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アパレル業界でMDだった私は40代で農業界へ進みました【こと京都に入社したきっかけ】

「私がこと京都に入社したきっかけ」第2回目のインタビューは、こと京都のグループ会社「こと日本」の営業課に所属する長谷川茂生さんです。

アパレル業界でデザイナー、営業、マーチャンダイザー(MD)を経て、「服のことなら何でも分かる!むしろ自分で服を作れます」という長谷川さんが、なぜ全く異なる「農業」という道を選ばれたのでしょうか。幼少期の話から、前職のお仕事、こと京都を知ったきっかけなど、現在にいたるまでの様々な話を伺いました。

「運動」と「記録」で心身を鍛える

国産ねぎの専門商社である「こと日本株式会社」営業課に所属する長谷川茂生さん。前職はアパレル業界で、デザイナーと営業を経て、マーチャンダイザー(MD)を務めていた。趣味はランニングで、現在は「京都マラソン2020」へ向けて調整中とのこと。


ー 長谷川さんはストイックなイメージですが、子どもの頃はどんな子でしたか?

子どもの頃は目立ちたい気持ちはあったけど、内気で人に話しかけるのが苦手なタイプの子でした。それも病気がちで、小学校の写真はほとんどパジャマ姿。5年生のときには慢性の腎臓病になり、医者からは「スポーツをやめなさい」と言われてしまいます。でも野球が好きだったんで、陰でこっそり練習しているような子でした(笑)

中学生のときには野球から全身運動ができるサッカーに転向。もちろん医者に止められたんですが、そこから激しい運動をしたら心身ともにぐーっと強くなったんです。不思議なことに、抵抗力がついて病気をすることもなくなりました。


ー 意外です!そういえば、現在はマラソンを趣味でされているんですよね? たしか毎日の運動を記録されていると伺いました。

そう、記録するの好きなんです。やっている人はみんなやっているかもしれないけど、僕は体重や血圧、酒を飲んだ、運動した、トイレは快調とかっていうのをアプリを使って記録しています。

あとは、1日1ページ書ける「Edit」という手帳にその日の予定と日記をつけています。基本的に持ち歩かずに時々家で書くだけですが、これがあるから心の整理整頓ができているんだと思います。何があっても「今パニックになっているわ」「自分しょぼいなぁ」というのも冷静に見られるようになるんです。


手帳にその日に感じたことや読んだ文献の感想を英語で記録


デザイナー、営業、MDを経たアパレル時代

ー アパレル業界にいらっしゃった頃は、バイヤーをされていたのですか?

正確にはバイヤーではなく、マーチャンダイザー(MD)という仕事をしていました。

マーチャンダイザーとは、バイヤーとは違い、製品や顧客の動向など様々な分析をして、商品開発から販売計画まで一括で管理する人のこと。適切な数量や価格、タイミングを見極める仕事をします。

具体的にどんな仕事をしていたかというと、会社の中にインポート事業部、国産事業部、雑貨事業部があったのですが、僕は国産事業部を担当していました。国産事業部というのはシャネルやバーバーリーな
どのインポートと違い、自分たちで企画構成し、コンセプトからデザイン、ディスプレイ
や販売計画まで全てをおこなう部署。僕はその部署の責任者として、経営陣とのコンセンサス
を取り運営する仕事をしていました。


ー まさに会社のブレーンのような仕事をされていたのですね。

もちろん最初からマーチャンダイザーだったわけではありません。農業であれば農学部へ行ったり、農業の会社で研修したりしますよね。それと同じで、僕は大学在学中にプラスアルファで夜に専門学校へ通い、服のデザイナーとして3年間ある会社で経験を積みました。

その後、マーチャンダイザーという職種を知ります。たまたま行きたかった会社で採用いただいて、アシスタントを3、4年した後、同時に営業もした方がよいとのことで、マーチャンダイザーと並行して営業を10年担当。そして、マーチャンダイザーを専任として、様々なブランドをプロデュースしていきました。


ー アパレル業界で社長の右腕として、長年活躍された。それなのに、なぜ“農業”の道を選ばれたのですか?

そうですね。引き抜きのお話をいただき、長年働いたアパレル会社をやめたのがきっかけだったのかもしれません。アクセサリーの会社だったのですが、実際に入社してみると会社の雰囲気が自分には合わない。そこで僕は、元の会社に戻るか、別のアパレル会社に行くかという2つの選択肢で迷いました。

でも正直、この先アパレル業界はどうなるのだろうかという不安があったのです。というのも、現在のアパレル業界はUNIQLOやZARA、H&Mといったファストファッションは伸びるけれど、インポート事業は厳しい状況。有名なデザイナーやブランドと組めば一時は花火を上げれるんですが、長くは続きません。なので、どのアパレル会社へ行っても結局は一緒かもしれない。業界の問題なので、この先も悩み続けるかもしれないと思ったんです。

そんなときに何を思ったのか、僕は就活サイトをのぞいていました。


「運命かも…!」と思ったんです。


そこで最初にあったのが「こと京都」でした。

「京都で九条ねぎをつくる会社」というのを見て、僕はふと同僚の話を思い出しました。

その同僚は、元々京都のアパレル会社から移ってきた方だったのですが、「同じようにアパレル会社を辞めて農業を始めた人がいる」「九条ねぎで儲かっているらしいんだ」と事あるごとに聞かされていました。そんなだったんで、こと京都の求人を見たときに「きっとこの方だ!同僚が言っていたのはこと京都の山田さん(現在の代表)のことだったんだ」と思い込んだんです。(代表の山田もアパレル業界出身だったため)

自分の中では何となく「食」の世界やなぁと思っていたのですが、こと京都の求人を見たときは「来た!」と思いました。奥さんに関しては「やめてや」とか「え?農業できるの?」と言われましたけどね。

その後、面接で山田社長に初めてお会いして、もう非常に感動しました。日記にも「お会いできただけで良かった」と書いたほど。また、そこで山田社長の勤めていたアパレル会社が自分にとってすごく親しみのあった会社だと知りました。勤め先だった専務や常務も山田社長のお知り合いだったそうで、「〇〇さん知ってるの?」「え!めっちゃ知ってますよ」というお話に。そんなだったんで、一方的に「運命かも...!」と思ったんです。

でもそのとき、応募は70名くらいあったそうで、面接を受けたのは16名。実際には2名採用されたんですけど、採用は1名だけだと伺っていたので、家に帰って「もうないな、これは」と言っていました。…とはいえ、今ここにいるわけですからね。


初参加の「全国ねぎサミット2018inにいがた」ではInstagramを活用して「こと九条ねぎ」をアピール


ー でも、今でもアパレル業界から良い話をたくさんもらうのでは?

そうですね。でも、自分の中の選択肢では一番良かったと思っています。

頭の中のスイッチがあるとしたら、今までとは全く異なるスイッチを使っている。それってすごく面白く感じるんです。

それに、僕は子どもの頃から自分の直感はあまりはずしたことがありません。子どもの頃には「上手やのに、野球やめてどうすんの」と周りに言われたんですが、「サッカーの方がええて」と言って数年後に「ほら、な!」と言える状況になっていた。大学の頃には「男はデザイナーなれへんて」と言われたんですが、数年後にまた「ほら、な!」と言っていた。(男性デザイナーの場合、婦人服を着てみることができないため、男性がデザイナーになるのは難しいとされている)

奥さんには、いつも手を打つのが早すぎると言われます。でも、いつも決断して3年くらい経つとどんどん辻褄が合ってきて、「ほら、な?」ってみんなに言えるタイミングが来るんです。それが分かっているんで、今は慣れないし苦労もしますが大丈夫だと思っています。


「こと日本」での現在のお仕事

「FOODEX2019」に出展時の様子


ー ところで、「こと日本」では現在どのようなお仕事を担当されていますか?

宮川さん(こと日本の副社長)が「こと日本」の土台を作られたのですが、僕はそれを引き継いだ形になります。仕事内容としては、ほとんどが産地の方や取引先のお客さま、加工工場とのやりとりです。工場から必要な数量を聞き、いつどのくらい納入するかを決めたり、現地へ行って、産地とのバランスをとり、必要なときに必要な数量が維持できるように調整をしています。

ただ、今ある産地だけでは数量をまかなえない状況になってきました。というのも年々、台風や豪雨などの天候リスクが増えたため、露地栽培のねぎは安定供給が難しいのです。なので現在、産地を増やすためにいくつかの農家さんにねぎをつくっていだたいています。いろいろ問題もありながらですが、少しずつねぎの納品までの体制ができてきました。

僕としては、今目標にしている倍くらいのねぎの出口(売り先)を見つけて、製造体系を整えることができたら、もっと高みから物事を見られるのかなと思っています。


ー 今までとは業界が異なるのでいろいろと苦労されているのでは?

そうですね。相手は農業や仕入れについて百戦練磨の方。「この人何も分からへんわ」となったら、話ができません。

でも、プロって何かって話ですよね。僕はプロっていうのは、それについて知識がたくさんあって、自分でできて、“誰にも敵わないだろう”という人だと思っていました。アパレル業界であれば、一番安い服から高い服まで誰よりも知っていて、どんな雑誌も読んでいて、むしろ自分でつくれて、業界にも顔がきく。でもその考えだと、僕はこの業界では通用しない。だからどう解釈していくかっていうと、神経を注いで、思いがぐっと入りこんでいればプロと言っていいのだと思っています。

つまり、ねぎのこと、農業のことを真剣に考えていれば、もうプロ。

それで何をしたかっていうと、野菜や土、農薬など農業に関する本を勉強しました。1つのことについて7冊。2日に1冊を2週間も続ければ、わりと知識がついてきます。まだちょっと押されますけど、皆さんの言っている内容は少しずつ理解できるようになってきました。そこで対等に言葉が交わせるように…もうちょっとしたらなるかな。それが相手に対しての礼儀でもあると考えています。


ー 土づくりから学ばれているのですか。そんなに本を読まれているなんて…!

それができれば、マーチャンダイザーの仕事のように各工場や産地の状況を見て、適切な数量、タイミングなどの販売計画が立てられるようになります。「この時期にねぎがこれだけできます」だとか「ねぎの状態があまり良くない」といった連絡が四方八方から来たとしても、わけさえ分かってコントロールできる技術を身に着ければ、うまくいくはずなんです。


そんな私はこんな方と働きたい


ー 最後に、どんな方と一緒に働きたいか教えてください。

基本的に、今までずっとリーダーや責任者の立場だったので、常に部下がたくさんいました。でも、今は個人で動いている時間が多いです。

こと日本はまだまだ小さな組織です。ただここ数年で大きく変化します。規模も大きくなるでしょ
う。その中で、やっぱり何事もポジティブにとらえてくれる方だといいですね。

精神論的なことや経験則だけのアドバイスは違うけれど、論理立てたアドバイスは自分の中で違うなと思ったとしても、一回飲み込んでやってみようと思う人。「頑張りーや」って言われただけじゃ抽象的すぎるけど、「こうしたらこうなるから、やってみたら?」と論理立てて言われたことは素直に受け取って、一回やってみる。そんなポジティブな方と一緒に働きたいです。


ー お忙しい中、取材させていただきありがとうございました!



今回は、普段社内で伺えないような話もでき、非常に学びの多い取材となりました。

「こと京都」には他にどんな方がいるのでしょうか。

今後も、いろいろな部署・いろいろな現場の方を紹介していきます!

こと京都株式会社では一緒に働く仲間を募集しています
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