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将来は、いなかに帰っても、東京で続けても、飲食店経営で成功できる実力が身に付きます。

「ネリマノたく庵」店長

髙橋 拓也さん(32歳)

高校卒業後に山形から上京。東京都内で寿司店、割烹を展開する会社に就職したことがきっかけで、飲食業界でのキャリアをスタートさせた髙橋さん。Bar、ケータリングの業態も経験。あっさり串揚げが看板メニューの「ネリマノたく庵」がオープンしたばかりの頃、アルバイト募集の貼り紙を見たことがきっかけで無量壽の一員に。あれから10年。現在は店長を任せられています。

高校を卒業して山形から上京

――東京に出ようと思ったのはなぜですか?

地元には仕事がない。そう感じたからです。通っていた高校に求人募集がきていたので、その会社に就職して東京に出てきました。

――飲食のお仕事には興味があったのでしょうか。

飲食店を経営している親せきが多かったので馴染みはありました。しかし、高校は普通科でしたし、調理の勉強をしたことはなく、仕事するまで包丁をろくにさわったこともありませんでした。

――就職した会社には、どのくらい勤められたのでしょう。

4年ほどです。同族経営の会社で、上を目指せない。がんばっても報われることがない。はたらいていて、そう感じるようになりました。上下関係はきびしく、労働環境も悪い。四谷、西荻窪、東十条、いろんな場所での勤務を経験させてもらいましたが、日本橋のお店を最後に退職しました。

――辞めたあとはどういったことを?

会社の先輩が立ち上げた会社でBarをやったり、ケータリングの事業を手がけたり。期間としては1年ちょっとですね。

――無量壽に入社したのは、どのようなきっかけから?

練馬に引っ越してきて、「ネリマノたく庵」の前を偶然通りかかったら、オープンしてまだ2~3日で、アルバイト募集の貼り紙が出ていたのです。ケータリングの仕事をやっていたものの、それだけでは収入が心許なく、生活の足しにするためにはじめました。

――アルバイトとしてはたらきはじめて、社員になり、10年続いている。それはなぜだと思いますか?

簡単に言えば、仕事する意識が変わったのだと思います。それまでにはたらいていた店では、売上くらいは見られますが、経営に関する、それ以上のことはほとんど何も教えてもらえず、深く知ることができませんでした。仕事への向き合い方としても、与えられた役割をこなすことだけを求められていました。それがこの会社では、すべてを明かしてくれて、現場のスタッフに経営を任せてくれる。そこにやりがいを感じて社員になり、今に至ります。

この会社に入って結婚。家庭を築いています

――これまでに経験されてない業態でしたが、すぐに慣れることができましたか?

調理経験があったからでしょうが、まったく問題はありませんでした。ただしオープンキッチンではたらくのははじめて。接客の経験はなかったので、最初に少しだけ戸惑いました。その程度ですね。料理は最初の会社で和食の経験があるだけでなく、Barでパスタやピザなどの軽食を出していましたし、創作メニューの開発を含めて、すんなり対応できました。

――はたらいていて、どういった手応えを感じていますか。

やって結果を出せば、きちんと給料が上がります。ですから、どんな料理を出せば、お客様に喜んでいただけるか、競合店もたくさんあるなかで、どうやったら選ばれ、足を運んでいただけるか、工夫することが必要。考える力がつきます。はたらいていて、飲食店を経営するトータルスキルが磨かれる手応えがありますね。

――もし、いなかの飲食店ではたらいているとしたら、どうでしょう。

人口が少なく、しかも減っていく一方。お客様を取り合う競争はあるでしょうが、知り合いが常連客の中心だったりして、なあなあな感じで商売することになってしまうかもしれませんね。今のような、たくさんの競争相手がいるなかで選ばれる店をつくっていくこととは違っていて、刺激がなく、面白みを感じられない気がします。

――ゆくゆくは地元に戻ってお店を開いたりするつもりはないのでしょうか。

今のところ、その気はありません。この会社の社員になってから、結婚して、東京で家庭も築いていますから。ただ、いずれいなかに帰って店を出すことになったとしても、この会社で身に付けられた飲食店経営のスキルは、間違いなく役立つでしょう。日本全国のどこでも通用する店づくりのノウハウが学べるため、いずれ自分の店を持って、成功したい夢があるのなら、上京して、この会社ではたらくのが良いと思います。

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