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「100年生きたら、おもしろかった」Nurse and Craft創業ストーリー

こんにちは、深澤です。

今回は、Nurse and Craftの創業までの経緯についてお話させていただきます。

今、私たちは「100年生きたら、おもしろかった」と誰もが言える世界をつくるために、訪問看護事業を主として活動しておりますが、そもそも私は看護師ではなくその資格も持っていません。

ですから、看護師としての知識もなければ現場に赴くこともほぼありませんので、スタッフを信頼し任せ切ることや私たちの取り組みを外部へ広げていくことが私の仕事だと考えています。

その辺りのことについてスタッフは、非常に理解してくれるようになってきましたし、今ではとても頼りになるチームに育ってきたと思います。

そのように創業からスタッフに頼りきりの私ですが、創業する前は、東京で介護専門職のための総合情報誌を製作するディレクターとして、2014年頃から2019年の初め頃までの約5年間活動していました。

仕事の内容は、介護業界や制度に関する最新の情報や介護技術、現場で働く介護福祉士やヘルパーの思いなどの情報を、グラフィックデザイナーやイラストレーター、カメラマンなどと協力しながら読者の方々にわかりやすい情報として届けることです。

専門職や経営者として第一線で活躍する方々や志高く介護業界に入ってきた若者など、この期間で多くの介護関係者の方々と出会うことができ、全国の介護施設に通底する課題や介護そのものに対する考え方、社会的、制度的、経営的側面からもたくさんのことを学ばせていただきました。

このように主に介護に関する“情報”といった部分でお仕事をさせてもらっていましたが、私には現場での経験もあります。

東京で雑誌制作をする前は、出身地である長野県で福祉用具専門相談員として働いていました。車椅子や介護用ベッドなどの福祉用具を、利用者さんの身体状況や住環境に合わせて選定して貸し出すお仕事です。

実はこの間、介護の現場で働きながらも情報発信のお仕事も同時並行で進めていました。高齢者の情報不足を解決したいと考え、シニア向けのフリーペーパーを発行していました。

こちらは完全に自己資金だけでやっていましたので、広告営業や誌面制作など慣れない仕事にとても苦労しました。

こうしてみると、長い間にわたって介護領域に携わっているのだなと思われますが、私の20代は家業である金属加工のお仕事とDjとして音楽の世界にありました。

高校生の頃に興味を持ち始めたDjとしての音楽活動は、私にとってかけがえのない時間で、社会や大人とのつながりはこの世界で作られ、自分自身で稼ぐことも学べました。国内外のアーティストと共に音楽で満たされた空間をクリエイトしてきたことは、その後の私の人生に大きく影響を及ぼしています。

2008年のリーマンショックによる経営環境の変化と父親の在宅介護がきっかけで、私は介護業界へと進むことになりますが、それからというもの、医療や介護に疑問を抱くようになりました。

よく友人たちとの会話で、「人生の最期に食べたいものは何?」と出てくると思いますが、今の世の中の環境は、人生の最期に食べたい物を本当に食べれる尊厳のある世の中なのだろうか。

なんで薬を大量に飲まなければならないのだろうか。リハビリなのにいつまでも通わせることが目的になってはいないだろうか。なんでここまで過剰なリスク管理を介護施設で行っているのだろうか。

人生を豊に生きるというのはどういうことなのだろうか。

だいぶ遡ってきましたが、「Nurse and Craftを支える“まめなプロジェクト”の話」でも紹介した通り、私は2019年に大崎下島で創業することになります。

これまでを振り返ってみると、製造業でのモノづくりや音楽ライブエンターテインメント、福祉用具との関わり、雑誌やウェブなどの情報サービスは、現在の事業にすべてつながっています。

私には立派な経歴はないかもしれませんが、私にはいつも目指すべき道ややりたいことが存在しており、現在においても明確に創りたい世界を持っています。

それが、「100年生きたら、おもしろかった」と誰もが言える世界なのです。

Nurse and Craft株式会社では一緒に働く仲間を募集しています
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