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苦しみ、もがいて辿り着いた。マノア・リノで見えるようになったエンジニアの未来。

彼は追い詰められていた。音楽業界を夢見て、100社の面接を受けた末、ようやく決まった会社は、自分の意志とは関係なく、1年で辞めざるを得なくなった。次の会社では、あまりの激務に2ヶ月で体を壊した。心機一転、物流業界に進むと、契約社員という立場の限界を思い知る。

30歳という年齢を目前に控え、次の職種、業界が自分にとって最後の選択肢になるだろう。もう未経験から新しいことを始めるのは難しくなる。では、なにがしたいのか、なにが向いているのか、なにができるのか。時間をかけて自分自身を見つめ直し、選んだのがシステムエンジニアの道だった。

後には引けない状態で入社したマノア・リノで、彼は間もなく入社3年を迎える。もうすぐ、ここが一番長く働いた会社になる。苦しみ、悩みながら辿り着いた今をどう感じているのか、一部の業界で有名人なるのほどの趣味と合わせ、話を聞いた。

【プロフィール】

レコーディングエンジニアを目指して、情報系の大学を卒業後、2年間専門学校へ通う。そこから音楽業界で就職活動をするものの、年齢などがネックとなり、苦戦することに。約100社を受験し、ようやく大手電機メーカーのオーサリング(音声・映像などを組み合わせ、素材を一つにまとめること)部門へ就職。しかし、会社の業績のあおりを受け、1年ほどで退社することになった。以降、映像制作で音声の仕上げの工程を担当するMAスタジオ、OA機器の営業会社、物流会社を経て、マノア・リノへ。現在はプロレス団体で社内SEを務めている。また、趣味の有名パズルゲーム(ぷよぷよ)では日本トップレベルの実力を誇るうえ、大会も多数主催。ドラムでも業界の著名人と共演するほどのスキルを持っている。


音楽で食べていきたかった

「どうしても音楽で生計を立てたい」。その想いを捨て切れず、大学卒業後に、専門学校へ再度入学し直しました。歌手の歌とピアノやギターなどの音を組み合わせて、一つのCDとしてカタチにするレコーディングエンジニアになりたかったんです。音の技術は専門性がすごく高いので、一から学び、音を録るところから編集まですべて自分が手掛けることを目指していました。

学校では真面目な学生で、一生懸命勉強しました。テストや全体の成績も、学年で3位以内に入るくらい。それだけ自分ではがんばっているつもりだったのですが、いざ就職活動をしてみると、企業からは「(大学の)4年間はなにをしていたの」という目で見られるんです。100社くらい受験して、ずっと落とされ続けて、ようやく内定をもらったのが大手電機メーカーのオーサリングを行う小さな部署でした。

テレビ番組や映画、ミュージックビデオの素材が送られてきて、それらをDVDやブルーレイなどに落とし込むのが仕事です。あとは、チャプターとかをつくり込んだりしていました。ただ、1年少しした時期に会社でつくっているある製品の不具合で、全国的に回収しなければならない事態が発生します。赤字金額も膨大で、そのあおりを受け、若手のリストラが行われて、僕も対象になりました。

迷う日々

普通のオーサリングの会社は一人が、音声も映像もすべてを担当します。でも、僕がいたところは大手企業ということもあり、縦割りの分業制でした。自分の担当は音声だけ。それだと、他に移るにあたってもつぶしが利かないですよね。ただでさえ少ないオーサリングの求人で、音声だけしかできない人間を採ってくれる会社は、なかなか見つかりませんでした。

結局、転職したのは映像のMAスタジオです。2015年あたりで、当時のその業界はブラックも良いところ…(笑)。残業は月200時間くらいで、会社に泊まり込み、トイレの蛇口でシャンプーをすることも珍しくありません。一応、定時は9時から18時なのですが、新人は朝7時のトイレ掃除から始まり、先輩の机の掃除、仕事の準備、セッティングをする。

ようやく実務がスタートし、自分の担当を終わらせても先輩より早く帰ってはいけません。「勉強するつもりがないのか」「残った時間で周りの技術を見て盗め」と言われるような環境です。泊りの前には、帰る先輩から「これを朝までに仕上げておいて」と録音テープを30本くらい渡されることもありました。

最終的に2ヶ月で体を壊し退職しました。2社を合わせて1年半くらい、技術も身に付いたわけではありませんし、もうこの業界から足を洗うしかないと、違う分野への転職を決めたんです。

まず始めたのは、オフィスにある複合機を販売・リースするOA機器の会社の営業でした。イメージがつく方も多いかもしれませんが、毎日300、400件テレアポをする仕事で、しかも法律に触れるような提案スタイルで…(笑)。そこも2ヶ月くらいで退職しました。

次に選んだのが物流会社の貿易事務です。もともとパソコン作業は得意で、前の業界にいたときから効率を上げるためにショートカットキーなど、すごく勉強していました。はじめはつなぎつもりで、3ヶ月の派遣。でも、PCスキルなどを「すごいね」と周りに持ち上げられ、契約社員になって、結局は3年間働いていました。

業界でも大手の企業で残業代も全額出たりと、ルール自体はしっかりとしていました。厳しかったのは人間関係ですね。貿易事務は輸出入関係の書類を準備するのがメイン業務で、そのために倉庫作業をする方とも接点が多くあります。

職場には現場第一の雰囲気が広がっていて、事務方は「簡単なことしかしていない」「わかってない」みたいな言葉を言われる機会も多く、気分は良くないですよね。あとは、みんなに頼りにされている、働き者の契約社員の人がいたのですが、その人は20年勤めているのに一切給料が上がっていないと聞いて…。自分もこのままだと、同じになってしまうと思い、新しい場所を探すことにしました。

後がない、最後の選択へ

当時すでに30歳近くて、もう次は職種も業界も変えられない。自分を見つめ直していろんなことを考えました。たとえば、貿易事務の専門性を追求し通関士の資格を目指すとしたら、好きな仕事でもないのに大変な勉強はできないだろうと。じゃあどうするか…。

そこで思いついたのがシステムエンジニアです。自分はパソコンが好きで、得意。知人を見ているとエンジニアは穏やかな人が多くて、馴染みやすい。仕事自体、ずっとなくならない、世の中に必要とされ続けるもので、給与も良いと聞いている。5年後、10年後、仮に家族を持っても養っていけると思えましたし、じゃあチャレンジしてみようと決意したんです。

何社か面接を受けて、実際に内定ももらえました。その中で、マノア・リノには社員紹介制度があって、それがきっかけで面接をすることに。すでに受かっている会社より良い条件を提示してもらえ、じゃあ入社しようと決めました。

パソコンが好きではあったんですが、経験はないのですぐに案件が見つかったわけではありません。1ヶ月くらいは会社が教材費を負担してくれて、家で勉強し日報を提出する毎日でした。それで最初に決まったのは、Webデザイナーの仕事です。ただ、未経験でOKのはずだったのに、調べながら作業を進める自分に、「遅い」と声が挙がって契約を切られてしまい…。そして次に決まったのが、今でも働いている有名なプロレス会社です。

クライアントの体制が代わり、思わぬ経験をすることに

「未経験で全然大丈夫ですよ」と言ってもらえて、はじめはサーバの保守やパソコン周辺のヘルプデスクなどを担当していました。いろんな問題を解消して周りの役に立っていたと思うのですが、クライアント先の代表が交代するとまったく環境が変わることに…。上場企業のグループに入った関係で新しい社長が出向してきて、「自分たちも上場するぞ」と。その影響で、僕の仕事も大きく変化しました。

まずはPマーク取得に向けた準備、次にオンプレからのクラウド化、すべてAzureに移行することになりました。データ管理もNASから変更に…。他にもWindows7のサービス終了に伴う10の導入やサーバルームの移動とか。どれも初めての経験でしたが全部を自分一人で担当したんです。それまでは「まったり働けそうだな」と思っていたので正直めんどくささは感じましたけど、その分スキル・経験は身に付けられたと思います。

初めての給料が上がる経験と、これから目指すこと

今、働いているプロレス会社の案件はマノア・リノと直接取引ではないので、自社にとって利益率が高いわけではありません。自分自身、経験がないことによる怖さは、仕事を通じて自信がつき薄れていますので次は利益の出る違うプロジェクトに行ったりしながら、収入を上げたいと思っています。

マノア・リノは本当に給料をアップさせてくれるんです。同じプロジェクトにずっといるので、会社の収入がそこまで変わったわけではないのに、約3年で月給を数万円上げてくれました。僕は長く働いた物流会社でも契約社員で、昇給の経験はなかったんです。だからすごくうれしいですし、会社が社員のことを想ってくれているのだと実感できます。転職するまでは年収200万円台くらいで、システムエンジニアの相場を考えても倍以上にするのも夢じゃない。夢を見られることは、やっぱり良いことだと思いますね。

収入は一つの目先の目標ですが何千万円欲しいというわけではなく、ゆくゆくは仕事とプライベートのバランスをうまくとりたいです。実は趣味にすごくのめり込むタイプで、4歳の頃から始めたぷよぷよでは全国でも有名なプレーヤーになっていて、大会も主催しているほど。

ひと昔前にニコニコ生放送が流行っている時期には、1000人を超える人が視聴している試合を何度も経験しました。もう一つがドラムです。お手伝いでお金をいただくこともありますし、YouTubeで何千万回再生されている方とご一緒した経験もありますね。それでチャンネル登録は400人くらいですが、自分でもYouTubeは行っています。

そういった背景もあってキャリアの最終目標は結婚し、空気がおいしくて物価の安い田舎で小さな会社の社内SEをすることです。生活するうえで十分な給料をもらい、趣味や子育ても楽しむという生活を目指しています。経験ゼロでマノア・リノに入ってようやく足場を固められたので、いつか叶えられたら良いですね。

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