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「あのときを乗り越えたから今がある」~元Jリーガー取締役・田中翔太の現在地と見据える未来~

幼いころからの夢だったJリーガーの肩書を手にした後は、すぐに競争の日々が始まった。厳しいプロの世界では所属チームが変わる事もあり、そのたびに、どうやったら試合に出られるのか、アピールを繰り返すーー。

6年後、セカンドキャリアを考えたとき、自分の“武器”の少なさを思い知る。28歳の頃だった。数ある求人サイトに登録をした中、数社の営業や接客業、ガテン系の会社からオファーを頂き、その中から求人広告の代理店の営業職を選び、朝から終電まで、毎日300件のTELアポをすることになった。

それでも、3年で数百人いる会社内で社内表彰を何度も獲得し、成績NO,1を獲得するまでになった。キャリアを確立したうえで転職。しかし、惹かれていた風土、環境がある日突然、180度変わる経験をする。

田中翔太にとって、“あの頃”は戻りたい時間ではない。でも、「あの頃があったから今がある」と言い切れる。どんな過去を積み重ねて現在地に辿り着いたのか、これからどんな未来をつくりたいのか。想いを語ってもらった。


【プロフィール】

田中 翔太(取締役)

小学3年時にサッカーを始め、小学5年時に読売日本サッカークラブジュニア(現東京ヴェルディ)に入団後、鹿島アントラーズJY、鹿島アントラーズユースとJリーグの下部組織に所属をして、高校3年時には鹿島アントラーズのTOPチームに登録され高校生Jリーガーになる。その後、中央大学に進学しサッカー部に所属。卒業後、2006年にJ2のザスパ草津(当時)に入団。以降、6年間にわたりプロサッカー選手として数チームを渡り歩き28歳で引退後、都内の大手求人広告の代理店にてセカンドキャリアを踏み出す。3年間で年間新規獲得賞、優秀社員賞など、社内表彰を複数回獲得。IT系の人材サービス会社を経て、2016年10月に株式会社マノア・リノを立ち上げに参加した。



ようやく転職した会社で直面した、厳しい現実

大学を卒業してから、Jリーグのチームへ加入し、6年間プロのサッカー選手をしていました。セカンドキャリアはサッカーとは違うことをしてみたいと思っていました。大学は卒業しましたが、ザスパ草津への入団が決まっていて、就活はしていなかったので、なにかアテやつながりがあったわけではありませんでした。誰もが知っているような転職サイトで検索して、就職先を探し、求人広告の代理店に入社させてもらうことになりました。

ただ、正直に言って、そこはかなり厳しい環境でしたね(笑)

本来の勤務時間は10時~19時のはずなのに、朝は8時くらいに出社して、帰宅するのは終電。結果が出ていなければ、土曜日も出勤に…。毎日300件の電話をし、そのうち1、2件取れたアポに訪問して、ようやくお客様と対面できたと思ったら、同業他社との競争を勝ち抜かないといけないという仕事でした。


その中でも、なんとか優秀社員賞や年間新規獲得賞を獲得できるようになり、自信もついたところで、自由度や個人の裁量の大きな風土に惹かれて、IT系の人材サービス会社へ転職しました。ITという世界へ初めて足を踏み入れ、今後のITの重要さや未来を感じ、マノア・リノを立ち上げることになりました。

“あのとき”を反面教師に

やっぱり、自分の経験は事業や会社運営に表れます。セカンドキャリア支援は特にストレートですよね。実際に自分が引退後の大変さを経験していて、同じ想いをしているアスリートもたくさん知っています。当事者だから理解できることがありますし、少しでも問題を解消して社会に貢献したいです。


それと、スポーツ選手が企業に勤めることで、活かせる能力があるとも信じています。彼らは1年契約で、チームメイトがみんなライバルという環境でプレーしてきました。試合に出るには監督にアピールしないといけない。的確にアピールするためには、同じポジションの選手と比べて、自分のなにが優れ、なにが劣っているのか理解したうえで、プレーする必要があります。つまり、自然とPDCAを自分の中で回すサイクルができていて、同時にチーム内での順応性や適応力も求められてきます。これは、会社員にとっても、必須の能力だと思うんです。

IT、SES事業について言えば、どうしてもクライアントや案件に引っ張られ、現場(エンジニア)が犠牲になるような場面を見てきました。だから、エンジニアファーストの会社にしたいとは思い続けています。エンジニアがいてくれるからこそ、会社が成り立っていることを忘れてはいけません。いかに良い環境、良い案件、良い待遇を提供できるかにこだわっていきたいですね。


会社全体については、社員一人ひとりの主体性を尊重する組織にしたいです。自由に裁量を与えて生き生きと活躍してもらいたいと考えています。今いる営業メンバーもSES営業未経験で入社してもらって、徐々に成長して来ており、今後がとても楽しみです。スポーツと同じように一人一人がお互いをリスペクトしていくと良いチームでになると思いますし、強い組織になって行くと思います。あとは感謝の気持ちを常に持って仕事をしいます。

創業期の辛さを一切感じなかった理由

スタートアップの創業者の話で、「○○があって苦労した」とか「ずっと寝ないで仕事をした」、みたいなエピソードってありがちだと思うんですね。でも、マノア・リノの立ち上げ当初って、謙遜とか見栄とかは一切なく、辛いと感じることはなにもありませんでした。

たとえば、今もそうですが、基本的にHPの問い合わせフォームといったところから、メールで新規開拓をするにしても、TELアポをしていた頃と比べると全く苦にならない(笑)

第三者から見れば、契約数を伸ばさないといけないし、大変そうに見えたかもしれせんが、当事者はむしろ楽しく働いていましたね。それは、自分が立ち上げた会社だからというのもあるでしょうが、やっぱり新規開拓が好きなんです。これも初めて就職した会社で実感しました。新しい出会いによって、知らなかった価値観や情報を吸収できることは、すごく魅力的だと思っています。


もちろん、出会いをつくるためには工夫が必要になります。私が一番重要だと考えるのは、いつも相手の目線に立って、物事を進めること。電話なら相手がどういう状況で、なにを感じているのか。電話に出た人の性別や話し方を含め、その都度、想像して対応をしていく。それでも、9割9分は、結果は出ません。ただ、カンペ通りに話すだけではダメ。試行錯誤を積み重ねないと、残りの1分のチャンスもつかめないのだと考えています。


振り返ると、セカンドキャリアで最初に就職した会社はすぐにでも辞めたいほど過酷な環境でしたが、そこで3年間踏ん張ったから、今の自分がある。それは間違いありません。

「間違っていなかった」という実感を胸に、その先へ

「マノア・リノに関わる全ての人が、大きく輝けるように」という社名に由来する理念は、ずっと大切にして経営をしてきました。その結果、クライアントやエンジニアから感謝の言葉が届く。そのたびに「自分は間違っていなかった」と実感できます。それにほとんどのメンバーが、創業当時から辞めずにいてくれるのは、素直にうれしく思います。


もちろん、ここまで話してきた通り、やりたいこと、実現したいことは、まだまだたくさんあります。自社サービスを展開して、外で働くエンジニアの技術を社内に還元して欲しいですし、もっと多くのアスリートのセカンドキャリアを輝かせるようにしたい。自分の原点は忘れず、これからも新しいチャレンジを続けていきます。

~最前線で働く営業メンバーたちの声~


■プロ野球からIT×人材業界へ(斎藤※写真右から2番)

高校卒業後、広島カープへ入団し、ピッチャーとして9年間プレーさせていただきました。その後はスポーツメーカーで4年、アパレル業界で1年経験を積み、2020年6月からここで働いています。正直、野球に関わりたいという気持ちはありました。

でも、それだけでは生活できないのが現実です。安定した環境を求め、はじめは他社を紹介してもらうつもりで、マノア・リノを訪れました。ただ、それがちょうど緊急事態宣言が出ているタイミングで…。当然、なかなか良い案件もなくて「うちで働かないか?」と声をかけてもらい、スポーツとも無関係の会社ではないし、自分の経験を活かせるシーンもあるかと思い、入社することを決めました。社長の武井が広島カープのファンだったのもツイテましたね!(笑)


営業の仕事も、IT業界も初めてで、今もわからないことはたくさんあります。周囲に相談したり、アドバイスをもらいながら、少しずつ学んでいる段階ですね。そんな自分でも、プロ野球という異分野から来た自分でも受け入れてくれる会社なので、この記事を見ている方には、ぜひ安心して応募して欲しいと思います。

■もっと期待に応えられる存在になりたい(吉田※写真左端)

マノア・リノには、2020年2月に入社しました。実は、取締役の田中とは、求人広告の営業をしていた前職時代に、一緒に働いていたんです(笑)ここのオフィスと前職の職場も近く、偶然、街で出会ったときに声かけてもらい、自分が転職を考えていたタイミングだったこともあって、入社を決めました。


私の場合は求人広告の前に働いていた不動産業界を含め、ずっと営業畑で働いていて、経験者待遇で採用もされています。だから今、それに見合った成果を出せていないことは、申し訳なく思いますね。この業界は、求人広告と違って、提案してから即日に決済が降りることも珍しくありません。はじめは、スピード感になかなか慣れることができませんでしたが、現在はようやくペースをつかめてきたので、これから期待に応えられるような存在になりたいです。

■明確な評価制度があるからモチベーションが高まる(菊地※写真左から2番目)

私は携帯電話ショップの代理店で営業をしていたのですが、率直に給与が転職の理由です。役職も与えられていたのに、待遇が見合っておらず、“次”を探しているときに、マノア・リノのエンジニアから紹介を受けました。そこで、話を聞いてみると目標や給与体系、インセンティブなど、すべてが明確化されていたんです。がんばった結果が還ってくる環境ということで、ここで働いてみようと決めました。


仕事自体で言えば、BtoCからBtoBの営業になったことが大きな違いですね。法人営業を自分がどこまでできるのか不安はあったものの、IT業界の知識やスピード感など、日々新しい刺激を得ながら、少しずつ成長できていると実感しています。転職して、収入は大きくアップさせられました。ただそこで満足せず、今は前職同様に主任やマネージャーといった役職に就くことが目標です。そして、何万社という企業がある業界の中で、マノア・リノの名前を広めていくため、もっと貢献していたいと思っています。

■40歳を過ぎ、ほとんど初めての転職だった(石井※写真右端)

大卒で入社した広告代理店から映像業界へ転職して以降、16年間にわたり同じ会社に勤めていました。何度か違う分野に行こうと考えた時期はあったものの、家族の都合などでなかなか一歩を踏み出せなかったんです。コロナ禍で仕事も減ってきていたことで、ようやく決意を固め、家族も説得できました。だから、自分にとって今回はほとんど初めての転職になります。もちろん、41歳ということで、年齢を意識しないわけにはいきません。そこは覚悟して入社しました。


営業メンバーは20代・30代が中心で、きっと周りのみんなを気を遣ってくれているのでしょう。ランチに誘ってくれたりして、すごく居心地の良い環境で働かせてもらっていると思います。今はまだ、入社して1ヶ月半。いち早く結果を残すこと、初受注を決めることが、第一の目標です。座学などで業界用語を学びながら、まずは一つ数字をつくりたいと思っています。

■アルバイトの経験しかなかった(加藤※写真中央)

今回のメンバーでは一番長く営業をしていますが、もともとは正社員で働いたことがありませんでした。役者を目指すために養成所に通ったり、舞台や声優の仕事を少ししていて、収入はアルバイトで確保する毎日…。当然、生活は厳しく、一度役者を辞め、会社勤めをしようと思ったところ、マノア・リノに出会いました。初めて営業職で不安と心配があったのですが、社内の環境や人間関係にも恵まれ、今では充実した日々を過ごしております。


就職して、生活は大きく変わりました。心、時間、お金にゆとりが持てるようになりましたね。あとは、職場の雰囲気もとても良いと感じます。みんなフレンドリーですし、辛そうに働いている人は誰もいません。仕事の話だけなく、いろんな話が社内でできるような環境で、いつも笑顔で仕事ができています。私の好きなゲームの話ができる方がいるのもうれしいですね(笑)これからも、今のような職場であり続けられるよう、私は目立つのが好きではないので、サポート役として、がんばっていきたいです。

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