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「農業の未来に革命を起こしたい」実家のイチゴ農園から離れて、アメリカの農業ベンチャーへ。農業の未来にかける熱い思いとは?

社員インタビュー第四弾は、つい先月(2021年4月)に日本から渡米してOishii Farmに入社した檜山智彦さん

檜山さんは、ご実家がイチゴ農園という農家出身者ですが、ご実家の農園を継ぐのではなく、Oishii Farmに農業の未来を懸ける選択をされました。

Oishii Farmで檜山さんは主に、運営・管理に加え、今後の大型農場の立ち上げに向けた各種環境テストや日本の篤農家さんとの連携など、幅広くファームチームの業務に携わっています。また、育苗に対して新しいアプローチをかけて開発していくプロジェクトにも入り、これまでの知識と経験を活かして各方面からチームに貢献しています。

ーまずは簡単にこれまでの略歴を教えてください

茨城県水戸市の出身で、地元の工業高校で工業化学を勉強しました。食に関わるビジネスに携わりたいという思いがあり、また料理が好きだったので、高校卒業後は、調理師学校に入りました。その後、東京に渡り、ホテルでフランス料理やイタリア料理を担当するシェフとして働いていました。若手シェフを対象としたフランス料理の全国大会があり、東京の代表選手として出場したのですが、結果はなんと惨敗。料理をすることは大好きでしたが、全国レベルのセンスや才能を目の当たりにした時、もう少し違うことにチャレンジしたいという思いが芽生えていました。

その後は、営業職に憧れていたこともあり、料理の道から一度離れ、転職しました。フードビジネスに携わりたい、という思いは一貫していたので、食品の輸入卸商社の営業を担当しました。主に、ヨーロッパからお菓子の材料を輸入し、大手製菓メーカーさんやコンビニさんに原料と共に提案して営業をかけるという仕事です。レシピを作り、お客様にご提案することもあったので、食材の扱い方など、前職での知識が非常に役に立ちました。

すごく面白くて充実はしていたのですが、フードビジネスにおける原料を生産し供給できる現場の力の強さを感じていました。特に国産原料はフルーツや芋関係等をはじめ供給量が減少し、慢性的に原料がない状況にあったからです。実家がイチゴ農園をしていたので、いつかは継いでもいいのかなとなんとなく思っていたこともあり、原料を供給する立場になるため、一念発起で商社を退職。茨城に戻りイチゴ農園を継ぐことを決意しました。


ーご実家がイチゴ農園ということは、農業は子供の頃からされていたのですか?ご両親はいずれは檜山さんに継いでほしいという思いがあったのでしょうか?

祖父の代から農業は家業としてやっていましたが、実家のイチゴ農園は、実は父が脱サラをして始めました。父が50代の頃、私が高校生の頃でした。高校生の時から、摘み取りや育苗を手伝っていたので、大体のイメージはありましたが、両親からは「大変だから継がなくてもいい」とは言われていて(笑)。大人になってから両親の農園に入り、イチゴに関する知識はその時にイチから学びました。

最初から両親の農園には入らず、学校を卒業後まずは料理の道に進みましたが、振り返ってみると、これまでやってきた全てのことが今の自分にとって意味のあることでした。お客様に料理を提供するという食のサプライチェーンの最下流から仕事をし始め、その後、中間商社に入り、より上流からサプライチェーンマネジメントをやってみたい、という思いに繋がったのです。この経験をしたことにより、どのような商流があり、下流での使う人のことを理解した上で、どのようなものを生産したら良いのかが分かったのが大きなプラスとなりました。その中で、6次産業化をやりたいと思っていたので、自分でイチゴをドライに加工したり、チョコレートにしてみたり、かき氷にしてみたりと、色々な挑戦をしました。

将来の転機となった出来事があったのでしょうか?

ーご実家のイチゴ農園を運営していく中で、檜山さんの将来の転機となったことがあったのでしょうか?

茨城の田舎で暮らしやすく、両親のサポートもありましたし、とても楽しんでいたのですが、海外からみた日本はどういう国なんだろう、とずっと思っており、一度海外に出てみたいと思いました。夏の時期は閑散期で時間が取れることを利用して、30歳の時にワーキングホリデーに参加してカナダのトロントに半年間住んでみました。これまで海外経験が全くなかったので、苦労もしましたが、トロントの日本食レストランで働き、趣味のDJ活動もしながら過ごしていく中で、色々な方々との出逢いがありました。カナダの農業についてもとても気になっていたので、現地で農業関係者の方々と知り合えたことはとても大きかったです。

カナダの農業は、広大な面積に大きなトラクターを使って省力化、効率化されていました。実際に見せてもらうと、日本と全然違うので驚きました。現地の農家さんはきちんと稼いでいて、大きな家や良い車に乗っていて(笑)、全く違う世界があるんだなということを感じました。それと同時に、日本経済の停滞を感じました。

また、生活していく中で気づいたことは、地元のスーパーでイチゴを買うと、本当に美味しくない。もし日本のイチゴを供給できたら、すごく喜んでもらえるだろうな、というアイディアがうまれ、調べていく中で、既に北米で取り組んでいる人がいることを知りました。それが、Oishii Farmの古賀社長でした。


ーカナダでのご経験が、日本の農業の将来について考え直すきっかけとなったのですね。

帰国後、継続してイチゴ農園をやっていましたが、海外に出たことで、新たな視点が加わりました。日本の農業は基本的に、狭い農地に各個人で好きな野菜や果物を作るというスタイルです。独立していて、個人事業主としては自分のやりたいことができるという良い面があるのですが、効率的な農業とは何か考えた時に、非効率な点が非常に多いと思いました。単価が安い農業は、量の世界なのでなかなか収益性には結びつかない。ノウハウを蓄積して高品質、高収量をもって市場やお客様に交渉をかけていくことがあまり出来ていないのです。

本来であれば、地域の農政課などが主導して日本の農業の未来を変えていかないとならないですが、なかなか改革が進んでいないのが現状です。また各市町村によってレベルが違うこともありますし、日本の農業は環境が厳しい。このままで良いのか、という危機感を感じ、効率化をはかってきちんと儲かる農業をしたいと思いました。大規模化と効率化を進めるためには今のグリーンハウスだと難しく、まだ技術的には新しいですが植物工場の方が長期的には有効ではないかと考え始めました。

日本を取り巻く問題を考え方のベースに置きながら、その上で自分の未来を考えたとき、実家の農園を引き継いで、面積や設備投資で規模拡大をしながら、6次産業化にも力を入れれば、田舎で悠々自適に生きてはいけるだろうとは思いましたが、そういう未来にワクワクしませんでした。もっと大きなビジョンを持って仕事がしたい、チャレンジがしたい、と思いました。

チャレンジしたい、という欲が更に強くなったとき、アメリカにイチゴ農園があったことを思い出して、再度Oishii Farmについて調べ、応募しました。何度か面接をしてもらった後、まずは現場でインターンをさせてもらうことになりました。

Oishii Farmに参画を決めた理由は?

ーまずはOishi Farmでインターンを経験されたのですね!その際にどのように感じられて、入社することを決めたのでしょうか。

現場を見たら非常に刺激的でした。「世界中に植物工場を広げたい」、「農業界のテスラになる」、という大きな目標を持っている。そして、ダイバーシティーに富んだ環境だということもあり、とてもワクワクしました。国籍だけではなく、アメリカでMBAを取ってベンチャーを立ち上げた古賀社長をはじめ、志が高い人たちがたくさんいました。社内には各人の専門分野があって、自分にはない意見や観点がありました。また農場は若手が中心となって運営していて、自分より若い人たちと切磋琢磨して刺激し合えることも良かった点です。


ー檜山さんは日光を取り入れたグリーンハウスの農業もご存知ですが、完全閉鎖型の「植物工場の魅力」とはどのような点ですか?

インターンが終わって日本に帰国してグリーンハウスのイチゴ農業に戻ったときに、これは、イチゴとの戦いというより、天気との戦いだ、ということを改めて感じました。与えられたその時々の天気や、先の天気を予想しながらやっていくことがとても大切ですが、コントロールが出来ないため、大変なのです。例えば、日本のイチゴ作りで一番大事な時期は需要が上がるクリスマスの前ですが、そのタイミングに合わせた出荷日前の一週間が曇りや雨であれば、収量や品質のコントロールができなくなります。天気には抗えないので、異常気象が今後も増え続けるであろうこの時代に最適化・効率化するには、外部からの影響を一切受けない植物工場しかない。それが帰国して決定的に思ったことです。

農業の未来を考えた時、高品質な生産物を効率的にリーズナブルに大量に供給するのであれば、効率化をはからないといけません。どうしたら良いのか、と考えると、植物工場の方が効率的に作れるので、未来があると思います。もちろん、光合成が莫大に必要な食物もあるので、外で作ることに対して否定的な思いがある訳ではないですが、私が小さい頃に描いていた2021年はもっと未来的で、技術が進歩して豊かになっていると思っていました。従来型から変えていかないといけない、自分の手で時代を変えたい、という思いがあります。自分の孫の代には、「野菜って外で作っていたんだね」というくらい、革命を起こしたい、と思っています。

渡米までに不安などはありましたか?

ーインターン後に本採用となってから、ちょうどコロナと重なってしまい、今回実際に渡米されるまでに時間が経ってしまいましたね。渡米までに、不安などはありませんでしたか。

そうなんです。インターン後、日本に帰国してからビザの申請を進めました。当初は数か月で承認が降りるということでしたが、コロナの影響もあり、約半年もかかってしまいました。

不安に思っていたことは、言語の面と、植物工場に対しての知識です。言語の面では、カナダでのワーキングホリデーの経験はありましたが、それまでは海外経験は全くなかったので、やはり不安はありました。渡米までの間、毎日オンライン英会話のレッスンを受けていました。実際は、今現地で働き始めていますが、農場チームは日本人も多く、問題ありませんでした。基本的にミーティングは英語ですが、英語力が高くなくても、仕事をしながら高めていける環境です。

植物工場の知識については、グリーンハウスでの経験と知識はあるものの、植物工場となった時にどうなるのかは実績がありませんでした。しかし、ちょうどコロナで渡米が遅れている間、日本での研究開発パートナーの会社にて研修を積むことができました。そこで実験の協力や報告などを通して知識を深めていきました。実はこの間に培った経験が今現場で活かせているので、結果的には、渡米が遅れたことは良かったと思っています。


ー実際に入社されて、Oishiiで働く面白さや、やりがいなどはどのように感じていますか

まずは、日本のイチゴを提供してアメリカの人たちに喜んで頂くこと、それが素直なやりがいです。自分の作ったイチゴを食べてもらうことに喜びを感じます。

また、日本の技術は素晴らしいということに改めて気づかされました。海外に居ればいるほど、日本が好きだと再認識しますし、日本人としての誇りを持ちます。私たちは、突き詰めることに長けていて、そういった精神性をもった民族であり、これまで農業の先輩方の努力や、重ねてきた技術開発があり、今があります。その素晴らしい技術を持って、自分たちの手で世界中に供給することができるのです。これは大きな夢ですし、非常にやりがいを感じます。

これから挑戦してみたいこと、野望を教えてください!

ー檜山さんがこれから挑戦したいことは?

一つは、育苗の最適化をすること。イチゴ作りは苗づくりがとても重要です。これを充実することで、美味しい実がたくさん採れるという考え方があるので、それを重視したいです。そして今後、大型農場のために大量に質の良い苗を作らなくてはならないので、効率的に作る方法を確立したいと思っています。

もう一つは、光の環境を作り上げること。屋外と室内では何が一番違うかと言えば光です(LED 対 太陽光)。収量を上げる要因となるであろう光の領域が、面白いと感じています。最終的に目指したいことは、人工核融合などを用い、全ての作物をよりサステナブルで安価に室内で作っていくことです。死ぬまでに出来るかどうか、というレベルですが、今は研究も進んでいますし、これを実現して、植物工場を唯一無二の存在したいと思っています。そこまでたどり着ければ本当に未来は変えられると信じています。

ー最後に、読んでくださっている方々にメッセージをお願いします!

私自身、農家出身で学歴があるわけでもないですが、Oishii Farmでの毎日がチャンスだと思っています。海外で働くことは容易なことではありませんが、Oishii Farmであれば経営のトップが日本人で、構成要員にも日本人がいて、日本の技術を使って、日本の食べ物をアメリカで提供することができます。これほど日本人が海外で活躍しやすい環境はないと思います。植物工場や日本の農業に対する熱い想いがあり、海外で働いてみたいけれど、英語力やその他の不安があるという人でも、入りやすい場所だと思います。そして、何より自分の未来を自分で選べる環境だと思います。英語力を伸ばしてプロジェクトマネージャーになりたい、と思っている人がいればそれをサポートできる体制もありますし、自分のなりたい姿を伸ばせる環境だと思います。

Oishii Farmのミッションに共感をしている人であれば、多少の不安があっても、少しだけ勇気を振り絞ってもらったら、人生が変わると思います。そういう方々と、是非一緒に働きたいですし、一緒に未来を変えたいと思っています。

Oishii Farmでは一緒に働く仲間を募集しています
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