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【特別インタビュー】今夏プロデビュー、ボクシング赤井英五郎選手と専属スポンサー契約を締結!

株式会社グレフは、この度プロデビュー戦を控えたボクシング赤井英五郎選手(帝拳ジム)と専属スポンサー契約を結ぶことになりました。

赤井選手は浪速のロッキーこと伝説の元プロボクサー・赤井英和氏の長男。20歳でアマチュアでデビューし、26歳現在、満を辞してのプロデビューを果たします。9月のデビュー戦へ向け更に勢いを増している赤井選手とのスポンサー契約となります。

今回のスポンサー契約は、赤井選手にとってもグレフにとっても初の試みであり、HR業界とボクシング界という異なるフィールドの新星として挑戦していく両者が高めあえるようなものになると期待しております。

今回のスポンサー契約を記念し、赤井選手へ特別インタビューを行いました。



簡単にご自身のバックグラウンドを教えてください!

東京都出身です。小学6年生でハワイへ留学し、そのままハワイの全寮制高校で学生生活を送りました。そこでは様々なバックグラウンドを持つ人々と触れ合い、とても刺激のある日々を過ごすことができましたし、生涯大切にできる仲間に出会うこともできました。

ボクシングを始めるきっかけになったのは、自分の将来を真剣に考え始めていた高校3年生の時です。それまでは、父親の影響から、ボクシングというものを避けて生きていた部分がありました。僕が生まれた時に父はすでにボクサーを引退していて、現役の父の姿を見てこなかったんですが、それでもやはり世間や周りからは、父のようにボクサーの道に進まないのか、と声をかけられるのが日常茶飯事でした。日本で過ごしていた時期は、父と比べられることも、争うことも嫌で、ボクシングという道を避けていましたね。しかし、何ごともやってみなければ何も分からない、と、これまで避けてきたボクシングというもので自分のポテンシャルを確かめたくなったんです。父がボクシングを始めたのは高校1年生。始めるならこれが今しかないと思いました。東京オリンピックの開催が決定され(2013)、7年後の東京オリンピック出場を目標に、本気でボクシングに向き合おうと決心しました。


“決して甘くはなかったボクシングの世界”

オリンピックを目指す決意をしたからには、死ぬ気で挑戦しようと思っていたので、高校も中退してボクシング一本に集中しようと思っていました。しかし母からは反対され、ボクシングを始める時期が少し遅れてしまいました。ちょうど受験の時期にボクシングに本気で向き合う決断をしたので、正直大学への進学は考えてはいませんでした。しかし、母方の祖父が大学に行けなかった事を生涯引きずっていて、大学は出て欲しいという思いがあることも理解していたので、祖父に卒業証書を見せる為に大学に行くことを決断しました。ボクシングの事は諦めてはいなかったので、進学先は父が現役時代に強化合宿をした事があるカリフォルニア州、ロサンゼルスにしようと決めていました。兎に角、学業もボクシングも挑戦してみないと始まらないと思っていたので。

もちろん父にはボクシングをしていることを黙っていましたね。父が日本の歴史に名を残すようなボクサーである以上、中途半端なものを見せられないという思いもありましたし、自分の力でやりたかったんです。最初は父が現役時代にカルフォルニアで合宿をしていた頃にお世話になったカルフォルニアに長年住んでいらっしゃる日本人のボクシング・マネージャーに直接ジムを紹介して頂き、キッズクラスに混じりながら基礎の練習をしていました。父には内緒で力を貸していただいて、練習を重ねていましたね。オリンピックを目指していたとはいえ、当時はただの初心者。自分に才能があるか、向いているのか、どこまで行けるか、何もかも全く分からない状況で自分を試しているような状態でした。学業とボクシングの両立は想像以上に過酷でした。ただ、最も大変だったのは、思うように試合ができなかった事です。アメリカではルール上、戦績が無い選手同士で試合を組まなければいけなくて、戦績がない自分は同じ階級の相手が見つける事ができませんでした。実力を試すことのできない歯痒い時期が続き、迷わず大学の休学を決意し、日本へ帰国してアマチュアライセンスを取得することにしました。右も左も分からないまま初出場したのは全日本選手権。アマチュア4戦目で全日本ランキング6位に入賞することができました。



“順調に見えた走り出しの中、抱えていた苦悩”

初出場した大会で、全日本ランク6位入賞し、周りからも注目、期待されるようになりました。大学もあと2年残っていたので、卒業する為にアメリカに帰国して、大学に通いながら練習を積み重ね、試合の度に日本に帰る、という生活を続けていました。当時は、負けたら終わりのトーナメント戦で、1戦目で敗退してしまえば1年を無駄にしてしまう、というプレッシャーと、アメリカと日本を行き来する不安定な生活で、精神的にも身体的にも過酷な状況でしたね。自分の想いや軸のようなものがブレてしまい、どんなに身体を作り上げて望んでも試合に思うように勝てなくなってしまい、順調だったはずのアマチュアデビューの年でしたが、信じられないほど思うようにボクシングができなくなってしまう時期が大学に戻ってから卒業まで続きました。

このままボクシングを続けて成果が出せるのかという不安や迷いもあり、真剣にボクシングを辞めることも考えました。そんな中、大学を卒業後は次一敗でもしたら引退、という気持ちで取り組み、その年に出場した社会人全日本大会では優勝することができました。オリンピック選考メンバーに選ばれ、ボクシングの道を進み続けると決めました。


”ターニングポイント、プロの道へ”

当時は東京農大でアマの練習や合宿に参加させていただいたり、現在もお世話になっている帝拳ジムで、東京オリンピック選考会へ準備を順調に進めていました。調子を上げ続けることができ、ベストコンディションにあると実感できた最中に、左足アキレス腱を断裂。練習は愚か、思うように体を動かすことすらできなくなってしましました。最善は尽くしたものの、オリンピック出場へはあと一歩届きませんでした。

ボクシングを始めた当初から目標に掲げていた東京オリンピック出場の道へは、全ての力を出し切って臨んだと言い切れるので悔いは残っていません。その目標をひとつやり切ったところで、新たな目標であるプロへの道を目指すことを決めました。しかし、新型コロナウイルスの影響で日本中、世界中でスポーツがストップ。オリンピック選考会直前には手首の靭帯も断裂して手術を受けなければいけなかった為、予定よりも転向がだいぶ遅れてしまいました。今は無事に完治もして練習もできています。

今後はプロの道で力を尽くし、いずれはアマへの恩返しをしていきたい、と思っています。


ー満を辞してのプロデビュー、新たな目標はなんですか?

今はデビュー戦の新人王でKO勝ちで優勝したいですね。まずは、父が作った記録であるデビュー以来12連続KO勝ちという快挙を超える、13連続KO勝ちという記録を作って、世界チャンピオンになるのが目標です。


"父への想い"

日本でアマチュアデビューして以来、メディアや関係者の方々と自分で関係を持たせていただくことが増えましたが、尚更父の偉大さを実感するようになりました。だからこそリスペクトを込めて、ボクサーとして、人間として、父を越えるつもりで挑んでいかなけらばと考えています。

ただ、そのプロセスの上で、父の記録を超えることはわかりやすい目標ではありますが、達成したとしても、それは単に通過点にすぎず、それからも自分の挑戦は続くと思っています。

ボクシングと向き合う中で、挑戦が怖いのは当たり前で、弱い自分でいいんだ、と学ぶことができました。失敗や挫折はしようと思ってできるものではありません。何事にも起こることには意味があるので、過去の失敗や挫折を乗りこてきた今の自分が一番強い自分だと信じて、自分がどんなロマンを追いかけて、どんな自分になっていきたいか、を追求し続けていきたいです。


広報より

日本のボクシング界の未来を担う赤井選手を、スポンサー契約という形でサポートすることができることを大変光栄に思います。いくつもの逆境を乗り越え、ここまで愚直に努力を重ねてきた赤井選手、熱い想いを伺うことができ、彼のプロデビューへの確固たる決意がひしひしと伝わってくるインタビューでした。

グレフとしても、全力で彼の夢を応援、サポートできるようなスポンサー契約にしていきたいと考えております。赤井選手の今後の活躍にぜひご注目ください!

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