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タクシー王子と呼ばれる川鍋一朗氏の奇跡の大逆転劇

日本交通の3代目社長の川鍋一郎氏。

社長就任時には、なんと1900億円の借金を抱えたまま就任しました。

そんな川鍋一郎氏がどうやって日本交通を再生させたのか。

今回は日本交通を復活させた川鍋一朗氏の戦略について解説していきます。


タクシー王子、輝かしい御曹司から暗黒の1900億円負債へ転落



タクシー王子と呼ばれる川鍋一朗さんは1970年に生まれました。川鍋さんの経歴はまさに輝かしい御曹司と呼ぶべきもので、生家は東京都の麻布にある高級住宅地にそびえる豪邸、学歴は幼稚舎から入った慶応義塾大学卒業後ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院MBA取得、就職は大手外資コンサルタント企業のマッキンゼーに入社という輝かしい経歴。
それもそのはず、川鍋の祖父、秋蔵さんは30歳の時である1928年に今やハイヤー・タクシー業界で最大手の一角となった老舗企業の日本交通株式会社を創業し、「タクシー王」の異名で呼ばれた男です。川鍋さんもそんな日本交通を継ぐべく30歳の2000年に日本交通に入社し、「タクシー王子」と呼ばれるようになりました。
しかし、入社して早々に川鍋さんの輝かしい人生に暗雲が立ちこめます。理由は、バブル期に投資した不動産の多くがバブル崩壊をきっかけに不良債権化し、日本交通グループ全体で約1900億円の負債を抱えていたためです。日本交通はこのままでは倒産するか、外資系企業に売却するしか方法はないかという危機的状況に陥りました。これが川鍋さんの「暗黒の5年」の始まりでした。


耐える「暗黒の5年」

当然ながら、日本交通の危機的状況はバブル期を通して社長を務めていた川鍋さんの父である、達郎さんによるところが大きいですが、入社した後に日本交通の負債1900億円に気づいた川鍋さんの気づきが遅かったことも事実です。しかし、日本交通の危機的状況を打開せねばと必死だった川鍋さんは焦り・怒りの矛先を社員たちに向けてしまいました。「アスパレーション(向上心)はあるのか!」、「モチベーションを上げろ!」。創業家の息子とはいえ、入社したばかりの新参者からそうなじられて快く感じる社員は決して多くはありません。川鍋さんと社員たちの間に不和が生じるのにそう時間はかかりませんでした。
躍起になっていた当時の川鍋さんは、生じた不和の修復に時間を割くことはせず、そのまま新規事業として会員制ミニバン・ハイヤー事業に着手しました。この事業は川鍋さんが以前から構想を練っていた事業であり、内容は決して悪いものではありませんでした。しかし、川鍋さんは入社したばかりなことに加え、役員たちとの間に不和を抱えたままだったため、事業内容を構想通りに実践することはできませんでした。結局、新規事業は開始数ヶ月で数千万円規模の赤字を抱えて撤退を余儀なくされてしまいました。
この出来事は日本交通に打撃を与えただけでなく、「アメリカ帰りのエコノミスト」などと揶揄されていた川鍋さんの意識を後に大きく変えていくきっかけになりました。
川鍋さんはこの頃から「みんなで」という言葉をよく使うようになりました。具体的には、「みんな」の力を貸してほしい、みんなはどう考えているのか、みんなで一緒にやろう、といった使い方です。川鍋さんの意識は着実に、自身の個の力で奮闘する形ではなく、みんなで協力して苦境を乗り切ろうとする形に変化していったのです。しかし、川鍋さんの意識の変化を役員、社員たちが実感していく前の2001年に事件が起きます。
その事件が、メインバンクからの再建計画の提示です。再建計画といっても、内容は当時社長の達郎さんを始めとする川鍋さんたちを経営から退陣させ、銀行が主体となって経営再建を実行する、という屈辱的な内容でした。だからといって提案を断り、経営状況を自分たちですぐに再建できなければ、メインバンクとの関係性が切れ、資金繰りの悪化から倒産・売却の憂き目に遭うことは明らかでした。しかし、川鍋さんはここであきらめませんでした。メインバンクからの提案を退け、大々的なコスト削減による経営状況の再建に開始します。コスト削減の中でもリストラによる人権費削減の規模は大きく、当時30社近くあったグループの子会社で最終的に残ったのはわずか10社ほどでした。
そんな「暗黒の5年」の最中でも川鍋さんはただ耐えてコスト削減をするだけでなく、今後の日本交通の行く末を確実に見据え、手を打っていました。その中でも後に日本交通にとって大きな影響を与えた3点は次の通りです。
① グループの子会社でIT分野を受け持っていた「日交データサービス」だけはリストラの対象から外し続けるだけでなく、デジタルGPS無線システムを導入するという投資まで2005年に実施したこと。
②「日本交通専用乗り場」を2001年から都内の要所に開設し始めたこと。
③ドライブレコーダーを全タクシーに2004年から装着したこと(2013年には自社でハードウェア開発)。
大規模なコスト削減の成果もあり、投資などを実施しつつも自主再建への見込みが立ち始めた2005年8月、川鍋さんは株主総会で日本交通の3代目社長に正式に就任しました。


誇りを取り戻す「リハビリの5年」

ここからは、川鍋さんが「暗黒の5年」の最中でも日本交通の先を見据えて実行していた3点はどのような戦略やサービスに繋がっていったのかを各点ごとに解説していきます

①グループの子会社でIT分野を受け持っていた「日交データサービス」だけはリストラの対象から外し続けるだけでなく、2005年にはデジタルGPS無線システムを導入するという投資までしたこと。
これは、タクシーをスマートフォンから簡単に配車依頼できる「日本交通タクシー配車」(日交アプリ)の開発に繋がりました。本アプリは同種のアプリの中では日本初のリリースでした。「暗黒の5年」においてもIT分野の子会社をリストラ対象にしなかったことで、競合他社に先駆けた開発が可能になったのです。また、このアプリではタクシーの配車をするために配車依頼者とタクシーの位置をそれぞれ正確、かつ素早く把握する必要があります。この点は2005年に導入したGPS無線システムが大きな貢献を果たしました。
「日本交通専用乗り場」を2001年から都内の要所に開設し始めたこと。
これは、東京観光タクシー、サポートタクシー、キッズタクシーの3サービスから構成される「エキスパート・ドライバー・サービス(EDS)」を開始したことに繋がります。川鍋さんはこのサービスの着想を日本交通専用乗り場で実際に見た光景から得ています。その光景は、「ドライバーはタクシーから降りて年配の方の荷物を車に積み、ドアに手を添え乗り込みのサポート、それに対し年配の方は笑顔でありがとう、と感謝を伝える」というものでした。川鍋さんはこの光景を見たとき、タクシーはサービス業である、ということを改めて強く認識し、サービスに特化したEDSを考案、開始しました。
2004年にドライブレコーダーを全タクシーに装着したこと(2013年には自社でハードウェア開発)
これは、日本交通が海外進出を狙う戦略に繋がりました。当初、2012年頃に川鍋さんたちが海外進出を検討した際は、時期尚早、という結論になりました。それは、まだ日本の中で日本交通グループの規模・事業拡大をしている最中であったため、海外進出も同時では日本交通の体力が持たない、と判断したためでした。しかし、2013年に自社でドライブレコーダーのハードウェアを開発したことで状況が変わります。それは、タクシー事業全てをいきなり海外展開するには莫大なコストがかかりますが、ハードウェア単体であれば費用を抑えて海外に展開できるからです。先にハードウェアを展開して情報や実績集積し、そこから海外進出を検討すれば近道になると、川鍋さんたちは考えたのです。
川鍋さんは、「暗黒の5年」「リハビリの5年」を経て上記のような戦略やサービスを積極的に実行し、日本交通を成長させるだけでなく、①ソフトウェア、②オペレーション、③ハードという3種類の強みを獲得しました。
 3種類の強みの中でも、川鍋さんが絶対の自身を持っているのはオペレーションについてです。その理由は、日本交通が1960年に業界で初めて新人ドライバーの教育機関(日交学校)を設立する等、ドライバーの教育に以前から力を入れているためです。教育関連の至近での大きな取り組みは、2007年に「黒タク スタンダードマニュアル80」という接客マナー集を導入し、教育を開始したことです。このマニュアルの内容は、挨拶の仕方、ドアの開け方、後部シートベルトの着用のお願いの言い方まで80(現在は77項目に再整理されています)項目を列挙しているとても細かいものです。日本交通は、各ドライバーが日々マニュアルに沿った正しい接客マナーを実践することができるよう、教育しています。また、教育して終わりではなく、社員や一般顧客から選任された覆面調査員によるモニタリングチェック(採点)を実施し、各ドライバーの接客マナーレベルを管理、把握することで、全体の接客マナーレベル向上に活用しています。
これからの時代は日本交通の海外展開もありますが、既にUber等の海外大手サービスが日本市場に参入してきています。しかし、日本交通が築き上げてきた①ソフトウェア、②オペレーション、③ハードという3種類の強みは一朝一夕に真似できるものではありません。加えて、川鍋さんには海外からの刺客に対抗していく覚悟が既にあります。「彼らはタクシーのオペレーションを他社にアウトソースしている。我々はそれを自社で持っている。トータルの乗車体験として我々は決して負けない」。


日本交通はこれからもタクシー業界のリーディングカンパニーとして走り続ける

海外大手の参入という新たな暗黒に対しても、日本交通は誇りを胸に走り抜けていくのでしょう。日本交通、川鍋さんは今後いかなる戦略を打ってくるのでしょうか。目が離せません。




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