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125万の宣伝費で依頼が殺到!? 香川県の水槽メーカーが世界一の企業になるまで

水族館大国・日本の地方にある、世界一の水槽メーカー

日本には100以上の水族館があり、世界一の水族館大国とも言われています。

水族館の目玉と言えば、大迫力の巨大な水槽。日本でも美ら海水族館などの水槽が有名ですが、その水槽の製造技術で世界からオファーが殺到しているオンリーワン企業が香川県にあります。

その名も、日プラ株式会社。水槽用の大型アクリルパネルの設計・製造・施工を担う中小企業です。


NIPPURA CO.,LTD
子どもの頃に行った水族館で初めて観た、大きなジンベイザメ。 色とりどりの魚たちが、自分の上を泳いでいく、あのまるで海の中にいるような感覚。 それらはすべて、過去に実例がなく実現はかぎりなく難しいといわれた、夢のような話しから生まれました。 日プラは、その夢のような話しをとても大切にしてきました。そして、夢をカタチにするために惜しみなく情熱を注ぎ続けてきました。 My first glimpse of a Whale Shark in an Aquarium. Sparking schools and br
http://www.nippura.com


彼らは巨大アクリル水槽のパイオニア的存在であり、手掛けた美ら海水族館、ドバイ水族館、中国の長降海洋王国の水槽はそれぞれ「世界一の大型水槽」として、合計3回も世界ギネス記録に認定されています。

長降海洋王国の総経理が「世界中の水族館にアドバイスをもらったところ、最高の品質を求めるなら日プラにすべきだと教わった」と証言するほど、世界から賞賛されている日プラ。四国の決して大きくない会社でありながら、どうしてオンリーワンになれたのでしょうか?



巨大水槽の実現を夢見て、大手メーカーから独立

日プラの創業は1969年のこと。大手化学繊維メーカーでアクリルの製品開発に従事していた敷山哲洋さんは、地元の水族館から「魚の回遊が見られるほどの大きな水槽を作って欲しい」と依頼を受けます。ただ、当時は小さな水槽を複数展示するのが水族館の主流。技術的に難しかったため会社はその依頼を断ってしまいました。

しかし、魚の回遊が見られる巨大水槽の構想に感銘を受けた敷山さんは独立してでもチャレンジしたいと思い立ち、数人の仲間と会社を辞めて起業。私財を投じて製作に没頭します。

彼らは10分の1の模型に海水の約13倍の比重の水銀を満たして実験を繰り返し、水圧にも耐えられる厚みのアクリルパネルを開発。前職でのノウハウと加工技術をふんだんに生かし、1年後には世界初となる巨大水槽を四国高松市にある屋島山上水族館に完成させます。

まさに魚の回遊を眺められる巨大な水槽は、少なからず業界内で話題となりました。しかし、そこに勝機を嗅ぎ取った大手メーカーが参入したことにより、ほぼ無名で企業規模も小さい日プラはどんどん仕事を奪われていきます。

仕方なく大手の下請けでアクリル製の電球傘を作ることで経営を立て直しますが、重ねてオイルショックの影響でアクリルの値段が高騰し、アクリル自体の需要がどんどん低下していきました。


もう一度、巨大水槽をつくるためにアメリカへ

このままでは価格競争に追われるばかりで未来はない。実際、既に国内受注がゼロになるまで落ち込み、会社は解散寸前でした。そこで彼らは下請けから脱却し、水族館の巨大水槽に再びチャレンジすることを決意します。

国内での水槽製造の受注は既に大手が幅を利かせていて期待できなかったことから、彼らは海外に活路を見出すためアメリカへの営業を積極的に展開しました。

すると、アメリカの競合メーカーからの情報で、世界最大規模を誇るカリフォルニア州のモントレーベイ水族館が増築することを聞きつけます。競合メーカーは日プラの技術力の高さを買ってジョイントベンチャーを持ちかけてきますが、下請け構造になることを見抜いた日プラは断って単独での受注に挑戦しました。

入札には日プラのほか、日本と米国からの2社が参加。アクリルのテスト検査で他社と比べ強度で勝ちますが、米国の入札額は日プラの提示額より15%も低かったそうです。

にもかかわらず、モントレーベイ水族館は「15%は技術料だ。その技術で世界一の水槽を作ってほしい」と、日プラに発注することを決めたのです。

そして、1994年。日プラは全リソースを注ぎ込み、モントレーベイ水族館に3つの巨大水槽を完成させます。これは、彼らの主力製品となる「アクアウォール」誕生の瞬間でもありました。



たったの125万円で、世界中に日プラの名を知らしめる

この時、もう一つの重要な出来事がありました。

それは、水族館の増設工事がすべて完成し、オープニングセレモニーが開催されたときのこと。セレモニー開催費の半額125万円を敷山社長が気前よく負担すると言ったことから、気分を良くしたモントレーベイ水族館の館長が、セレモニーの挨拶で日プラを名指しで絶賛します。

世界中から集まっていた大勢の水族館関係者やマスコミに名前が知れ渡ったことで、これを機にヨーロッパを中心とする世界各国からの依頼が殺到。世界60ヵ国に事業を展開し、この分野における世界シェアの7割を占めるまでに急成長します。

世界に向けた広告宣伝費が125万で済んだと考えると、その費用対効果は凄まじいものだったと言えるでしょう。


世界の日プラが、日本の水族館を変えていく

こうして世界的な成功を収めた日プラ。その名は既に、日本の水族館業界でも知らない人はいないほどになっていました。相変わらず会社の規模は決して大きくありませんでしたが、「水槽といえば日プラ」と大手メーカーを凌ぐほどの信頼を勝ち得るようになりました。

巨大水槽の先駆けとなりギネスブックにも認定された沖縄美ら海水族館の「黒潮の海」、およそ100枚のアクリルパネルが用いられた海遊館の「太平洋」、空飛ぶペンギンで一躍有名となった旭山動物園の「ぺんぎん館」など、次々と名作を生み出していき、国内における製造実績は数百件にまで伸びました。


世界初の巨大水槽で時代を切り拓き、苦境を生き延び、グローバル戦略を成功させて、再び日本のトップランナーとなった日プラ。

どこにも負けない技術力があったとしても、国内で勝負していたら生き残れなかったかもしれません。グローバル展開に舵を切ったこと、そしてモントレーベイ水族館での敷山社長の粋な計らいがターニングポイントになったことは間違いないでしょう。

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