと思っていて、いつも悔しかった。いつもイライラしていました。

そういうことをずっと経験してきた自分からすると、お金をもらって製作をしてるのに納品後に「ありがとう」と言ってもらえるという出来事は、

まさに革命的な大事件でした。

商売をしてるとそこまで珍しくないことなのかもしれませんがとにかく当時世間からまったく相手にされていないような世の中に必要とされていないんじゃないかと錯覚を覚えるようなことが多かった自分にとっては新鮮で刺激的でうれしいことの連続のこの商売に費やす時間などのその時の状況は自己重要感をとても満たしてくれていたんだと思います。

後に読んだ本ですが、成果を出す為のコミュニケーションと人間心理について書かれたデールカーネギーの「人を動かす」という著書の中にこのような言葉があります。

「人は誰でも他人より何らかの点で優れていると思っている。だから、相手の心を確実に手に入れる方法は、相手が相手なりの世界で重要な人物であることを率直に認め、そのことをうまく相手に悟らせることである」

これは人のマネジメントに対するアドバイスですが、自分がゼロから始めた事業で人から感謝されている、という事実そのものが自分が重要な人物であるという感覚をかなり高めてくれました。
そしてこの自己重要感というものが、イラストのことも営業も何もわからないこんな自分でも前向きに頑張ろうと思う為にとても良い影響を与えてくれていたと思います。

やらざるを得ない状況と自己重要感を持って努力することが”熱狂”を生んだ

睡眠時間を削ってのめり込み、注文につながるかもしれないようなことはどんなに細かいことでも面倒なことでも寝ないで挑戦しました。
WEBサイトのことも猛烈に勉強しました。
※この頃の自主勉強のおかげで今でも自分で簡単なコーディングはします。

前回の日記「何かのチャンピオンを目指せよ」にも書いていたように、言葉遣いやビジネスマナー・技術も知識もないけどお客様の要望を真摯に受けめる、お客様に対しての優しさと価格に関しては絶対に日本一だという自負があったので、宣伝することに対する遠慮はまったくといっていいほどなく、自信をもって自分のつくったサービスを多くの場でおすすめしていました。

今思うとなかなかの努力だったなと思います。
バイト、問合せ対応、WEBやデザインソフトの勉強、実際のコーディング、ネット掲示板での宣伝、企業への営業FAX送信、印刷・製作、土日はライブ、そんな生活になっていきました。

やらざるを得ないという危機感と自己重要感に後押しをされ努力を重ねていくと、努力を超えて違った感情が生まれてきて、その状況を辛いとは感じなくなっていました。
気付くと毎日その時の状況に興奮していました。

毎日WEBサイトのことに詳しくなっていく、PHOTOSHOPやIllustratorを扱えるようになっていくことに、日々勉強してお客様の質問に答えられるようになっていく自分の様に、自分なんかの始めた事業が普通にお金になっていること、「もう仕事って言ってもいいレベルなんじゃないかな」なんて思ったり、何よりお客様にありがとうと言ってもらえることに、とても興奮していました。

熱中というよりも「熱狂」と言える感覚で努力し注文が増えることが楽しくて仕方がなかった。

本当に真面目にど真剣に自分の起こした事業と向き合えていました。

熱狂は努力を凌駕する

この頃はもちろん自分の状況を冷静に見つめるなんてことはして
いませんでしたが、振り返って状況を分析すると、

やらざるを得ない状況と自己の重要感を満たしてくれる環境が努力を継続させ、熱狂を生み、努力を凌駕した。

このように言えると思います。

やらざるを得ない状況+自己重要感+努力⇒”熱狂”

大抵の場合努力はある程度の辛さを伴うものですが、熱狂している状態だと努力を努力と感じない。
幸運にもこのような状況になれていました。

その甲斐があって注文は徐々に増えていき、さらには少しでも浮いたお金は全て新しい整作機材の購入費用となっていきました。

機材などの環境を充実させていくことで受け皿が広がり2009年8月には奥さんがもともと稼いでいたバイト代を超す収入(13万円くらい)を得られるようになりました。

開業から8ヵ月ほど経過した頃、当初は”できたらいいな”くらいの感覚で、

月に2万円稼ぎたい!

このような始まりだったこと、高卒のバンドマン、まあチンピラのようだった僕がお金もコネも技術も知識も野望も何もなく自分の力で月に13万円程度ですが稼げるようになれたことは、ちょっとした偶然が重なって”熱狂”が生まれ、さらにその”熱狂”が生み出した奇跡ようだと今でも感じています。

このようにして僕はどんどん商売というものにのめり込んでいきました。

この頃が、自分がなんとなく始めた事業が「お小遣い稼ぎ」から「仕事」と呼べるものに、成果も自分の中の意識も変わっていった頃だったと言えると思います。

そしてさらにここからは、ここまでの忙しく努力したなんてのがかすむくらいに過酷に、苛烈に仕事に没頭する日々となっていきます。

またそれは次回の更新で!

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