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【高校サッカー選手権】から学ぶ勝負に対峙する執念/潔さと本質を捉えた育成メソッド

毎年冬は、旧年と新年を跨ぐ【高校サッカー選手権】を 自分の感度を試すバロメーターとして観戦分析しています

今年は、その全国選手権の県代表の監督として 当時の大阪トレセンの仲間(同級生)が出場し

全国の場で、オリジナルの感性を活かした魅力あるサッカーを展開していました

上位を占めた学校も高い割合で独自のブランドや育成メソッドを兼ね備えていたと思います

私の高校時代は、【勝ち切る強さを軸としたフィジカルや戦術 > 勝負への美しさ】

が先行していたかと思います(特に当時の大阪・神奈川などの激戦区では、連戦が続くので技術だけでは勝ちきれなかったので)

今の時代も、上達への気持ちや想いはベースとして同じですが、

勝つ事や巧くなる事へのアプローチや表現が多様化されて個性が凄く伸びてきたような気がします

背景の一つとして

IT化が進み、高校年代でも欧州や南米のトップリーグの試合をいつでも観れるようになり、

日本でもプロ化が進み、監督コーチの育成スキルも洗練されてきた事で目指すゴールの視座が高くなった事もあると思います

しかしながら、ヨハンクライフのようなサッカーに対する倫理観や哲学、それを美しさで魅了できるような可能性を期待させる候補選手の輩出はまだ少ないような気がします

ペレやプラティニも、きっといつまで経っても巧いでしょうし、自分で考え実行してきた歳月がサッカー紳士としてのムードを醸成してるのだと思います

もしかすると、これはトレードオフなのかもしれません 

時代が豊かになり、欲しい情報に容易く辿り着ける事によって 自分で思考する作業が減り本質への理解が下がってくる

先代のサッカー選手は 戦術眼やテクニック・センスをサッカー以外の日々の生活から無意識に身につけて独自の原理原則を掴んだような気がします だから常に相手の逆さをとることができた

現代サッカーで、頭一つ抜け出す為には、先人だけでなく既成概念を超えて 他スポーツや色々な文化に触れる機会が必要ではないかと推測します

温故知新の例えの通り、どっちも重要なんだと思います

古きを求め新しきを学ぶ 守破離の工程を通して自分というものを識る

多様性の観点でいうと、当時の大阪トレセンではセンスが高くサッカーを知り尽くした選手ほどサッカー以外の道を選んだケースを目の当たりにしてきました

器用なので、敢えて一つの領域に固執しなかったのか 楽しいサッカーをずっとやる為に決断したのか

巧いがゆえに自分の限界を早くに悟っていたのか・・

でも、この選択も個人の自由だと思います

熱量を賭けて挑んできた人達は結果ではなく、プロセスで大きな学びを得て

それぞれに素敵な人生を歩んでいくんだと確信しています

何を目指すかは各々の意思で決めていくべきで、自分の個性をどの領域で活すか、

その為に今何をすべきか・・

このテーマに全力で挑んでいきたいです

"トレセンのミッションは、感覚とテクノロジーの融合で新たな未来を創る"

"事業領域は スポーツ×テクノロジー"

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